ちょっと思い立って、広島は呉に行ってきました。
そして三重県人ですから旧国名の付いた戦艦伊勢ゆかりの地でも見てこようかと。
「呉 終戦時 艦船配置」
あたりで検索すると終戦時の戦艦伊勢の場所を書いた配置図がいくつか出てきます。
・・・が、なぜか戦艦伊勢の場所だけずれてます。
江田島の旧海軍兵学校、海上自衛隊第1術科学校教育参考館にある配置図すら
ずれている(撮影禁止のため写真無し)事が原因かと思われますが、
当時の航空写真に写った地形と現在のマップを重ねると、こうなりました。
岬の向こう側ではなく、現在小さな漁港のあるすぐ沖。
この写真のちょうど真正面、漁港の黒い堤防の右側に係留されていたことになります。
あれから70年経った場所は真っ白できれいな砂浜。
ちょっと白すぎますから人工かな?(^^;
で、さっきの写真戻ってみてください、「漁港の黒い堤防」ありましたよね。
近寄ってみると・・・。
明らかに異様な構造物。
これは堤防じゃない、舳先っぽい。船?
場所が場所だけに最初は戦艦伊勢が埋められてるのかと思いましたが、
分解解体して戦後復興の鋼材になったはず。
じゃ、これは?
逆から見ると、そこそこ大きいですが後ろ半分は付け足したごく普通の堤防。
目測だと大体50m前後ですね。
舳先の上、どうやらこの部分は最初からあったオリジナルっぽいです。
コンクリで埋まってますが、左右と前に3つ、丸いハッチの跡?
舳先近くの左右に、ボルトで留められてた四角いものがあったよう。
舳先左右でボルト止めというと・・・やっぱりフェアリーダーですねぇ。
ロープや鎖通すヤツ
こいつですな。
うん、船確定。
でも、でっぷり太った下腹とか、普通の船じゃなさそう。
舳先が有って、船腹膨らんでるとなると、第二次大戦時代の潜水艦!
長さも50mなら輸送用のハ号潜輸あたりならぴったり!!
・・・と思って帰って来ましたが、どうやら潜水艦が防波堤にされたという話は無さそう。
何隻かの駆逐艦が防波堤になった話はありますが、あっちはスマートですしもっと長いです。
あとは有名なコンクリート製輸送船の武智丸堤防が呉の隣町で堤防に。
ん? コンクリート船?
今まで形状と大きさで特定しようとしてましたが、この船もどうやら内部まで鉄筋コンクリートのようです。
そのセンから検索してみると・・・。
ビンゴ! その名もずばり「
コンクリート製油槽船
」目測で50mの長さもぴったりです。
それにこの船、輸送燃料満載すると、舳先だけ海面に残して残りは海中に沈むらしいです。
潜水艦っぽいところも予想的中でしょうか。
動力は無く、他の船に引っ張ってもらう「はしけ」ですね。
これも大戦当時作られましたから70年以上経ってますが、その割には原形とどめて丈夫ですね。
それに引き換え、戦後作られた橋とか建物とか、コンクリートの劣化が話題になってますねぇ。
今の構造物、70年海に漬けておいたらどうなることやら。
この場所のコンクリート製油槽船について書かれたサイトはいくつか出てきましたが、
これと並ぶように戦艦伊勢終焉の地があると書かれたサイトはほとんど有りませんでした。
最後に、相関的な場所はこうなります。
音戸の瀬戸のすぐ横ですから、時間が有ればちょっと覗いてみてください。