🎍2026 あけましておめでとうございます🎍

久しぶりに西成に行きました。
わたくしはかつて、名古屋の鶴舞公園や白川公園に住んで居た時期がございます。
至った経緯は割愛しますが、野宿で年末年始を過ごす事の実態は知って居るつもりです。
簡単にブルーシートを張れる訳では無く、野宿者の中にもしきたりも格差も在る。
新聞紙にどれ程の断熱効果があるのか、便所だろうが何だろうが「風」が無い空間がどれ程快適なのか…
人間、寒さの極限に成れば「寝る」よりも歩く事で寒さを紛らわす様に成る…
空腹を満たす為に、恥も外見も捨て施しや残飯を漁る事に躊躇いは無くなる…
日雇いの仕事で、どれ程イジメられたりカス扱いされ…お金を投げ渡され様が…
悔しさと情けなさを腹に堪え…
まァ大概は「見る側」の立場でしょうが、「渦中」の立場に居た事は確かです。
(自業自得や、自分の巻いた種や)
(努力も我慢もしなかったツケや)
確かに仰る通りの面もございますし、決して其れだけでは語れない面もございます。
そんな事はどうでも構いませんし、他人が人の人生や生き方にアレコレ干渉しなくて良い。
然るべき関係機関に任せ、互いに最善の答えを導き出せば良い…とわたくしは思います。
人間、腹が減り過ぎますと「ロクな事」はしません。
職を探す以前に、衣服や身なりを整える以前に、自分の内面を見つめる以前に…まず食べる事が最重要でございます。
何度か書いたかも知れませんが、無一文状態から何とか仕事にありついた時の話…
風俗業に落ち着く前の段階ですね
ある会社に雇って頂き、その会社の名古屋市内の営業所(民家)に住まして頂きました。
暖房も風呂も布団もございましたし、快適な住まいを提供して頂いた訳でございます。
しかしながら、現金が壱銭もございません。
(数週間乗り切れば何とか成る…)
自信は在ったのですが、応接間に常備してある「マグロのおつまみ」と言うのでしょうか?
アメ玉みたいに包まれたお菓子…
食べたくて仕方ない訳でございます。
最初は一袋…
次第にこう思う
(2つや3つ食べても分からんやろう…)
食欲は理性を上回りますから、歯止めが効かなく成る。
その営業所は奥さんが何時も子供を連れて来るのですが、ある日から二人の雰囲気が変わりました。
(勝手に会社のおつまみを食べてる)
カメラの存在は知って居りましたが、食欲には勝てずに詰められて辞めました。
たがが「マグロのおつまみ」
たがが「数週間我慢すれば」
そんな事で人生は大きく変わってしまう。
普通に考えれば、(そりゃ、会社の物に手を出したらアカンやろ)(事情説明したら良かったのに)と思うのが普通だと思います。
そんな判断も出来なく成る程、空腹状態の人間は正常では居られなく成る事を知って居る。
何かの企画や、整った精神状態での修行の一環としての「空腹」と、切羽詰まった状況での空腹とは次元が違う事も知って居る。
繰り返しますが、多くが仰る事は分かります。
「そんなモン知るか!自己責任やろ!」
「お前だけやない!みんな大変なんや!」
「貧乏自慢か?お涙頂戴話かよ!」
それで良い、それで構わないと思うのです。
只、世の中には色々な生活模様状況が実際に在ると言う事を分かって過ごしたいモノです。
たった一食だろうと、たった一つのおにぎりだろうと、たった1枚の毛布であろうと…
それで明日に希望を抱けるので在れば、正気を保てるので在れば…
少しの余裕を分かち合う事にも意義が生まれる。
時間の余裕、お金の余裕、心の余裕が在るならば…有意義に活かすのも生きてる証に成る。
わたくしは色々と考えてしまう傾向に在り、常に頭痛にみまわれます。
未来の事や過去の記憶が蘇りアレコレと考えてしまいます。
未だに夜中「不安」に覆われ眠れない時もございます。
何時死んでも構わない…
怒られるかも知れませんが、その気持ちを常に抱いてるのは確かです。
それは「気が楽」だからです。
人間社会を生きる自分は、他人様にどの様に映ってるのかは分かりかねますが…
自分の可能性を追求したい反面、何時お迎えが来ても黙って受け入れる気持ちがございます。
夢や我欲が無いと言えば「嘘」に成りますが、表面上の成果や達成に興味は無く成った。
メッキはメッキでしかございませんし、何時かは剥がれるのは身を持って確認して来た。
自身の内面、魂、意識が「どの様な世界を映し出すのか?」出来事で在り、出会いで在り…
それを確かめたい。
今日の食料や水に困る生活も在れば、高級ホテルに泊まり豪華な食事を楽しむ生活も在る。
一ヶ月乗り切る現金が無い為に不本意な道を歩く人間も居れば、どうでも良い事にお金を費やす余裕の在る人間も居る。
人をイジメたり嫌がらせを平然と出来る人間も居れば、我が身を盾にして迄寄り添ってくれる人間も居る。
一生懸命頑張れば報われるのか、要領良く生きる方が報われるのか…
巷で「常識」とされる事柄や「模範」とされる行動や考え方は本当なのか?
情報を信じて鵜呑みにする事は、結局は誰かの「操り人形」では無いのか?
何に「幸せ」を感じ、何に「後悔」を感じ、何をみんなに「伝えたい」のか…
色々と確かめたい事がございます。
勿論、わたくしだけの考えを基準にすれば「偏り」が大きくなりますから、色々な状況に生きる方々に「アンケート」に協力して頂き「何かしらの共通点」が必ず導き出されると思いますので…ブログなり本等で共有したい。
それが「今年」の一番の目標ですね。
路上生活する人、会社勤めの人、経営者、身体的ハンデの方、家庭持ち、独身、子供や親への悩み、各種依存、虐待…
それぞれの状況に学んだ事や気付いた事…
これから先、地球で人間社会を生きるみんなに伝えたい事…
沢山在ると思う、言いたい事、伝えたい事
本当に沢山在ると思います。
意見や考えを出し合って、互いに「気付き、学び」より善き世界を生きる糧を探したい。
自分流
昨年は沢山の「本」を読む事が出来ました。時間を作って本当に沢山読んだ…
参考や気付き、学ぶ事は沢山ございましたし知識も増えた。
人生で一番「読書」に費やした年だと思います。笑
でもね
それらは「誰かの人生、経験、学び」で在り、自分自身の人生に当てはまるとは思えない。
状況も違えば、時代も環境も育った経緯も異なります。
自分で「自分のベストな生き方」を探し模索して確信を得る。
そこに「真の喜び、自信」が存在するのだと思います。
生きて居れば、逆境や困難な時も在ると思います。
死にたいと思う時も、自暴自棄に成る時も在ると思う。
喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみ…
その全てに「学び、気付き」が隠れてる。
多分
自分の人生をより善き方向へと向かわせる為の「最高の本」は自身の手元に既に在る。
人から学ぶのと同時に、「自分自身から学ぶ」事も本当に大切なんだと思います。
誰かの成功、失敗は「誰かの物語」
自分の人生の話では無い
逆に
自分の物語を「誰か」が見聞きして(なるほど)と気付きや学びに変えて頂ける様な人生を歩みたいモノですね。
誰かの後ろを追従するのは「楽」ですし、何とでも言える。
車の運転でもそうですね
他人の後ろに着き「遅いな!何チンタラ走っとんねん!」「下手くそな運転やな!サンデードライバーか!?」…好きな事は言える。
じゃあ
貴方が先頭に立ち「模範」を示せるのか?
誰もが「なるほど!最高の安全運転や!」と多くのドライバーの手本と成る覚悟は在るのか?
自分の人生を歩くのも「同じ事」だと思います。
先頭を行くのは「楽」では無いでしょうし、不安も恐怖も在る。
その見返りに…
自分だけの世界、景色、感覚が得られる。
責任感も達成感も…全てが心地よく感じる感覚。
自分の物語は読み応えが在るのか?
そんな事を考えれば、又生き方も変わるのでは無いでしょうか?
主演、演出、脚本、全部オレ、ワタシ!
きっと最高の物語が完成すると信じて居ります。
長々と読んで頂き、ありがとうございます。
インフルだか風邪だかが流行って居るみたいですが、皆さん御身体御自愛下さい。
ありがとうございます
がんばって (^^)
