じゆう◯たくみです
突然ですが、指導って、一方的ですよね
指導者がいて、生徒、対象者がいて、指導って状況が発生します
指導者とは、言いかえれば、指導できる情報や知識がある人です
指導者は、持っている、情報、知識を与えることを求められている存在とも、言えそうです
スポーツの指導者であれば、生徒の現状の動作などを解析して、間違いがあれば、その点を指摘して、正しいと、される動作に修正させると、いうことも求められるでしょう
また、一方で、人として頼られることも指導者の指導者たる所以かも、しれません
この人じゃなければ、教えられない
この人に教わりたい
のように指導者として人に生徒がついている形になっていることが多いでしょう
ここで、誤解を恐れずに言うと
人につく、人に頼るは依存ですよね
指導者に行動、動作を変えてもらっている体で話しが進むことがあるんですが、変えているのは、指導の対象である本人なんですよね
指導者は、持っている情報、知識からアドバイスしただけなんです
たまたま、アドバイスしたことと、本人が修正しようと思っていたことがタイミングよく合致して、本人が行動なり、動作なりを変化させようと思って、変えた
あくまでも変えたのは本人ですよね
ここを間違えると
指導者が変えてくれた
この子を変えてくれたのは、指導者ってなってしまう
指導者がいないと変えられないって、おもっちゃって、指導者の下についちゃう
これって、明らかな依存ですよね
この人について、変えてもらおう
変えるのは、自分の、意志だというのを忘れて、依存しちゃう
だから、指導と依存って、セットみたいなものだなと
私としては、指導者につくのではなくて、その人から、情報や知識をとりに行くと意識するだけで良いと思っています
指導者は、偉いわけではなく
情報と知識を生徒より多く持っているだけなんですから
そこに、権威を与えることはない!
断言します!!
知識、情報を、得る対価として、お金を出す
お金を、出すのだからその人から情報や知識を買っていることになる
お金を出す人と情報や知識を出す人は、横並びです
この人じゃなきゃと指導者に依存するのではなく、
この人から発信される情報や知識を得るという意識を持って、取りに行くと、自分でどうやったら変化できるかを考えることができ、人に頼らず、自分で考えて行動できるようになります
要は、自立できるようになります
だから、私は、コーチ、アドバイスする人でありた、依存させるのではなく、自分で行動できる人と情報を共有したい
それが、家族でも友人でも職場でも生徒さんでも一貫して考えていきたいことです
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