ダンナさんが亡くなって実家に戻されたんだから、ありがたく同居させてもらって母を支え父の最期を看取るべきだったのでしょうか?
みんながイライラしていたのだから、ケンカぐらいは仕方ない。子ども達を連れて飛び出した私がワガママだったのでしょうか?
結局、二度出戻ってまた別居。もちろん、BOSEの大学通学の為に一時期他県に行った他は実家義実家に何かあれば駆け付けられる距離にはいましたし、実際何度か駆け付けお手伝いをさせてもらってきました。
BOSEが成人して残りの学生生活を一人暮らしですることになった時も実家には戻りませんでした。お嬢が恐喝されてその土地には怖くて住めず引っ越さざるを得なくなっても実家には戻らず、更に昨年暮れにお嬢が結婚し経済的な理由でアパートを新婚さんに明け渡したけれど実家にはやはり戻らず一人暮らしを始めてしまいました。

本当なら年寄り一人暮らしをしている両家の母、どちらかと同居して支えるべきなんだろうなぁ、と娘、嫁の立場からは思うんです。
冷たい娘、嫁だと思われているんでしょうね。

でも。私にも言い分があるんです。

どちらの母とも同居はかなりの拷問。
義母はドラマのテーマになる嫁姑。永遠の敵w 一族には私がダンナさんの命を縮めた、見捨てた事になってるし。
実母も理解したくないのか理解できないのか。一々口を挟まれるので仕事にならない。
男の世界で男以上に働くためには仕方ない事もあるのに。

「過ぎた事なんだからいつまでも根に持たないで水に流しなさい」
両母は言うけれど、言われたされた方はそれで苦しんだんだから一生、忘れるなんて無理。
義母。親を大事にしていたダンナさんだったから、同居をお願いしたら「他人と住むと気を使うから」拒否。「実家に帰りなさい」・・・え?子ども達はあなた達の内孫でしょう?嫁の私は他人でも。
過剰なストレスからPTSD、喘息を発症して苦しんでいても「あなたの気の持ちようが悪いから」
実母。血の繋がりって何だろう、て思います。
難病に苦しんでいた時本当に頼りたかった。でも頼れませんでした。
一番忘れられない出来事。その日はBOSEの運転で母は義実家に行っていました。私は難病の症状がとてもひどい時期で目が回ってキッチンに立つことはできず、吐くためにトイレに行くのさえ這っていたから、BOSEに食べ物を頼んだらいつまで待っても帰って来ない。義母実母で話し込んでいてやっと帰って来ても食べ物はBOSEに持たせ、車で待っていた母。「大丈夫?」の一言もなく。車から降りなかった理由は「早く帰って義母さんからもらった古着のリフォームをしたくて」だそうです。その時私は玄関への廊下に這いつくばっていました。

見た目は健常者の私ですが、今もふたつの難病の治療中です。知られた難病ではないので、やっぱり「気の持ちようで治るものでしょう」と両母には言われています。
病気を進行させて寝たきりにならないように必死なんです。場所が動くから仮病に間違われ易いけど全身を移動して回る疼痛に堪えて生活、仕事しているんです。

これ以上、精神的な負担を負うことはしないで、とBOSEもお嬢も「気ままに一人暮らし」をしていて、と言ってくれています。


でも、親に対するこの後ろめたさって何なんでしょうね・・・


あー また長々の愚痴Blogですねw
でも、ここしか吐き出せないんです。
ご勘弁くださいませ(*;ω人)