グルジア西南部の街バトゥミからトルコへ入国
このあたりはかなり簡単なルート
1、バトゥミでリゼ・トラブゾン行きなどのバスチケットを購入する
そのまま出入国(徒歩)再びバスに乗り完了
2、マシュルートカでグルジア国境の街 SARPI まで行く。(1ラリ)
徒歩で国境通過
トルコ側国境からケマルパシャ行きのドルムシュに乗る(1.5リラ)
ケマルパシャからHOPA行きのドルムシュに乗る(3リラ)
HOPAからRIZE、TRABZONへ(10リラ~)
3、ひたすらにヒッチハイク
ただし他のドルムシュなどが止まっている場所近くは禁止
これでもなんとかなる
グルジアの思い出
現在トルコリラ、グルジアラリのレート1TL=0.89TL(バトゥミ)
バトゥミから国境のサラピまでは1GL、かなり満杯で走る。
トルコは真近。
バトゥミは雪がとにかく悲惨だった。どこを歩いても水がたまりぐちゅぐちゅ。屋根から雪が落ち危険。一日中吹雪いていた。結局、観光は諦め、料理を作ることに。ジャガイモ、ナス、ピーマン、タマネギ、キュウリ、トマト、鳥一羽購入。鳥は冷凍だったので解凍して、見様見真似で解体。なんとかモモ、ムネ、手羽、皮、足、ササミ、その他に分け調理。とりあえずぶち込んでスープに。キュウリとトマトはサラダに。スリコの家でもらったワインとパンでひとまず料理っぽくはなった。
ちょうど帰ってきたアメリカ人とポーランド人にも振舞う。みんなで食事。味は、まぁ合格点だった。食後に紅茶。結構、幸せ。この料理は友達から教わったが、簡単に作れてまず失敗しないのでオススメ。
作り方は、鍋で肉を炒めて調味料を加え少し水で煮る。その間に野菜をサイコロ型に細かく切り、別鍋でタマネギから炒める。カレー風。だいたい野菜に火が通ったら、肉を肉汁と一緒に混ぜ、あとは水を足して、塩、胡椒などの調味料を入れ煮込む。ひたすらに煮込む。最後に味を調整して出来あがり。簡単。
トルコでの話
ケマルパシャのトンネルに近いカフェにいた人たちはヘムシン人たちだった。
彼らの会話が分からなくて「ラズ語?」と聞くと「ヘムシン語」という答えだった
そういやこの地域もそうだったな、とふと思った。
旧西アルメニア地域だし
それにしてもトルコに帰ってきた時の安心感は凄かった。
言葉が通じるということもあるけど、文化に慣れているのも大きい
知らない間に、こんなにもどっぷりトルコに浸かっていたんだとしみじみ感じた
ちなみにバトゥミで一番の思い出はこれ
グルジア第2の都市クタイシから黒海沿岸の街バトゥミへ。
バトゥミという都市はアチャラ自治州(共和国?)といって、グルジアの中でも独自の政治体制を保っていた地域の首都と言うべきところ。指導者が中央政府に反発して、ほぼ独立状態を保っていたらしい。トルコとの貿易利権を抑えていたのと、ロシア政府とも関係があり、その利権でほぼ独裁体制を気付いたそうな。ただ、グルジア中央政府が圧力を強め、トルコ・ロシア両政府が見放したため、ロシアに亡命。現在は普通の州として機能しているらしい。
と、まぁ、そういったバトゥミだが、一般的にクタイシからバトゥミまでは百数十キロでマラシュトルカで2時間ほどで行ける距離。特に問題がないルートなので1時頃にクタイシのマクドナルド前から乗車、3時頃には着く予定。1人10ラリ。
道中、一車線で強引に抜くおきまりの運転と所々にいるなかなか萌えな豚たちを眺めながら走っていた。
その日は朝から雪が降っており、積もっているところも。
しかし、バトゥミと言えば夏のバカンスで有名なところ。さすがに、それほど雪はないだろうと甘く見ていた。。。

次第に雪が激しくなり、周りの景色もあまり見えなくなる。
積雪量も増え、怪しい雰囲気が。。。
そして運命の午後3時。急にマラシュが停止。どうしたのかと聞いてみると、前方で他の車が詰まっているため進めないとのこと。これは1,2時間は覚悟しないとなぁ。。などと思いつつ待つことに。

しかし、1時間、2時間経てども全く進む気配がない、、
そして気がつけば7時半。一度マラシュを降りて前の様子を確認しに行くことに。
すると50m前方で乗用車が雪で坂を登れず立ち往生。その後ろに、大量の車が。。。
しかも、ほとんどの車がチェーンをしていない。完全にスリップ状態で登る気配がない。この状態で他の車を待ったとしても、どう考えても一向に立ち行かない。

どうやらここからバトゥミまではそれほど距離がない様子。運転手に距離を聞いてみたところ10キロほど、とのこと。
「これはあきらめて歩いて行くしかないなぁ」
と思いバックパックを背負い歩いて行くことに。
辺りはまっ暗になり、前にあるのはただの山道。
下で車が止まっているので、後ろから来る車はない。
さらに峠の向こうで立ち往生しているのか、前方からも車が来る気配がない。
しばらく歩き始めると吹雪きに。周りには全く人の気配もなく、時々木に積もった雪が落ちて轟音を響かせる。
よく分からないグルジアの地でたった1人、先もよく見えない道をひたすらに歩く自分。
あとどれぐらいで頂上までたどり着くかも分からない。
雪の重さに木がきしむ音。。
なんでこんなところで雪山行軍をやってるんやろ。。
しかも、運転手の親父は10キロないし15キロって、、歩行者にとっては致命的な距離
大量の雪で荷物も濡れだした。。靴もぐちょぐちょ。。
ここで無理矢理、歩いて行く意味があるのだろうか、、
なんならバスで一晩過ごすぐらいの気持ちで良いじゃないだろうか。。
というわけで、引き返すことに
帰ったものの大して状況は変わらないが、それでも少しずつ登って行く車はあるようで、
いよいよ自分たちのマラシュの版に。このとき既に夜9時30分。到着予定は昼3時。
マラシュにはチェーンが装着されていたので問題なく登るかと思いきや、、、
50mほど登りだして左車輪のチェーンが切れた。。。
しかも、牽引荷物があるのでかなり走行が大変。
左車輪はスリップ状態
完全に立ち往生
ここからが悪魔の夜の始まりに。。

切れたチェーンを直すこと30分
その間、ガソリン節約のためエンジンはオフに、車内の寒さはかなりのもの
最悪なことに車が古く、天井から水がしみ出してきた
横には5歳の女の子とその母親がいて、寒そうにしている姿がいたたまれない
唯一持っていたカイロを渡す。気を紛らわす程度にしかならないだろうが
なんとかチェーンを結び、再び登ることに
しかし、また切れた。。。
そこからは、ひたすらに後ろから押しながら車を進める作業が1時間以上に渡って続く
それでもどうしても越えられない坂に差し掛かる
最後の足掻きでチェーンを分断してそれをつなぎ合わせてつけるが、それでも駄目
その間にも、前から後ろから次々と車が通って行く。
時間はもう夜の12時半。

とにかく寒い
そして暗い
そんでもって車がポンコツ
という最悪の条件
これはもう山で一晩越すかなぁ。。と考えだした頃に
ようやく除雪車が道を舗装してなんとか走れることに
このとき既に深夜2時
かなりごつい山道をなんとか走りながら峠越え
正直、疲れた。。
しかし、その時、バトゥミの街でさらに1時間雪の中をホテル探しするとは思っていなかったが、、
唯一の救いは、隣にいたかわいいグルジア人の女の子と連絡先を交換できたことぐらいかな笑
バトゥミという都市はアチャラ自治州(共和国?)といって、グルジアの中でも独自の政治体制を保っていた地域の首都と言うべきところ。指導者が中央政府に反発して、ほぼ独立状態を保っていたらしい。トルコとの貿易利権を抑えていたのと、ロシア政府とも関係があり、その利権でほぼ独裁体制を気付いたそうな。ただ、グルジア中央政府が圧力を強め、トルコ・ロシア両政府が見放したため、ロシアに亡命。現在は普通の州として機能しているらしい。
と、まぁ、そういったバトゥミだが、一般的にクタイシからバトゥミまでは百数十キロでマラシュトルカで2時間ほどで行ける距離。特に問題がないルートなので1時頃にクタイシのマクドナルド前から乗車、3時頃には着く予定。1人10ラリ。
道中、一車線で強引に抜くおきまりの運転と所々にいるなかなか萌えな豚たちを眺めながら走っていた。
その日は朝から雪が降っており、積もっているところも。
しかし、バトゥミと言えば夏のバカンスで有名なところ。さすがに、それほど雪はないだろうと甘く見ていた。。。

次第に雪が激しくなり、周りの景色もあまり見えなくなる。
積雪量も増え、怪しい雰囲気が。。。
そして運命の午後3時。急にマラシュが停止。どうしたのかと聞いてみると、前方で他の車が詰まっているため進めないとのこと。これは1,2時間は覚悟しないとなぁ。。などと思いつつ待つことに。

しかし、1時間、2時間経てども全く進む気配がない、、
そして気がつけば7時半。一度マラシュを降りて前の様子を確認しに行くことに。
すると50m前方で乗用車が雪で坂を登れず立ち往生。その後ろに、大量の車が。。。
しかも、ほとんどの車がチェーンをしていない。完全にスリップ状態で登る気配がない。この状態で他の車を待ったとしても、どう考えても一向に立ち行かない。

どうやらここからバトゥミまではそれほど距離がない様子。運転手に距離を聞いてみたところ10キロほど、とのこと。
「これはあきらめて歩いて行くしかないなぁ」
と思いバックパックを背負い歩いて行くことに。
辺りはまっ暗になり、前にあるのはただの山道。
下で車が止まっているので、後ろから来る車はない。
さらに峠の向こうで立ち往生しているのか、前方からも車が来る気配がない。
しばらく歩き始めると吹雪きに。周りには全く人の気配もなく、時々木に積もった雪が落ちて轟音を響かせる。
よく分からないグルジアの地でたった1人、先もよく見えない道をひたすらに歩く自分。
あとどれぐらいで頂上までたどり着くかも分からない。
雪の重さに木がきしむ音。。
なんでこんなところで雪山行軍をやってるんやろ。。
しかも、運転手の親父は10キロないし15キロって、、歩行者にとっては致命的な距離
大量の雪で荷物も濡れだした。。靴もぐちょぐちょ。。
ここで無理矢理、歩いて行く意味があるのだろうか、、
なんならバスで一晩過ごすぐらいの気持ちで良いじゃないだろうか。。
というわけで、引き返すことに
帰ったものの大して状況は変わらないが、それでも少しずつ登って行く車はあるようで、
いよいよ自分たちのマラシュの版に。このとき既に夜9時30分。到着予定は昼3時。
マラシュにはチェーンが装着されていたので問題なく登るかと思いきや、、、
50mほど登りだして左車輪のチェーンが切れた。。。
しかも、牽引荷物があるのでかなり走行が大変。
左車輪はスリップ状態
完全に立ち往生
ここからが悪魔の夜の始まりに。。

切れたチェーンを直すこと30分
その間、ガソリン節約のためエンジンはオフに、車内の寒さはかなりのもの
最悪なことに車が古く、天井から水がしみ出してきた
横には5歳の女の子とその母親がいて、寒そうにしている姿がいたたまれない
唯一持っていたカイロを渡す。気を紛らわす程度にしかならないだろうが
なんとかチェーンを結び、再び登ることに
しかし、また切れた。。。
そこからは、ひたすらに後ろから押しながら車を進める作業が1時間以上に渡って続く
それでもどうしても越えられない坂に差し掛かる
最後の足掻きでチェーンを分断してそれをつなぎ合わせてつけるが、それでも駄目
その間にも、前から後ろから次々と車が通って行く。
時間はもう夜の12時半。

とにかく寒い
そして暗い
そんでもって車がポンコツ
という最悪の条件
これはもう山で一晩越すかなぁ。。と考えだした頃に
ようやく除雪車が道を舗装してなんとか走れることに
このとき既に深夜2時
かなりごつい山道をなんとか走りながら峠越え
正直、疲れた。。
しかし、その時、バトゥミの街でさらに1時間雪の中をホテル探しするとは思っていなかったが、、
唯一の救いは、隣にいたかわいいグルジア人の女の子と連絡先を交換できたことぐらいかな笑
イェレヴァンの宿はリダの家(1000DR、シャワー無し、ベッド共有)が有名だったが、冬は寒く環境もそれほどよくない。情報ノートと日本人パックパッカーの伝統?としてぐらいか。。
イェレヴァンの中心街には安いホステルが増えていて、条件の良いホテルも多い。基本、Hostel Bookersで十分見つかるが、なかでもYerevan Hostelはオススメ。歩いて5分でMetroの駅と中央広場。駅までの出迎えサービスもあるらしい(言った時は何も連絡していなかったが、たまたまホテルのおじさん、カロンさんが来ていて、ホテルまで連れて行ってくれた。英語も通じる。優しくて良い人)
ホステルは基本ドミで8人部屋。ベットは結構硬いが、まぁ十分寝られる。各個人にパックパックが入るサイズの鍵付きロッカー有。
アルメニアコーヒー(トルココーヒーと同じ)と紅茶が飲み放題、朝食も軽く付く。
ネットも深夜たまに切れるが、基本良好。固定のノートパソコンが自由に使える。アイロンも使える。
クレジットカードが使える。アルメニアではあまり現金を使わないので、ホテル代を別にできる方が予定をたてやすい。
Yerevan Hostel
交通手段
タクシーは市内での移動なら基本600~1000DR。
マラシュは100~350ぐらいまで。
バスターミナル Kilikiya Avtokayanからトビリシ行きマラシュ、西のエチミアズィンもある。南のハルビラップは地下鉄でSasunts駅まで行き、そこからハルビラップ行きかArtashat行に乗って行く。
電車はイェレヴァン中央駅から偶数日にトビリシ行が出向。三等4000/二等8000/一等12000。二等は部屋じゃない。地下鉄Sasunts駅が隣接。夜行で来る際にも、そこから中心街に行ける。
地下鉄はカードを買わなくて大丈夫、100Drで一回券がある。
ちなみに
西のエチミアジィンからさらに西に行けばメッァモール原発がある。他は、、特に無い。
グルジアで有名な「スリコの家」に行ってきた。
グルジアは自然が奇麗で山々の景色をみたり、そこに建つ教会を観に行くのが人気、
でも、それ以上に名物なのが、この「スリコの家」
何が名物かというと、主人スリコの飲みっぷり!!
とにかく飲む
飲む
飲む
飲む
スリコの家にたどり着いたのが2時半頃、
そして3時には宴会が始まってしまった。
本当は、市内の観光に行くつもりだったが、物置にいるスリコに呼び止められて行ってみると、既に飲んでた。。。しかも、グルジア名物?のチャチャ(ぶどうから作られたウォッカのようなもの)
そこでいきなり駆けつけ2杯
部屋に戻って奥さんのメディコが手作りの料理を振る舞ってくれ、それを食べている間に本格的な宴会がスタート、このとき3時20分
あとはひたすらに飲む飲む飲む
スリコの得意技を1通り見た後、なぜか日本の「みんなの歌」を聞きながら、また飲む。
正直、自分は酒に強くない。ビールもコップ1杯で顔が真っ赤になる
しかも、普段はトルコに住んでいるので、まず酒を飲むことが無い。。
それでもって、この歓待
ありがたかったのは妻メディコの言葉
次から次へと酒を進めるスリコに、「日本人は酒に強くないんだから」「チャチャはだめ、ワインにしときなさい」と静止してくれ、「一度、休むかい?」と気遣ってくれる。
5時前には頭がくらっくらで、いったん寝ることに。
同じ日に来ていたスペイン人はまだスリコに付き合っている。
再び、起きてみると時間は8時頃。
どうやら宴会もスリコが寝てしまったために終わってしまったよう。
メディコが「何か食べるかい?」といってジャガイモを蒸したものと、鯖の酢づけを出してくれた。
安心して、食べていると、メディコから衝撃のお言葉が。。。
「ワインなら大丈夫でしょう」
(メディコはやたらと「リトルリトル」と言う)
「チャチャは駄目でもワインならリトルリトル大丈夫!」
目の前にはグラスにたっぷりつがれたワインが。
メディコは笑顔で「KANPAI」と。。。
いくら寝たとはいえ、そんなに分解酵素も強くないので、顔もまだ赤い
一口飲んだだけで吐き気もする。
「もうお腹いっぱいです」とメディコに言ってみた
それでもメディコは
「リトルリトル、ノープロブレム」
と更にワインを継ぐ
正直思った、完全に後ろで飲ませるのをサポートしてるのってメディコじゃん
その後も、延々とあらゆるものに乾杯がつづきましたとさ。。。
恐るべし、「メディコの家」
でもそのホスピタリティーは最高なのでぜひ、行ってください。
たしか、一泊食事付きで25ラリだったはず。
ちなみに場所はここです
バスターミナルからだと34番のマラシュに乗って
Sapichkhia Moedani で降ろしてもらい、そこから徒歩5分ほど
No.6の家です。No.100じゃないので注意
大きな地図で見る
「世界一危険な原発」メツァモル原発
アルメニアには旧ソ連時代に作られた原発がある。しかも首都のイェレヴァンから32キロほどの距離に。。
現在4機稼働しておりアルメニアの総電力の4割をまかなうと言われている。
しかしこの原発はかなり危ういもので、製造時代が1970年代と福島原発と同じく製造から40年ほど経ち老朽化が問題視されている。さらにアルメニア周辺は大陸プレートの密集地帯で日本と同じ地震大国。1988年には第2の都市レニナカン(現ギュムリ)で起きた地震の際に、直接の影響はないものの職員が逃げ出してしまったために原子炉加熱の危機も生じていたらしい。チェルノブイリの影響もあってソビエト政府が停止にしたほど。
しかしながら資源の無く、周辺国のアゼルバイジャンとトルコとの関係から国境の40%近くを閉鎖しているためアルメニアにとっては原発が必要な不可欠な存在となっている。実際、ソ連が停止して以降、国内では停電が相次ぎ国民の中で一種のトラウマになってしまっているとのこと。
そのような理由から、他の国々が反対するにもかかわらず独立以後、アルメニア政府は稼働を続けている。
というのが大まかなまとめ、かなりの部分が下記の記事から引用したので、元を読んだ方が良いかと思います。
世界でもっとも危険な原発、アルメニア原発 廣瀬陽子
http://synodos.livedoor.biz/archives/1759243.html
で、ここからは個人的な考え。
実は、アルメニアに原発があることを知っていたが、こんな近くにあることは知らなかった。調べてみたところ、いくつかのバスを乗り継ぐと近くまで行くことができるらしい。周辺は、安全保障上軍が警備しているので近づけないが、原発の見える道を通るには何の問題もない。
実際に行ってみた。
正直、何もない山のふもとの平地に巨大な発電機が4基、いびつに並んでいる。幹線道路からは数キロほど離れているが、黙視でも十分見える。写真の感じ。
基本、原発は住居からはなれた場所に作られると聞いていたが、すぐ近くの街メツァモルからもそれほど離れていない。メツァモルの街は(あくまで個人的な感想)原発で働く人たちのために開発された様子。周辺の街と違い、集合住宅が密集していてかなり人工的な風景。その他の街は静かな農村地帯(庭で家畜を飼い、小規模な畑を持つ)。途中で知り合ったおじさんが、自宅に招いてくださいり、コーヒー、ワインに料理までごちそうになった。彼は、庭で飼っている家畜たちを嬉しそうに見せてくれた。
そんなことを経験した身として、
福島の事故を見たからなおさら思ったのだが、もしここで事故が起きたら。。
考えるだけで恐ろしい。
アルメニアでの問題が深刻になるのはもちろんなのだが、この問題は隣国トルコにとっても重要な問題となっている。というのも、このメツァモル原発からトルコ国境まで16キロしかないのである。実際に、アルメニア側からトルコのウードゥル県が見えている。
ここが、自分にとって重要なところなのだが。
実は友人の実家がそのウードゥルにあるのだ。友人はその県の小さな村の出身。昨年の夏には家に泊めていただき、家族・親戚の方々に相当お世話になり、トルコの中でもかなり思い出深い場所なのだ。今でも、とっておきの笑顔で迎えてくれた人たちが、そこで普通の暮らしをしている。
もちろん、他の人がどうなってもいいということじゃない。でも、自分にとっての問題として考えた時、この日本から遥か遠くはなれた地にこれほど深く関わったところがあり、そこに大きな問題があるというのが、とても複雑な気持ちになる。
すぐ目の前に見えるその土地には、ここから行くことができない。
トルコとアルメニアは歴史的な経緯(この辺りはまた別の議論が必要になるので割愛)から現在も国境が閉鎖されている。たった数十キロのところに行くためには、2000キロ近くの道を遠回りしなければならない。
でも、人が通れなくても放射能には関係ない。
もし深刻な事故が起き、放射能が漏れだせばアルメニアだけの問題にならない。
彼らの生活は成り立たなくなるだろうし、この土地がどうなるかも分からない。
ただ、現実問題としてエネルギー問題をかかえるアルメニアでは原発をやめるというオプションは無いようだ。
そういえば、どこかの国は事故が起きた後でもしょうがないってなっているような。。
すぐ近くにはノアの方舟がたどり着いたと言われるアララト山(トルコ名アール山)が太陽の光を浴びて美しく輝いている。そして、そこに連なる山々の美しさは、そこに危険な原発があるという事実を忘れ去らせるほどだった。
今、ここから自分が何かできるというわけではない。
トルコ語もそれほどできないし、アルメニア語なんて挨拶を覚えた程度。
それに自分の中で原発の賛否が決められないでいる。。
でも、個人的に体験したこの出来事をどうしても何かの形で書いてみたいと思った。
乱文失礼しました、最後までお読みいただきありがとうございます。
アルメニアには旧ソ連時代に作られた原発がある。しかも首都のイェレヴァンから32キロほどの距離に。。
現在4機稼働しておりアルメニアの総電力の4割をまかなうと言われている。
しかしこの原発はかなり危ういもので、製造時代が1970年代と福島原発と同じく製造から40年ほど経ち老朽化が問題視されている。さらにアルメニア周辺は大陸プレートの密集地帯で日本と同じ地震大国。1988年には第2の都市レニナカン(現ギュムリ)で起きた地震の際に、直接の影響はないものの職員が逃げ出してしまったために原子炉加熱の危機も生じていたらしい。チェルノブイリの影響もあってソビエト政府が停止にしたほど。
しかしながら資源の無く、周辺国のアゼルバイジャンとトルコとの関係から国境の40%近くを閉鎖しているためアルメニアにとっては原発が必要な不可欠な存在となっている。実際、ソ連が停止して以降、国内では停電が相次ぎ国民の中で一種のトラウマになってしまっているとのこと。
そのような理由から、他の国々が反対するにもかかわらず独立以後、アルメニア政府は稼働を続けている。
というのが大まかなまとめ、かなりの部分が下記の記事から引用したので、元を読んだ方が良いかと思います。
世界でもっとも危険な原発、アルメニア原発 廣瀬陽子
http://synodos.livedoor.biz/archives/1759243.html
で、ここからは個人的な考え。
実は、アルメニアに原発があることを知っていたが、こんな近くにあることは知らなかった。調べてみたところ、いくつかのバスを乗り継ぐと近くまで行くことができるらしい。周辺は、安全保障上軍が警備しているので近づけないが、原発の見える道を通るには何の問題もない。
実際に行ってみた。
正直、何もない山のふもとの平地に巨大な発電機が4基、いびつに並んでいる。幹線道路からは数キロほど離れているが、黙視でも十分見える。写真の感じ。
基本、原発は住居からはなれた場所に作られると聞いていたが、すぐ近くの街メツァモルからもそれほど離れていない。メツァモルの街は(あくまで個人的な感想)原発で働く人たちのために開発された様子。周辺の街と違い、集合住宅が密集していてかなり人工的な風景。その他の街は静かな農村地帯(庭で家畜を飼い、小規模な畑を持つ)。途中で知り合ったおじさんが、自宅に招いてくださいり、コーヒー、ワインに料理までごちそうになった。彼は、庭で飼っている家畜たちを嬉しそうに見せてくれた。
そんなことを経験した身として、
福島の事故を見たからなおさら思ったのだが、もしここで事故が起きたら。。
考えるだけで恐ろしい。
アルメニアでの問題が深刻になるのはもちろんなのだが、この問題は隣国トルコにとっても重要な問題となっている。というのも、このメツァモル原発からトルコ国境まで16キロしかないのである。実際に、アルメニア側からトルコのウードゥル県が見えている。
ここが、自分にとって重要なところなのだが。
実は友人の実家がそのウードゥルにあるのだ。友人はその県の小さな村の出身。昨年の夏には家に泊めていただき、家族・親戚の方々に相当お世話になり、トルコの中でもかなり思い出深い場所なのだ。今でも、とっておきの笑顔で迎えてくれた人たちが、そこで普通の暮らしをしている。
もちろん、他の人がどうなってもいいということじゃない。でも、自分にとっての問題として考えた時、この日本から遥か遠くはなれた地にこれほど深く関わったところがあり、そこに大きな問題があるというのが、とても複雑な気持ちになる。
すぐ目の前に見えるその土地には、ここから行くことができない。
トルコとアルメニアは歴史的な経緯(この辺りはまた別の議論が必要になるので割愛)から現在も国境が閉鎖されている。たった数十キロのところに行くためには、2000キロ近くの道を遠回りしなければならない。
でも、人が通れなくても放射能には関係ない。
もし深刻な事故が起き、放射能が漏れだせばアルメニアだけの問題にならない。
彼らの生活は成り立たなくなるだろうし、この土地がどうなるかも分からない。
ただ、現実問題としてエネルギー問題をかかえるアルメニアでは原発をやめるというオプションは無いようだ。
そういえば、どこかの国は事故が起きた後でもしょうがないってなっているような。。
すぐ近くにはノアの方舟がたどり着いたと言われるアララト山(トルコ名アール山)が太陽の光を浴びて美しく輝いている。そして、そこに連なる山々の美しさは、そこに危険な原発があるという事実を忘れ去らせるほどだった。
今、ここから自分が何かできるというわけではない。
トルコ語もそれほどできないし、アルメニア語なんて挨拶を覚えた程度。
それに自分の中で原発の賛否が決められないでいる。。
でも、個人的に体験したこの出来事をどうしても何かの形で書いてみたいと思った。
乱文失礼しました、最後までお読みいただきありがとうございます。
普段はトルコに住んでいる、でもって年末から今にかけて周辺国を旅行している。
ブルガリア、ルーマニア、アゼルバイジャン、グルジア、アルメニア
旅の中で心がけるのが現地にいる日本人と会うコネクションを見つける。というもの
それは旅行者という意味でなく、現地で働いたり勉強している日本人達のこと。
彼らとは言語のハンディが無いだけでなく、日本という視点を含んだその国の見方を教えてくれる。
メンタリティが近いのと、比較的第3者の立場から物事を見ているのでセンシティブな問題でも聞くことができる。それは、自分にとってはかなり重要のな気がする。
というのも、普段はトルコというフィールドで暮らしている。しかし、トルコにはなにかと歴史的な問題や、国際関係に問題があったり、、その中で、正直トルコという国がどう見られてるのかを聞くには非常にありがたい助けとなる。
ブルガリア、ルーマニアでは旅行関係の仕事をされている方で、ルーマニアではブルガリアの方から紹介していただいた。アゼルバイジャンでは別件で大使館に行ったところ、現地で留学されている方を紹介してもらえた。アルメニアでは以前、調べている時にブログを書いておられるアルメニア在住の日本人の方がいらっしゃったので、連絡を取ったところ会うことを快諾していただけた。グルジアでは会うことができなかったが、ハマムで知り合ったトルコ語を話せるグルジア人に自宅での夕食に招待してもらえた。
人と出会うのは旅の楽しみの1つだと思う。特に、日本から遠くはなれた地で、同郷の人々から話を聞くことは恐らく、観光で得られるものよりも遥かに大きい。
なかには笑える話や、冗談のような話、その国での苦労話など。。個人的には政治関連の話題に興味があるので、その話題が中心になるが、国民性の話題を話すのも面白い。
そんな時に役に立つのが携帯電話。トルコで買った携帯一つであとはSIMカードさえ購入すれば自由に使える。幸いなことに、行った国々はSIMカード購入が簡単で安い。1~3$程度。これ一つで待ち合わせの連絡にも使えるし、現地で出会った人たちともコンタクトが取れる。その意味で、SIMカードを買うのはオススメかと。
あと、旅先だけタバコを買うのもオススメ。なにかと話のきっかけにもなるし、スモーカー同士だと話が弾みやすい。パッケージに書かれた現地語もお土産になるし笑
まぁ、普段は全く吸わないですが。。。
今日の一曲
世界の終わり / 虹色の戦争
ブルガリア、ルーマニア、アゼルバイジャン、グルジア、アルメニア
旅の中で心がけるのが現地にいる日本人と会うコネクションを見つける。というもの
それは旅行者という意味でなく、現地で働いたり勉強している日本人達のこと。
彼らとは言語のハンディが無いだけでなく、日本という視点を含んだその国の見方を教えてくれる。
メンタリティが近いのと、比較的第3者の立場から物事を見ているのでセンシティブな問題でも聞くことができる。それは、自分にとってはかなり重要のな気がする。
というのも、普段はトルコというフィールドで暮らしている。しかし、トルコにはなにかと歴史的な問題や、国際関係に問題があったり、、その中で、正直トルコという国がどう見られてるのかを聞くには非常にありがたい助けとなる。
ブルガリア、ルーマニアでは旅行関係の仕事をされている方で、ルーマニアではブルガリアの方から紹介していただいた。アゼルバイジャンでは別件で大使館に行ったところ、現地で留学されている方を紹介してもらえた。アルメニアでは以前、調べている時にブログを書いておられるアルメニア在住の日本人の方がいらっしゃったので、連絡を取ったところ会うことを快諾していただけた。グルジアでは会うことができなかったが、ハマムで知り合ったトルコ語を話せるグルジア人に自宅での夕食に招待してもらえた。
人と出会うのは旅の楽しみの1つだと思う。特に、日本から遠くはなれた地で、同郷の人々から話を聞くことは恐らく、観光で得られるものよりも遥かに大きい。
なかには笑える話や、冗談のような話、その国での苦労話など。。個人的には政治関連の話題に興味があるので、その話題が中心になるが、国民性の話題を話すのも面白い。
そんな時に役に立つのが携帯電話。トルコで買った携帯一つであとはSIMカードさえ購入すれば自由に使える。幸いなことに、行った国々はSIMカード購入が簡単で安い。1~3$程度。これ一つで待ち合わせの連絡にも使えるし、現地で出会った人たちともコンタクトが取れる。その意味で、SIMカードを買うのはオススメかと。
あと、旅先だけタバコを買うのもオススメ。なにかと話のきっかけにもなるし、スモーカー同士だと話が弾みやすい。パッケージに書かれた現地語もお土産になるし笑
まぁ、普段は全く吸わないですが。。。
今日の一曲
世界の終わり / 虹色の戦争
アルメニアは近隣諸国との関係(トルコ・アゼルバイジャン)で国境はグルジアとイランだけしか開かれていない。更に、イランにはビザが必要なので日本人的にはグルジアからの入国が一般的である。
首都のトビリシから列車かバス、マルシュが一般的な方法で、バスなどを使う場合は南東のバスターミナルから乗ることができる。時間も5~6時間程度で、国境通過も簡単らしい。値段も30ラリほど。宿にいたフィンランド人の話では、雪山を通り抜けて、あっさり来たらしい。ちなみにマラシュは午前中から人が集まり次第出発で一日に数本走ってるらしい。
で、今回は国際夜行列車の話。
トビリシからイェレヴァンまで出ていて、1等70ラリ/2等50ラリ/3等30ラリだった。
ちなみに3等は寝台じゃない。
グルジアのトビリシから夜行列車でアルメニアのイェレバンへ。四人部屋で2人のアルメニア人の叔母さんと同室に。叔母さんたちは74年と70年生まれ。パスポートの写真は完全に、別人。全く話が通じないが、とても優しそう。
そうしてるうちに幼児連れの若い夫婦もやってきて、同室の叔母さんとは別室。23のお母さんと若いお父さん、3歳くらいの子。すぐに宴会に。
アルメニア人いわく、グルジアのワインは駄目らしい。アルメニアではウォッカが普通らしい。いきなりショット2杯、ひたすらに飲み会、子供にもウォッカ飲ませてた。若干、頭おかしい。グルジアワインは駄目とか言ってたくせに、後半はワインばっか飲んでる。
なぜかアルメニアの名前がサンボに。ビニョーはワインの意味。飲みすぎてかなり酔った。
グルジアの国境で出国時にアルメニア語で「アルメニアのビザが欲しいんです」と言ったら、「アホか酔っ払い、アルメニアで取ってこい」と言われた。飲み過ぎでかなり酔ってる。アルメニアの入国は潰れていて、かなり酔っぱらった状態でビザの書類を書いてた。普通に4人ぐらいの軍人の前やったけど、吐きそうとか言ってた気がする。軍人も若干苦笑い。。。でも、なぜか、ビザ代の支払いの計算はしていた記憶がある。入国時の質問もほぼ無し。21日ビザで10$か3000Dr。3000Drの方が安い。
部屋に戻ってからは速攻で寝た気がする。
アルメニアは朝7時でもかなり暗い。その分、夕方は6時でも明るい。一緒に飲んだ叔母さんたちは、完全に潰れて寝ていた。
あさ7時半のイェレバンは真っ暗で人っ子一人いない。
昨日はアルメニアの新正月だったそうな
今日の一曲
ギャーギャーズ 2011.02.01@十三FANDANGO
首都のトビリシから列車かバス、マルシュが一般的な方法で、バスなどを使う場合は南東のバスターミナルから乗ることができる。時間も5~6時間程度で、国境通過も簡単らしい。値段も30ラリほど。宿にいたフィンランド人の話では、雪山を通り抜けて、あっさり来たらしい。ちなみにマラシュは午前中から人が集まり次第出発で一日に数本走ってるらしい。
で、今回は国際夜行列車の話。
トビリシからイェレヴァンまで出ていて、1等70ラリ/2等50ラリ/3等30ラリだった。
ちなみに3等は寝台じゃない。
グルジアのトビリシから夜行列車でアルメニアのイェレバンへ。四人部屋で2人のアルメニア人の叔母さんと同室に。叔母さんたちは74年と70年生まれ。パスポートの写真は完全に、別人。全く話が通じないが、とても優しそう。
そうしてるうちに幼児連れの若い夫婦もやってきて、同室の叔母さんとは別室。23のお母さんと若いお父さん、3歳くらいの子。すぐに宴会に。
アルメニア人いわく、グルジアのワインは駄目らしい。アルメニアではウォッカが普通らしい。いきなりショット2杯、ひたすらに飲み会、子供にもウォッカ飲ませてた。若干、頭おかしい。グルジアワインは駄目とか言ってたくせに、後半はワインばっか飲んでる。
なぜかアルメニアの名前がサンボに。ビニョーはワインの意味。飲みすぎてかなり酔った。
グルジアの国境で出国時にアルメニア語で「アルメニアのビザが欲しいんです」と言ったら、「アホか酔っ払い、アルメニアで取ってこい」と言われた。飲み過ぎでかなり酔ってる。アルメニアの入国は潰れていて、かなり酔っぱらった状態でビザの書類を書いてた。普通に4人ぐらいの軍人の前やったけど、吐きそうとか言ってた気がする。軍人も若干苦笑い。。。でも、なぜか、ビザ代の支払いの計算はしていた記憶がある。入国時の質問もほぼ無し。21日ビザで10$か3000Dr。3000Drの方が安い。
部屋に戻ってからは速攻で寝た気がする。
アルメニアは朝7時でもかなり暗い。その分、夕方は6時でも明るい。一緒に飲んだ叔母さんたちは、完全に潰れて寝ていた。
あさ7時半のイェレバンは真っ暗で人っ子一人いない。
昨日はアルメニアの新正月だったそうな
今日の一曲
ギャーギャーズ 2011.02.01@十三FANDANGO
友達が通っているバクーのカフカス大学に行ってきた。
大きな地図で見る
トルコにも別のKAFKAS大学がKARSにあるが、アゼルバイジャンではBAKIのQAFQAZ大学になる。ちなみに、トルコ語にはQは基本出てこない。アゼリ語では結構使われていた。

規模はかなり小さくて、学生数も1500人ほどと言っていた。レベル的にはバクー国立大学とならぶアゼルバイジャンではトップの大学らしい。作られたのは1992年で新しい。施設もかなり奇麗で、行ったキャンパスは特に新しかったみたい。場所は、完全に街のはずれで日本人観光客はまず行かない。というか、来た日本人はいないらしい。
石油関連の研究施設がありイギリスのBPが出資して最近作られたそうな。1.5ミリオンマナト(1億5千万円くらい)で作ったと、案内してくれたえらい人が仰っていた。基本、ここの学生もほとんど入ることができないそうで、一部の研究者だけが使っているそうな。。立ち入り禁止のはずの薬品室にもなぜか入れてもらえた。

他の企業とも提携していて、アゼルバイジャンの携帯会社AZER CELL(アゼル人の友人曰く、一番良い携帯会社、トルコで言うところのTurkcell的ポジション、というか日本のDOCOMOと言った方が分かりやすい)の中継施設があり、その中にアゼルバイジャンにはそこにしかない4Gの通信設備がおかれていて、それがかなりの自慢ポイントらしい。。その機械の前で写真を撮るように言われたが、外見はただの電圧版みたいな箱なので、言われないと分からない。。。

写真の左側の青いヤツがそれ
この大学はトルコともかなり関係が深く、現大統領のギュルも来訪したそうな。(この人はどこにでも行ってる気はするが。。)それ以外にも、入って正面ホールにアリエフとアタトゥルクの写真が飾られていたし、あらゆるところでトルコが協調されていた。留学生もトルコ人が多く、友達の友達はほとんどトルコ人だった。みんな地方出身で東部が多い。ちなみに、東部の学生はアゼルバイジャンに来るのが比較的簡単。というのもトルコ国内でウードゥル(アルメニア・アゼルバイジャン・イランとの国境にある県)まで行って、そこからナフチヴァンに入ってしまえば、国内線でバクーまで来れるので安い。通常飛行機はイスタンブールとアンカラから。トラブゾンからもあるという話を聞いたけれど、確かではない。

訪れた時は、ちょうど試験期間中で校内の学生数は少なかったが、喫茶スペースにいた女の子達はかなりの確率でかわいかった。
おしまい


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トルコにも別のKAFKAS大学がKARSにあるが、アゼルバイジャンではBAKIのQAFQAZ大学になる。ちなみに、トルコ語にはQは基本出てこない。アゼリ語では結構使われていた。

規模はかなり小さくて、学生数も1500人ほどと言っていた。レベル的にはバクー国立大学とならぶアゼルバイジャンではトップの大学らしい。作られたのは1992年で新しい。施設もかなり奇麗で、行ったキャンパスは特に新しかったみたい。場所は、完全に街のはずれで日本人観光客はまず行かない。というか、来た日本人はいないらしい。
石油関連の研究施設がありイギリスのBPが出資して最近作られたそうな。1.5ミリオンマナト(1億5千万円くらい)で作ったと、案内してくれたえらい人が仰っていた。基本、ここの学生もほとんど入ることができないそうで、一部の研究者だけが使っているそうな。。立ち入り禁止のはずの薬品室にもなぜか入れてもらえた。

他の企業とも提携していて、アゼルバイジャンの携帯会社AZER CELL(アゼル人の友人曰く、一番良い携帯会社、トルコで言うところのTurkcell的ポジション、というか日本のDOCOMOと言った方が分かりやすい)の中継施設があり、その中にアゼルバイジャンにはそこにしかない4Gの通信設備がおかれていて、それがかなりの自慢ポイントらしい。。その機械の前で写真を撮るように言われたが、外見はただの電圧版みたいな箱なので、言われないと分からない。。。

写真の左側の青いヤツがそれ
この大学はトルコともかなり関係が深く、現大統領のギュルも来訪したそうな。(この人はどこにでも行ってる気はするが。。)それ以外にも、入って正面ホールにアリエフとアタトゥルクの写真が飾られていたし、あらゆるところでトルコが協調されていた。留学生もトルコ人が多く、友達の友達はほとんどトルコ人だった。みんな地方出身で東部が多い。ちなみに、東部の学生はアゼルバイジャンに来るのが比較的簡単。というのもトルコ国内でウードゥル(アルメニア・アゼルバイジャン・イランとの国境にある県)まで行って、そこからナフチヴァンに入ってしまえば、国内線でバクーまで来れるので安い。通常飛行機はイスタンブールとアンカラから。トラブゾンからもあるという話を聞いたけれど、確かではない。

訪れた時は、ちょうど試験期間中で校内の学生数は少なかったが、喫茶スペースにいた女の子達はかなりの確率でかわいかった。
おしまい


コーカサス地方の国々を旅すると言えば、安宿として「~の宿」というのが有名で、いわば普通の家を宿泊用に貸し出しているのが主流でした。が、実際に行ってみると、アゼルバイジャンをのぞくグルジア・アルメニアではかなり一般的なホステルタイプの宿が充実してました。
例えば、トビリシなら駅近くのHostel Georgiaは一泊、10ラリというかなりのコストパフォーマンスで、コーヒー・紅茶・ワイン飲み放題という素晴らしさ。アクセスも良く、主人のヤコブさんも優しい人のなので快適です。行き方は、トビリシ駅のスーパー(駅を背にして左)の前を通り過ぎ、その道をまっすぐ300mほど行ったところの右手の角にあります。
てか、ここで見た方がはやいかも
"Hostel georgia" hostelworld
昨年の5月にできた宿で、それまでは別のところでレストランをやってたそうです。
ヤコブさんも結構、酒好きで本人に仕事が無い時には一緒に酒盛りすることになります。
とっておきだ、とか言ってショットもいただけます笑
ワインは手作りで飲み放題、これもヤコブ先生曰く、「600L作ったから、この1L容器に600回も飲めるんだよ」と嬉しそうに仰ってましたとさ。結構、美味しいです。
それ以外にも、結構安宿があるみたいで、調べてるといくつかありました。
ちなみに、結構空っぽなのに建物はでかい国立博物館のロビー(ここはインフォメーションセンターも兼ねる)にいくつか安宿のパンフレットがおいてました。ロビーには普通に入れるので行ってみても良いかも
例えば、トビリシなら駅近くのHostel Georgiaは一泊、10ラリというかなりのコストパフォーマンスで、コーヒー・紅茶・ワイン飲み放題という素晴らしさ。アクセスも良く、主人のヤコブさんも優しい人のなので快適です。行き方は、トビリシ駅のスーパー(駅を背にして左)の前を通り過ぎ、その道をまっすぐ300mほど行ったところの右手の角にあります。
てか、ここで見た方がはやいかも
"Hostel georgia" hostelworld
昨年の5月にできた宿で、それまでは別のところでレストランをやってたそうです。
ヤコブさんも結構、酒好きで本人に仕事が無い時には一緒に酒盛りすることになります。
とっておきだ、とか言ってショットもいただけます笑
ワインは手作りで飲み放題、これもヤコブ先生曰く、「600L作ったから、この1L容器に600回も飲めるんだよ」と嬉しそうに仰ってましたとさ。結構、美味しいです。
それ以外にも、結構安宿があるみたいで、調べてるといくつかありました。
ちなみに、結構空っぽなのに建物はでかい国立博物館のロビー(ここはインフォメーションセンターも兼ねる)にいくつか安宿のパンフレットがおいてました。ロビーには普通に入れるので行ってみても良いかも
グルジアノート1
天然ガスで走る車が結構ある。スタンドがある。値段は1.1ラリ。8.6ぐらいいれていた。ハマムは湯槽があり、サウナ付き、水風呂もある、3ラリ、完全に天然かけ流しらしい、源水は100度ほどとのこと。ドビリシはもともと5世紀ごろに国が建国された。1番古い協会は3~4世紀のドビリシ東のまちにおる。二番目がトビリシにある。政府の建物の北には大きな教会がある、よるでもかなりの数の人がお祈りに来る。バスは街の東にバスターミナルがあり、毎時アルメニア行きのバスがあるらしい。ビザの事は不明だが、基本取れるはず。。市内は新年の一ヶ月前後にイルミネーションが素晴らしいらしい。国会?の前の通りが1番綺麗。その西側、マクドナルドとMetro駅近くの銅像は10~11世紀ごろのひとのものら。7世紀の教会「川沿い北側、橋のそば、銅像がたって」バンタングゴルガサリ、市内にシナゴーグがある、トビリシのユダヤ教徒は1,500人ほど、グルジア全体で30,000人ほどらしい。グルジア語で書かれた赤いパッケージのタバコは作りが酷すぎる、吸いながら崩れる、いかにも悪そう。でも、値段は0.6ラリ。丘を登って行く途中にグルジア1番の金持ちの家がある、ロシアで稼いでグルジアに戻ってきたらしい、家の上にはヘリポートが、今は政界に出て首相(グルジアでは権力を大統領が持っている)を狙っているらしい。グルジアではレスリング系のスポーツが盛ん、柔道でもチャンピオンが結構いる、グルジアレスリングは柔道に似ているらしく、レスリングから柔道に変えてすぐにチャンピオンになった。
グルジア出身は黒海とガジマル。

北コーカサスには5000m急の山が6個もあるらしい。
124と90のバスが丘の上の遊園地ボンボラパークまで来る。丘の上からの景色はかなり綺麗。特に夜の街の夜景は絶景。ただし、夜は公共交通機関がない。夜中には公園も閉まる。タクシーで来ても展望台から見るなら価値あり。
駅からホステルジョージアは、駅前の道を東(駅を背にして左)に進むと簡易の市場がありそれを線路よりに進み、さらに東へすすむと道が合流している、その先の角にある。10分ほどで着く。
グルジア人優しすぎる。ハマムで出会った、トルコ語のできるおにいさんが友人の車で観光地をつれていってくれ、食事まで招待してもらうことに。
トビリシにいて夜景を見ないヤツは馬鹿だ!
天然ガスで走る車が結構ある。スタンドがある。値段は1.1ラリ。8.6ぐらいいれていた。ハマムは湯槽があり、サウナ付き、水風呂もある、3ラリ、完全に天然かけ流しらしい、源水は100度ほどとのこと。ドビリシはもともと5世紀ごろに国が建国された。1番古い協会は3~4世紀のドビリシ東のまちにおる。二番目がトビリシにある。政府の建物の北には大きな教会がある、よるでもかなりの数の人がお祈りに来る。バスは街の東にバスターミナルがあり、毎時アルメニア行きのバスがあるらしい。ビザの事は不明だが、基本取れるはず。。市内は新年の一ヶ月前後にイルミネーションが素晴らしいらしい。国会?の前の通りが1番綺麗。その西側、マクドナルドとMetro駅近くの銅像は10~11世紀ごろのひとのものら。7世紀の教会「川沿い北側、橋のそば、銅像がたって」バンタングゴルガサリ、市内にシナゴーグがある、トビリシのユダヤ教徒は1,500人ほど、グルジア全体で30,000人ほどらしい。グルジア語で書かれた赤いパッケージのタバコは作りが酷すぎる、吸いながら崩れる、いかにも悪そう。でも、値段は0.6ラリ。丘を登って行く途中にグルジア1番の金持ちの家がある、ロシアで稼いでグルジアに戻ってきたらしい、家の上にはヘリポートが、今は政界に出て首相(グルジアでは権力を大統領が持っている)を狙っているらしい。グルジアではレスリング系のスポーツが盛ん、柔道でもチャンピオンが結構いる、グルジアレスリングは柔道に似ているらしく、レスリングから柔道に変えてすぐにチャンピオンになった。
グルジア出身は黒海とガジマル。

北コーカサスには5000m急の山が6個もあるらしい。
124と90のバスが丘の上の遊園地ボンボラパークまで来る。丘の上からの景色はかなり綺麗。特に夜の街の夜景は絶景。ただし、夜は公共交通機関がない。夜中には公園も閉まる。タクシーで来ても展望台から見るなら価値あり。
駅からホステルジョージアは、駅前の道を東(駅を背にして左)に進むと簡易の市場がありそれを線路よりに進み、さらに東へすすむと道が合流している、その先の角にある。10分ほどで着く。
グルジア人優しすぎる。ハマムで出会った、トルコ語のできるおにいさんが友人の車で観光地をつれていってくれ、食事まで招待してもらうことに。
トビリシにいて夜景を見ないヤツは馬鹿だ!









