(前回の続き)
小池さんが新宿から忽然と姿を消したのは大会終了後まもなくだった。
ここから先は団鬼六先生の『真剣師小池重明』が詳しい。
何年たっただろうか、何故か都庁で行われた普通の将棋大会に小池さんは現れる。
主催者が小池さんの谷町筋で、たっての願いで茨城からやって来ていた。
小池さんには愛の逃亡劇が何回もあった。
薄幸の女性に出会うと何故か捨て置けぬ気持ちになると言う。
人生最後のアクトを終えた頃で長年の不摂生が祟りガッチリとした巨体はやせ衰えていた。
僕は丁度結婚した頃で久々の対面で報告すると、『そうだ、そういうのが一番いいんだ』この時も前と同じく自嘲するかのように呟いた。
そして、これが小池さんとの最後の会話になった。
その年の5月3日に日本棋院で開催された日本選手権で僕は念願の初優勝を飾る。
幸せとは裏腹にその日は小池さんの葬式の日でもあった。
大会のプライスで翌月にベニスで行われる第一回バックギャモンオリンピックに僕は日本代表として参加することになった。
出発の前日、宮崎さんと一緒に森下にあるお寺に小池さんの墓参りをした。
住職は墓参りに来る人は少ないと言っていた。
必勝祈願で墓を磨く。
小池さんの念力がベニスまで届いのだろう。大会では当時の実力以上の結果が残せてベスト8まで勝ち進めた。
この話が将棋雑誌や文庫本に載り、小池さんの墓を必勝祈願に磨く勝負師たちが何人も訪れるようになったという。
小池重明さんと僕との物語。