考察


熊本にある【幣立神宮】の境内には、年齢が15000歳と言う木が立っています❗

一本の木が15000歳ではなく、その木から新しく出て来る株が、また、新しい木となり成長して、一回1代1代が1500年〜2000年近くの樹齢となります❗

今、境内にある木は、10代目だと宮司は言っています❗






この幣立神宮の祭神は、神漏岐様(カムロギ)と神漏美様(カムロミ)です❗

まるで、イザナギ様、イザナミ様みたいな名前ですね❗

つまり、アダムとイヴが祭られていると思われます❗

*私は、旧約聖書とは東の最先端の日出る国(日本)の人が、世界に知恵を授ける為に海を渡り中東へ行って教えに行った、そこで、教科書が必要だったと思っています❗

それが、【旧約聖書】だと思います❗旧約聖書とは、日本人が日本の事を書いた書物であり、日本とバレないように名前を替えて出ていって、その名前がカムロギ、カムロミではなく、アダムとイヴにしていると思っています❗

そして、日本から出て行った人の子孫が、その土地で追われて、日本に戻って来たのだと思います❗

だから、日ユ同祖論の話も理解できますが、古代イスラエル人とは、日本から出て行った人々の子孫達であり、その子孫達が日本に戻ってきたと言うものです❗



古代イスラエル人の神殿(幕屋)の様式と日本の祭り方は同じです❗








幣立神宮には、他にも祭神様がいらして、大宇宙大和神様(アブラハム?)とノア(天之御中主様?)と男神の天照大御神様(東の日出る国王)が祭られています❗


旧約聖書創世記のエデンの園は、何もかもが豊かな土地で平和な暮らしをしていたアダムがいました❗

そして、アダムが暮らしていたエデンの園の中央には、「生命の木」(生命の樹)と「善悪知る木」の二本が立っていました❗

神様は、アダムに言います。


*何でも食べて良いよ!

でもね、善悪知る木は、食べないでね!

と言ったのです!

(何でも良いと言っておいてダメなものがある、と言う矛盾❗)

日本の憲法でも、自由と言っておきながら、平等とも書いてあります❗これも矛盾なのです❗*


するとそこに現れたのが、囁きの蛇(人間の弱い心)ですね。

蛇は、神様が「善悪知る木を食べると死ぬかも知れないよ!」

と言ったけど、蛇は、「本当に?」

と言いました!


すると、アダムは、善悪知るの木を食べてしまいました!


*チョコレートを食べちゃいけない、とわかってるけど食べちゃうこと❗️


すると神様はもう一度アダムの所に現れて、「生命の樹」を食べられないようにエデンの園からアダムを追放しました❗


この意味を話しますと、アダムは、神様の言いつけを守れずに人間としての自己判断で蛇(弱い心)の言うことに興味本位で食べたということになりますね❗

食べた事で、アダムには、死がおとずれる事になってしまいました❗

アダムは、これはまずい!

と、思ったので、慌てて「生命の樹」を食べようとするわけですが、神様としては、「現状の幸せに飽きたらず欲深く神様の言葉に懐疑的で自分勝手な判断を優先してしまった❗」ということです❗

そんなアダムの自己判断をする人間を永遠に生きていてもらっては困りますから、生命の樹を食べられないように剣や炎で囲ってアダムをエデンの園から追放したわけです❗

剣や炎てを囲むというのは、神域と人間界を分け隔てることですから、今の日本の神道ならば、注連縄(しめなわ)や鳥居に値すると思います❗


そして、イヴは、アダムが善悪知るの木を食べてから生まれています❗

この場面では、神様の言いつけをを守らない心を持ったアダムから生まれたことになっていますから、イヴも罪深いと言う話となっています❗


しかし、今度は新約聖書で登場するイエス・キリストは、旧約聖書創世記と同じ場面を出しています!

それは、イエス・キリストが民に声を掛ける時です!

「私を信じなさい」「信じるものは救われる」と言う言葉ですね❗

つまり、旧約聖書創世記から新約聖書のイエス・キリスト時代に来るまでの何世紀も間は、創世記の様な「救われるチャンス」の話は逸話としては、ありません❗

そして、民の中でもイエス・キリストの言葉を素直に受け入れることが出来た民は、救われました❗

そもそも、創世記のエデンの園の神様とアダムの会話は、人間の弱い部分として今も私達の判断、決断をする時には、迷うのではないですか❓

何を以て「善悪」を区別するのか❓

自分は善だと思っていても、他人からは、悪だと思われていることは常に自分はあります❗

しかし、それもこれも創世記に書いているように、自分勝手で生まれた環境に飽き足らずに文句を言って、強欲となって判断することから出た善は、何もかもが破壊の一途を辿っていると思います❗

だからこそ、日本国には、日本人に合った憲法が必要だと思います❗

それが、基準となり、法律も作られて行くのです❗

今の日本の憲法は、日本人を苦しめる様にアメリカが作ったものですから、日本の国民は苦しんでいます❗


明治天皇の教育勅語がなんと言っても「エデンの園の神様の声」と言うものですね❗

私はそう思っています❗

そうです❗

旧約聖書とは、日本人が書いたものです❗ 

まだ、日本と言う国はありませんが、ある程度の形ある「東の最先端の日出る国」(日本)の人達が、エデンの園と言う中東に遠征し、教えを伝承して行ったと思います❗

ノアは、チグリス・ユーフラテス川の氾濫を予測していましたね❓だから、方舟(箱舟)を造り命を繋ぎました❗ 

これは、ノア(日本を出て行った人が天之御中主様であり、戻って来たのが、天之御中主様の何代か後の子孫が日本に戻って来て名前を国之常立様とする)の神様(日本から出て行った子孫が、天之御中主様の子孫のアブラハム)の言葉を信じたからですよね❓

エデンの園のアダムの判断した欲望の行動ではないですよね❓

だから、それは、「生命の樹」を食べたことを意味すると思います❗

そして、ノアは、東の最先端の日出る国を目指したと思います❗

それは、口伝で伝えられていたものなのかは分かりませんが、日出る国には、「生命の樹」がある、と知っていたということに繋がる思います❗

既に幣立神宮の樹木は、15000歳となり、命をつないでいます❗

命を繋ぐ為には、新しく出た株が育たなくてはなりません❗

アダムの様に次の新たな子孫の芽を取って食べてはならないものです❗

その株が育っているから、15000歳なのです❗

今は10代目だそうです❗

つまり、幣立神宮の祭神が、神漏岐様と神漏美様とは、旧約聖書創世記の登場人物のアダムとイヴの伝承を伝えていると思われます❗

ノアは、先祖のアダムとイヴの失敗を取り返す為に子孫に繋いで東の最先端の日出る国を目指して来た、と言うことでしょう❗

だから、おそらく、他に祭られているのは、アブラハムとノアであろうと思っているのです❗

中国語では、生命の樹の事を「扶桑樹」と呼びます❗

そして、日本国の事を「扶桑国」と呼んでいます❗


下の絵は、カバラの教えにある生命の木です❗
2つ縦に並べました❗
何か気づきましたか❓
上の生命の木には、「知識」の部分が有りません。
下の絵には、「知識」の部分が入っています❗
つまり、善悪知る木の知識の実をアダムが食べた木です❗
この部分をダアートと言います❗
丁度、心臓の部分となり、それを【心】としています❗
つまり、アダムに話しかけていた神様の象徴だと言うことになります❗
そして、実の中でも一番下のマルクート(王国)というのは、欲望の部分です❗
だから、人間の「生殖器」の事を言ってます❗
男女関係の性の事であり、永遠の命を繫ぐ、子孫に託す意味になり、DNAの中のY遺伝子を残す役目となります❗
すると、家系図としての自分の「王国」(家系図)が出来るのです❗
ところが、この王国は、欲望の世界ですから、象徴として王国には、蛇も住んでいるのです❗

*この蛇は、欲望の象徴なのですが、心が昇華した時には、【龍】となると言うことです❗

あのエデンの園の蛇の様に誘惑の蛇です❗
知識の部分を食べたアダムは、この蛇の誘惑に負けたのです❗
そして、同時に「真心」も失っているから、ダアートがありません❗


生命の樹の一番下のマルクト王国の部分は、尾骶骨にあります。
この尾骶骨の開放によって莫大なるエネルギーを発動します❗
一歩間違うと火傷してしまいます❗
蛇が3巻半している図柄を見たことがある方もいるかと思います❗



その蛇は普段は大人しくしているのですが、発動すると背骨の中にあるスシュムナ管へ熱いエネルギーが注入され頭頂から抜けて行くのですが、中々エネルギーが登りきれないと云うのが現実的に多いでしょう❗
と言うよりも、中々莫大なるエネルギーは発動しません❗
その莫大なるエネルギーの事をクンダリニーとインドでは呼ばれています❗
実は、幣立神宮は、中央構造線上に建ててあります❗
だから、磁石は、東西南北が定まりません❗
そんな場所だからこそ、土地は豊沃なのでしょう❗
カバラの生命の樹として、この図柄があるのは、正しく、地球内部から土地を通って巨木となるのは、大地にエネルギーがあるからなのだと思います❗
だからからこそ、【生命の樹】の実が豊富に有るのだと思います❗

で、天照大御神様が祭られているのは何故だろう?

永遠の命の「生命の樹」「扶桑国」に関心があったのだろうか❓

ホツマツタヱには、富士山(ハラミ山)に実を食べていたという記録がありますが❗


元々、この国に住んでいた旧石器時代の高度な知恵と技術を持った人々が海を渡り、中東へ渡り、チグリス・ユーフラテス川の辺に巨大文明を拓いたと思われます❗

それが、メソポタミア文明やらインダス文明ではないかと思います❗

そして、中国文明にも関わッていたのかも知れません❗

なぜかといえば、中国では、「生命の樹」の事を「扶桑の木」と呼び、永遠の命の木として讃えて、その木は、日本にあることを知っていました❗

だから、中国では日本国の事を「扶桑国」と呼んでいたのです❗


纏めると!


エデンの園とは、幣立神宮を想定し、幣立神宮の境内にある【生命の樹】からは、【新たな株】が【善悪知る木】と見立て、それを食べると言う事は、子孫を残す事が出来ないということです❗

幣立神宮の扶桑樹は、新らしい株を繋ぐことで生命の樹として15000歳を迎えていて、それこそ永遠の命だと言うことにも旧約聖書は、つなげていると思います❗

チグリス・ユーフラテス川の畔にメソポタミア文明が発展していきましたが、その主役はシュメール人と呼ばれている人達です❗️

楔文字やシュメール語をコミュニケーションとして、また、後世に伝えて行きました❗️

この人々が東の日出国(日本人)が日本から技術や敎育や道徳や信仰を伝えるために旅立ったわけです❗️

そして、また、日本に帰って来た❗️

もしかすると黄河文明もそうなのかも知れませんが、原住民の民族的な資質が余りにも違い過ぎて同化出来なかったかも知れません❗

黄河文明がやはり、シュメール人(日本人)だと思うのは、日本の経典には、「西の母神」(ウケステメ)伝説があり、崑崙山の崑崙王伝説があるからです❗

日本人が黄河から出て行ってからも日本人の教えを伝える努力を子孫がやっていたのでしょう❗️

黄河文明は、農耕民族ですから、水田についての技術を日本の稲荷神様に子孫(西の母神のウケステメ)が聞きに来ていると言う記録がありますからね❗️

繋がりを持っていたのでしょう❗️

確かに日本人と顔色が似てますよね❓️


By 古代の赤椿