「日本書紀」『紀』中国人述作説を批判する | 古代史ブラブラ

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古墳・飛鳥時代を中心に古代史について綴ります。

服部氏が説明される「古田武彦氏の多元史観で日本史を語る」シリーズの「8.日本書紀」の「『紀』中国人述作説を批判する」に関する動画の「ポイント」と「所感」は以下のとおり。

 

「ポイント」

・言語学から、『紀』は巻毎にα群・β群に分類される。森博達氏によれば、持統朝に(渡来唐人の)続守言と薩弘かくが正音により正格漢文でα群を述作した(中国人の述作。漢字の原音にそっての仮名表記。巻1~13。巻22・23。巻28・29)。文武朝になって山田史御方が倭音により倭化漢文でβ群を撰述した(日本人の述作。日本人の発音にそっての仮名表記。巻14~21。巻24~27)。元明朝に紀朝臣清人が巻30を撰述した。同時に三宅臣藤麻呂が両群にわたって漢籍等による潤色を加え、さらに若干の記事を加筆した。清人の述作には倭習が少なかったが、藤麻呂の加筆には倭習が目立った。

 

・中国人は牙音(喉の中、舌のつけ根で調音する軟口蓋の破裂音および鼻音)と喉音(喉頭で調音する)を区別して使う。日本人は牙音と喉音の区別ができない。『紀』には牙音のみを用いる巻と、牙音と喉音を併用する巻がある。牙音のみを用いる(牙音と喉音の区別ができている)巻は、中国人が述作した(α群)。牙音と喉音を使用する巻は日本人が述作した(β群)。α群では日本人には困難な、子音による条件的な気音の強弱の書き分けができている。α群では中国人には識別が困難な、鼻音と濁音の書き分けができていない。α群では日本人なら清濁を誤るようなことのない濁音音節を清音字で表すという誤用がみられる。

 

・しかしながら、歌謡および訓注の無い巻は識別が不能。歌謡および訓注部の分類であり、巻全体の識別に繋げるにはリスクがある。森氏は漢文で書かれた本文の中国語としての正しさに言及する。α群は正しい漢文で書かれ、中国人の述作(α群の倭習は、例外的で引用文や倭人の加筆によるもの。倭習が無い、もしくは少ない)。β群は倭習の漢文で書かれ、日本人の述作とされる。

 

・しかしながら、倭習が多いから、巻全体がβ群とするには、例外がある以上、慎重な検証が要求される。倭習の抽出は網羅されているのか、他に見逃している倭習がα群に無いのか、その検証が難しいのが、森説の弱点と考えられる。

 

・雄略紀(14巻。α群)の五井蘭州(1697~1762)の317カ所の添削から、服部氏が倭習判定した結果、語順・用語・表現より倭習と考えられるカ所は60カ所(1頁に1.7カ所。森氏の抽出では6件のみだったが、60件もあった)。孝徳紀(25巻。α群)の蘭州の160カ所の添削から、服部氏が倭習判定した結果、語順・用語・表現より倭習と考えられるカ所は58カ所(1頁に1.4カ所)。倭習の全検索では、β群に比べて、α群の倭習は少ないとは言えない。中国人述作の否定。

 

・しかし、この分類は巻毎ではなくて、同じ巻内に混在している。

 

「所感」

・日本の史料として貴重な『日本書紀』について、言語学の観点から検討することは興味深い。

 

・もし渡来唐人の続守言と薩弘かくがα群を述作した場合、8世紀前半の近畿大和王朝が意図する古代史の改竄(例:九州王朝を隠す)を、渡来人が正確に述作することが可能かについては、検討が必要と思う。