No.63 第8章 法隆寺の玉虫厨子の謎を解く
●玉虫厨子と釈迦三尊像の共通点を見つける
法隆寺の玉虫厨子(たまむしのずし)の上段の、右の絵の天使が2人、それに左の絵の天使が2人、合計4人の天使が骨を持っていた。
これが玉であるのか、骨であるのか迷うところだ。しかし、桃ちゃんのストーリーが正しいとすれば、骨であることになる。
「桃ちゃん、この天使たちは、親指と人差し指で、玉をつまんで持ってるね。
これはどういう意味だろう。例えば、さっきの吉祥天(きっしょうてん)が玉を持っていたが、あれは、手のひらに載せていた。
こちらは、つまんでいる。この表現の違いは何かな?
もう1つ例をあげると、薬師寺に吉祥天の絵があって、これは国宝なんだが、やはり手のひらに載せている」
「大事な物を持つ場合は、手のひらに載せるか、両手で持つんじゃないですか。指でつまんで持つのは、取り扱い注意ということかもしれません。例えば、危ないものとか……」
「そうだな、お釈迦様の骨を、指でつまんで持つ天使がいたら、「無礼者」って怒られちゃうな。物の持ち方にも、微妙な心理が現れるから。
ここで1つ思いついた。法隆寺の金堂の仏像に、同じ指の形で玉を持っている像がある。これも危ないものを持っているんだろうか」
「なんです。それは」
「桃ちゃんも何度も見てるよ。法隆寺ガイドブックで探してみよう。あった」
「釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)じゃないですか。お釈迦様は、何も持っていないですよ」
「お釈迦様の脇侍(わきじ)の菩薩(ぼさつ)だ。仏教の場合は天使という呼び方をしないから、菩薩というのが天使の役だな。
お釈迦様の横にいる菩薩が玉を持っている。これが、玉虫厨子の菩薩天使(ぼさつてんし)が持っている持ち方と同じだ。玉の大きさも同じだし」
「こちらも、たくさん持っていますね。両手に1つずつ持っていますから、合計4個です。
もし、お釈迦様の骨を持っているとしたら、1個で十分ですよね。だったら、この玉は、如意宝珠じゃないっていうことになるわ」
「どういうことかな、何で両手に持っているのかな。
玉虫厨子から、推理を展開すると、こちらも骨を持っていることになる。困ってしまったね。
そういう時は、あきらめて次に行こう。次の絵を見てみようか」
「次は、下段の正面の右ですね」
「これは有名な絵だ。この絵については、法隆寺オタクの僕にまかせてくれ。桃ちゃんにガイドしてあげよう」
「はい、ありがとうございます」
「これから説明するのは、学会の定説だ。だから、古代探偵のトンデモ説なんかじゃないからね。でも、途中からトンデモ説になる可能性はあるけど。じゃ、行きます。
さっきの漢訳の『金光明経』だ」
「先生、家から本を持ってくるの、重かったでしょう。ご苦労様ね」
「重いけど、翻訳ごとに微妙に内容が違うんだ。詳しくは話さないけど。確かに重かったね。桃ちゃん、帰りは少し手伝ってよ」
「いやです。帰りに重い荷物をしょってくのはゴメンです」
「まあ、いいや。では、無料ガイドのスタートです。僕は、どうして親切なんだろうね」
「私が、親切じゃないみたい」
「そんなこと言ってないよ。
この『金光明経』の第17章に「捨身品(しゃしんほん)」という章がある。玉虫厨子の下段の右の絵は、捨身飼虎(しゃしんしこ)の話を絵にしたんだ。
捨身飼虎というのは、身を捨てて虎を飼う、という意味だ。じゃ説明するよ。絵を見てもらおう」
「待って、先生。この絵なんだか気味悪いわ。どうしてかしら……先生さっき、「問題は誰の骨か」って言ったわね」
「言ったよ」
「この絵の中は、骨だらけよ」
「えっ」
「先生、おやじギャグは止めてね」
「はい、でも、これが骨だらけというのは、桃ちゃんはユニークな感性をしてるね。確かに骨の形をしている。骨をパーツにして崖(がけ)を作っているように見えるね。
学者は、これをC型モチーフと呼んでいる。どうしてC型なのか、意味がわからないらしい。桃ちゃんと一緒に来てよかったな。君は面白い」
「だって、骨以外に、何に見えますか?」
「そう言われれば、骨としか言いようがないな」
「そうでしょ。私は素直なだけですよ」
「世間には、素直でない人が大勢いるんだ。とりあえず、説明を続けるよ」
注 薬師寺の吉祥天の絵像は、『日本の仏像大百科 第4巻』ぎょうせい、から引用した。釈迦三尊像の脇侍は『法隆寺の至宝 第3巻』小学館から引用した。捨身飼虎の絵は、『国宝への旅 第20巻』NHKから引用した。