No.40 第6章 祟りがいっぱい | 「聖徳太子はいなかった」という嘘

No.40 第6章 祟りがいっぱい

●インド製の柄香炉を買った


 そこへ、タイキ君がやってきた。
「あっ、桃ちゃんもいたんだね。ちょうどよかった。お土産(みやげ)を持ってきたんだ。はい」


ネット小説 桃太郞は誰だったのか                         ――聖徳太子のダ・ヴィンチ・コード-インドの柄香炉

「柄香炉(えごうろ)じゃないか。どこで手に入れたんだ。高かっただろう」
「いくらだと思う?」


「前に、仏壇屋で見たものは5万円ぐらいしたぞ。これは作りが安物だな。5千円くらいか?」
「残念。750円だよ」


「750円か、メチャクチャ安いじゃないか。どこで手に入れたんだ」
「インターネットの通販さ。インド専門店で見つけた。つまり、インドでは今でもこれを使ってるのさ。だから安いのさ」


「へー、日本では、奈良時代のものが正倉院にあるよ。正倉院のは、聖武天皇が使った物かもしれないよ。


ネット小説 桃太郞は誰だったのか                         ――聖徳太子のダ・ヴィンチ・コード-正倉院の柄香炉


 それが、現代のインドで日常で使われているのか? 不思議な話だ」


 桃ちゃんが言った。
「先生、不思議じゃないわよ。だって、さっきの奈良時代の踏歌(とうか)が、中国では、現代的な演奏で踊ってるのよ。すこしも不思議じゃないわ」
「そういうことか。面白い世界だね」


「太郎おじちゃん、柄香炉といっしょに、お香も買ったから、ちょっと香を焚いて(たいて)みようよ。コーン型のお香だ」


ネット小説 桃太郞は誰だったのか                         ――聖徳太子のダ・ヴィンチ・コード-コーン型お香

「コーン型のお香ってあるのね。私は線香しか知らなかったわ」


 私も知らなかった。
「よし、やってみようか。柄香炉は、法隆寺の聖徳太子像も持っていたね。


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ほかにも、お坊さんの像で柄香炉を持っている像はたくさんある。


ネット小説 桃太郞は誰だったのか                         ――聖徳太子のダ・ヴィンチ・コード-法相六祖像玄賓興福寺南円堂鎌倉康慶.jpg

ネット小説 桃太郞は誰だったのか                         ――聖徳太子のダ・ヴィンチ・コード-法相六祖像善珠興福寺南円堂鎌倉康慶


 たぶん、この人たちは、毎日、これで香を焚いていたんだろうな。そうとしか考えられないよ。でも、死んだ後までも柄香炉を持たせるのは、どうしてだろう? あの世でも祈っていてくれ、ってことかな?


 ひょっとすると、例の、聖徳太子が四天王に戦勝祈願した時にも、実際は、柄香炉で祈願したのかもしれないな」


ネット小説 桃太郞は誰だったのか                         ――聖徳太子のダ・ヴィンチ・コード-聖徳太子 本木雅弘1


 桃ちゃんが、柄香炉を持った。
「先生、ちょっと貸してね。聖徳太子は何て言ったんでしたか。モックンのセリフ」
「えーと、仏法の守護神、持国天、増長天、広目天、多聞天が我らに味方をなされる。南無仏、我を勝たせたまえ」


 その時、まさか桃ちゃんが、そのセリフを口にするとは少しも考えなかった。
「仏法の守護神、持国天、増長天、広目天、多聞天が我らに味方をなされる。南無仏、我を勝たせたまえ」


 タイキ君と私は、同時に叫んだ。
「やめろ、桃ちゃん」


 しかし、遅かった。桃ちゃんは、柄香炉を持ったまま、床に座り込んだ。

「肩が動かない」


「あー、やっちゃった。絶対に、そのセリフは口にするなと前に言っておいたつもりだったけどな。また、四天王の祟り(たたり)だ」


 タイキ君も言った。

「ドジッたな、桃ちゃん」


 桃ちゃんが、つぶやいた。
「肩が動かないし、肩が重たい。どうしよう」
 私も、どうしようか途方にくれてしまった。



注 お坊さんの像は、興福寺南円堂の法相六祖像、鎌倉時代の康慶作、引用は『図説 日本の仏教 第1巻 奈良仏教』新潮社より。



ここ

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