考察


因幡の白兎の話は、鳥取県や島根県の海沿いの噺として捉えられているのが一般的かも知れませんね。

そして、因幡の白兎は、稲場の白兎なのかも知れませんよ❗


その理由は、朝鮮半島という大陸からやって来た鰐【ワニ】を連想させるからだと思います。

【鰐】というのは、【帆船】の事です。

古代の船は、動力ではありませんから、大きな帆を立てて風で航海していました。

ですから、古事記にあるたくさんの鰐とは、たくさんの【鰐船】【帆船】の事を指しています。


古代に於けるウサギの扱いは、老ウサギの皮を剝いで、その皮の毛皮を襟巻として人は使っていました。

寒い国等、例えば、ロシアは、熊の皮を剝いで毛皮のコートを作っていますよね。

日本では、ウサギ毛皮の襟巻でした。

古事記にあるウサギは果たして本当に白兎だったのか❓

白兎は白子の遺伝子を持つ特殊な兎だったはずです❗


日本の馬、牛は、農家で活躍をしていて大事にされていたものですから、御老体になるまで人間と共に人生を歩いていたものです。

そして、動物達の最期には、世話になった動物を苦しまないように殺して、人間の命として一緒に生きて行ったのです。

だから、食事する時には、その動物達の命に対する感謝を捧げる【いただきます】と人間の心の思いを動物達に告げた気持。

今でも食卓テーブルに食事と人間とを隔てる【箸】を置きますよね。

それは、生きてる人間と亡くなった動物との結界です。

横に置くことで【生と死の架け橋】にならないようにし、結界としています。

現在は、【いただきます】は、料理を作ってくれた人に対する感謝と教えているのでしょうか?

それを否定するつもりはありませんが、では、自分が料理を作っていたら、【いただきます】は、口にしないことになってしまいますね。

ですから、本来は、亡くなった動物や植物に対する命の畏敬なのかもしれません。

動物たちは、この世に未練はないともされています❗

それは、自然界のサイクルの中にある自然なものですから動物たちは何も感じてないと言うのです❗

人間の場合は、未練がましいかもしれません。


人間が鳥、猪、鹿の肉を食べことは、命をいただくのですから、動物一匹の内蔵を食べていました。

どちらかというと【ホルモン】の部分を食べることでエネルギーを大量に補給していたのです。

爪や骨は、道具を作る時に削ったりするものとして使っていました。

クジラも残す部分は無く使い果たしています。

東北宮城県には、鯨神社があるくらいです。

きちんとと供養しています。

鯨文化の無い国がギャーギャー騒いでいますが、日本人は日本人の心価値観を持って命に向き合う文化を持つ国だと思います。


本来なら人間は、古代から、子供の動物の肉を食べることはありませんでした。

現代の子羊、仔牛、雛鳥の肉を殺してまで金に目が眩むようでは、命と共に生きていないですよね。


さて、因幡の白兎の話に戻ります。

因幡の白兎は、稲場の白兎なのかもしれません。


古事記では、皮を剥がされた白兎は、塩水(海)で体を洗うように大国主様の兄たちからアドバイスを受けます。

このお陰で白兎は、消毒されバイ菌で化膿することが無くなったわけです。

確かに皮を剥がされた状態では海水は、体は痛いですよね。

兄たちは、白兎に大変良いアドバイスをしました。

このお伽噺は、意地悪な話だと勘違いしている教育をしているようですから、ハッキリ言うと親切心のアドバイスです。

そして、大国主様は、真水で洗い流し、ガマの油を塗ることを白兎にアドバイスしましたね。

これで、良い治療だったことを証明されました。

また、この噺は、大国主様が重い荷物を持たされていて、兄たちからのパワハラに見えます。

兄達は大国主様に一人辛い思いをさせていた噺になっているようにも捉えられてしまいます。

しかし、それは、大国主様が、他人には任せられない大事なものを運んでいたと捉えるのが筋だと思います。

兄達はイジワルではないことを白兎で証明していますから。

 

この御伽話は、本当は何処の因幡の白兎の話なのか?


それは、大国主様(スサノオ様の義理の息子)の国である【阿波国】です。

徳島県の橘湾の【蒲生田岬】が因幡の白兎の舞台だと思われます。

阿波国阿南市の蒲生野が舞台であるからこそ5月5日には【薬草の薬狩り】が行われている伝統行事があると思います。


あれ?島根の出雲【いずも】の国の噺ではないのか❓

この噺は、【いずも】の噺ではなく、【いづも】の噺なんですよ。

【伊津面】(いつも)(いづも)と捉えるのが良いと思います。


伊(2600年前の四国である伊予国の右の伊国であり、四国の右半分)の国の津(湊)に面する所です。

つまり、伊津面から遠くにある伊島が見えるギリギリの陸地(海ではない)の部分のことです。

【いずも】と【いづも】の違い、ややこしいですよね?

それが、古事記の罠です。

ここを間違わずに理解すると、邪馬台国の話が【邪馬蠹国】【大和国】【倭国】【阿波国】の話のことだと理解できますよね。


本来の古事記の原文にはそのように書いてあるのですが、本居宣長が勘違いしたのか、故意なのかは分かりませんが、後世に混乱を作った張本人なのです。

【蒲の油】は、細長い葉っぱの先端に赤紫色の円筒穂が付いている植物です。

蒲生田岬灯台の入口坂付近には細長い池が有って、そこに蒲の葉っぱが育っています。


これが、蒲の葉っぱです。

自生している蒲の葉っぱ。
夏〜秋に赤紫色の穂が出ます。
蒲の花粉は、止血殺菌鎮痛効果がありますから白兎(本当は白波だと地元民は言います)は喜んだ噺として纏めたのでしょう。
人間にも漢方薬として使っています。

蒲生田岬灯台。

手前蒲生田岬灯台で、水平線の島が伊島です。
白兎は、水平線の向こうの伊島に行きたかったのでしょうか。
と言うことにしたお伽噺。
ワニ(鰐船)(帆船のこと)が並んで白兎がワニの上をピョンピョン跳ねて見えますか?

つまり、この辺りは、貿易している帆船【ワニ船】(サメ船)がたくさん往来していた入口でもあるし、古代イスラエルから来たユダヤ人の大国主様が、この地にやって来たことを古事記にしたと思われます。
大国主様は、実際にワニ船【帆船】で渡来し帰化した人達なのです。

日本を故郷だと決意して原住民と同化した人達です。

話を少し戻していき、南からの風が吹くと、この様に岩に海水が当たり、白波が立つのですが、その白波【白兎】のタイミングが白波なのですから、南風が吹いて帆船の帆に風が当たり四国の南東側から帆船が北上出来た事を物語っているものと思われます。
つまり、大国主様は、南風が吹いていたから、橘湾から船が上りつけて上陸したタイミングと白波(白兎)のタイミングが同じだと言うことです❗
 大国主様が大事な荷物を運んでいたのは、イスラエルからの引っ越し荷物と言えるでしょう❗
そして、古事記での【八上姫様への結婚申し込み】と言うのは、八上姫様ではなく、【八倉比売】(天照大御神)に会い来たのか、それとも、大国主様と素戔嗚様とを入れ替えたのかは不明です❗
最終的に大国主様は、天照大御神の甥っ子に当たるので大御和神社(おおみわ神社)辺りでの暮らしでは、その一帯の地主(大国主様)になったと思われます。
しかし、もし、八上比売様は、入れ替えされ本当は、稲場姫様だとすれば、因幡の白兎は、稲場の白兎であり、稲葉は、稲の成る場所ということで稲田姫(櫛稲田姫様)のいる場所ということから、大国主様の話ではなくて素戔嗚様に途中から、入れ替えた可能性もあります❗
素戔嗚様は稲田姫様と結婚しているのですから❗
稲田姫様とは、2代目卑弥呼様である台与様(豊様)であり稲荷神様で五穀豊穣神様であり豊受大御神様と言う事になります❗
皇大神宮の神様です❗

そして、エルサレム大神殿にあったアークの鍵を天照大御神様は、大国主様に預けていたと思われます。
だから、阿波国の大御和神社の神紋が、鍵なのです。
大御和神社は奈良の大神神社の元宮です❗
大御和神社の祭神様は大国主様ですが、奈良では大物主神様とされ、表向きには大国主様とされてますが、奈良を征服したのは素戔嗚様ですから、大神神社には素戔嗚様が祭られていると思われます❗




白兎の治療をしてくれた神様達は、【医学に優れた民族】【医者】【薬学者】でもある優秀な民族だと理解できますよね。
2600年前から既に医術は高かった。

結論は、室戸岬【南東側】から北上するには、南風が必要であり、そのタイミングと同時に起きている現象は、蒲生田岬では、羅列している小岩に海水が当たり、白兎がピョンピョンしている【白波】状態だと【因幡の白兎の噺】【稲場の白兎】は言っているのです。

By 古代の赤椿