考察


どうでしょうか?

皆さんの中には八岐の大蛇の舞台は島根県出雲なのではないか?

と思っている人は多いと思います❗

それはそれで、楽しく古代史と付き合うことができれば良いと思います❗


さて、出雲と言う地名が付いたのはいつの事だったのでしょう❓


おそらくそう古いとは到底思えません。

一般的に云われている根拠は、素戔嗚尊様が八俣の大蛇退治をして奇稲田姫様を妻に迎えるに当たって発せられた言葉として伝えられているようです❗

私もそう思います❗

その素戔嗚尊様の歌は次のようです❗


古事記では、

【八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つけるその八重垣を】

と言う出雲大社の社殿の天井に描かれている雲のようなイメージなのでしょうね❓


しかし、出雲大社の創建は8世紀ですから、素戔嗚尊様と奇稲田姫様の社とはとても思えません❗


そもそも八岐の大蛇の話は、島根県の出雲ではないのではないか❓

と誰もが疑問を持って欲しいのです❗

もう一つ疑問持ってもらう為にイザナギ様は出雲の黄泉比良坂を駆け降りて禊をしたのが宮崎県筑紫の日向だと信じていることです❗

島根県出雲から宮崎県日向筑紫では最低でも600kmありますからね❓

当時の清い水は、いろんなところにありましたから、宮崎県日向筑紫まで来る必要はありませんよね❓


こんなこと長い年月を掛けても解決してないのは、根本的におかしいモノを基本としているからではないのか❓

そのように思って角度を変えて考え来るべきだったのです❗


そもそも藤原不比等が太安万侶に命じたのは、日本の歴史を忠実に書くことではありません❗

先祖である天孫族(天照大御神や側)の正当性を残すことでした❗

だから、素戔嗚尊様の事は容赦なく書かれていますよね❓

悪く書く必要は本当に自分あったのか❓


10代崇神天皇は、宮中の賢所に天照大御神様(八咫鏡)と素戔嗚尊様(大国魂)を一緒に祭っていたから疫病が流行ったと思い八咫鏡を宮中の外に出して伊勢に祭ったのでした❗

えっ❓

何故、天皇陛下の祖神を遠くに出すのでしょう❓

そして、素戔嗚尊様(大国魂)を地元の大國魂神社に祭りました❗

つまり、崇神天皇は大国魂が祖神だと知っていたと思われます❗


それでは、まずいので藤原不比等は、天孫族(天照大御神様側)の正当性を書かせて行く事となったという事です❗


太安万侶の古事記には、このように書かれています❗



古事記には
★「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
しかし、日本書紀には、
★「筑紫日向小戸橘之檍原」

と書かれています❗

2つとも【つくし】と書いていますよね❓
ここがポイントです❗
太安万侶の古事記には、【竺紫】(つくし)と漢字を宛てていますね❓
素戔嗚尊様と天照大御神様の喧嘩時代は、大和政権の及ぶ場所は、四国(伊予)だったのです❗
まだ、奈良県(大倭、大和政権)の樹立とはなってない時代ですからね❗
よって、太安万侶の【竺紫】(つくし)とは、インドの天竺と同じように【東の端】という意味になります❗
つまり、今の徳島県の東の海へ出る限界の場所のことです❗
【ツモ】と麻雀で言いますが、正しくツモった場所のことです❗
この国を【伊国】と呼んでいましたから【伊国のツモった所】を【伊ツモ】と表現したのです❗
漢字では【伊津面】(イヅモ)ですね❗
伊国の波際(津)の海(面)ということです❗

太安万侶は、きちんと書いていたのに【本居宣長】が、【筑紫】と【竺紫】を日本書紀に合わせたのです❗
折角、中国向けに日本書紀と国内向けの古事記において日本の成り立ちを四国から遠ざけたのに、日本国民まで混乱させた張本人が本居宣長です。
以降、本居宣長の古事記で勉強をしている人は永遠に日本の成り立ちを知らないままなのかもしれません❗

と言うことも含めて八岐の大蛇の舞台は四国の伊国阿波国の出来事だと言うことです❗

素戔嗚尊様は、川の氾濫を治水工事によって治めることが出来ましたね❓



治水工事が出来たから河川を上手く引いて水田に適度に水を送り込む事を可能としたのです❗
だから、水田の娘である【奇稲田姫様】と結婚出来ました❗
奇稲田姫様は、その名の通り稲の神様ですよ❗
つまり、みなさんが知っているお稲荷様のことです❗
五穀豊穣の神様だから、四国では大宜都比売様として慕われていました❗
そして、伊勢の天照大御神様の所に伊国【阿波国】の神様が外宮と内宮に二柱祭られたのです❗
豊受大神様とは、櫛稲田姫様であり大宜都比売様でありお稲荷様であり、豊玉姫様のことです❗
勿論、豊玉姫様は、鴨一族(加茂一族)ですから、船の事にも精通しています❗
だからこそ、宗像三女神様のリーダーでもあるのです❗
因みに豊玉姫様の兄は建布都神様(経津主とも言います)ですよ❗

皆さんの中にも知っている方は居ると思います❗
二人の女王卑弥呼様【日巫女様】のことです❗
中国人には、天照大御神様を馬鹿にされた卑弥呼と名前を付けられてしまいました❗
天照大御神様は、シャーマンですから薬草で占いますから、脳に刺激が行って神様との交信をされていたのです❗
そんなやり方を知らない中国派遣人は、狂った女王として記録され、紀元前7世紀の出来事を西暦200年頃の記録に載せたのです❗
それが、魏志倭人伝ですよ❗
日本の古事記、日本書紀もでたらめですが、中国だって上を行きました❗(笑)

さて、素戔嗚尊様は、八岐の大蛇退治をすると、そこには、素戔嗚尊様達以前の先人達の遺跡を見つけたのです❗
それが、加茂一族の加茂宮丿前遺跡という紀元前2000年〜紀元前1000年程のものなのです❗
また、若杉山辰砂採掘遺跡も近くにあります❗
どちらも中央構造線上にあります❗それがポイントです❗
そこでは、銅剣よりも、つまり、銅よりも価値ある朱赤銀を見つけられ鉄鋳造の跡見られたわけです❗
その中央構造線上の場所を天照大御神様に献上したということが天叢雲剣の献上話ということです❗










八岐の大蛇の特徴が古事記には記してありますよね❓
杉や苔や檜が背中に刺さっていて、八岐の大蛇のお腹には常に赤色の血が付いていた❗と❗
この場所には、たくさんの杉、檜があり土地の半分が覆われています❗
血が付いていたと言うのは赤色の朱銀の事ですね❗

そして、八雲立つ〜
と言う素戔嗚尊様の歌は、この辺りのことで山々は、高くはありませんが、連なっていて、あたかも一つ雲の連続に見えるのです❗

By 古代の赤椿