私は柵を越えた!
だけど、そこはまだ地球だった
訳、合ってるのかなぁ
古代文字、キターー(°∀°)ーー!
って思った帰り道
フト目の前の男の子の
シャツに書いてあった文字
ああああああああ!
やっと柵を越えられたんだ!
もしかしたら
まだまだ世界は広いんだよって
嗜めかもしれないけれど
柵を越えた!
それだけでも
認めてもらえた!と思えたら
広がる目の前の世界は
自由
だよね!
なんだか
偶然の目の前のこんなことも
面白く感じます。
さて、芸の文字。
この手の中にある芽は
何だか
自分の中の芽
なような気がしてね
一人にひとつ
種をみんなが抱いて生まれてきて
まいにち、まいにち
喜びや楽しさ
怒りや涙
恋や別れ
旅立ちや出逢いという
人生の宝を
その種に注ぐんだ
人によってその注ぐ
量や時期が違うから
早く芽を出す人もいれば
ゆっくり、ゆっくりと
咲く人もいる
私の中の芽を大切に育てること
自分の花を咲かせること
それがいちばん
私を喜ばせる
芸なのかな
フト思ったのでした。
だって
自分が楽しくないのに
人を心から喜ばせることは
できない
だから私は
自分の中の
小さな、小さな、小さな芽を
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり
それでもいいさ
育てていくよ。
理江ちゃんとも
相手(子ども)の話を
本当に聞くことをしている父兄が少ない
って話していて
聞く
やっぱり大事だし
子どもが、「話す」
それを聞くことで
どんどん子ども自身が
芽吹いていくという話を聞くと
「聞く」ってこれほど大事なんだなと
改めて思ったのでした。