考察


古代イスラエルから徳島県(阿波国)に来たのはBC675年に2隻の舟が黒潮に乗ってやって来たわけです❗

イザナギ様(愛宕神様、火の神様)(イザナミ様の実の姉)は、最初に雨乞いの滝の上の神殿の方に住んでいました❗

イザナギ様自体が火の神様です❗

7年後に雨乞いの滝の上の神殿から出て行くことになります❗

それは、天照大御神様が其処にやって来たからです❗

イザナギ様は、古代イスラエル連れて来た部下たち100人を神殿に置いて行きました❗

そして、姪の大山祇様(月読様)の所に世話になります❗

伊弉諾神宮も多賀神社も愛宕神社もイザナギ様の事を言っています❗

天照大御神様と素戔嗚尊様はアークをめぐって喧嘩したわけですが、古代イスラエルのユダ国では、天照大御神様は、マナセ王のお后でした❗

それに引き換え素戔嗚尊様は、既に徳島県神山町の首長でしたからね❗


大山祇様(月読様)、天照大御神様、素戔嗚尊様の3神様は、ユダ国では、祖母である預言者イザヤ様はユダ王様に仕えるシャーマンでした❗

しかし、ユダ国王のマナセ王は、3神様の祖母イザヤの首をノコギリで斬って殺しました❗

預言者シャーマンイザヤとマナセ王の意見が食い違いが多々有ったので殺したとされます❗

マナセ王のお后である素戔嗚尊様の姉の天照大御神様には、マナセ王のイザヤ殺しを止める事が出来た筈なのに姉の天照大御神様は止めなかったと素戔嗚尊様は、常に思っていました❗

 だから、祖母のイザヤ様殺しを止めなかった姉の天照大御神様を尊敬には値しないと思っていたのです❗

神々様は、部下も含め天照大御神様をリスペクトしなくなったのです❗

それはそれは、身内に取りましたら、神々様が天照大御神様を嫌うのは当たり前のことですよね❗

✦このような経緯が古代イスラエルユダ国であり、日本国に先に来ていた素戔嗚尊様から7年遅れて来た

天照大御神様に対して、古代イスラエルユダ国での出来事をよく思っていなかったから、日本国徳島県(阿波国)に来てからも、その思いも有って喧嘩し暴れたのです❗

✦古事記はそんな改竄をしています❗


雨乞いの滝の上の方に神殿がありイザナギ様が住んでいました❗

しかし、7年後に天照大御神様が古代イスラエルユダ国から来たので、イザナギ様は、数人でその地を離れます❗

イザナギ様は、天照大御神様が雨乞いの滝の神殿に来てイザナギ様がその神殿から出ていく時に【愛宕神様】(火の神様)と名前を変えます❗

イザナギ様は、全国に祭られていますが、神社名が、伊弉諾神宮、多賀、愛宕神社、秋葉神社、多賀大社等の名前になっています❗

雨乞いの滝の神殿から出たイザナギ様は、姪の大山祇様(天照大御様、素戔嗚尊様の姉)の所に世話になります❗


古事記に書いてある【素戔嗚尊様の大暴れ】の原因を深く掘り下げれば、元々の古代イスラエルユダ国から出て来る前に二神には遺恨があったという事です❗


それは、

マナセ王のお后が天照大御神様で、天照大御神様、大山祇様(月読様)、素戔嗚尊様の3神様の叔母は、預言者シャーマンのイザヤ様に対しての天照大御神様の態度に起因していたものだと先程話しましたが、3神様の祖母のイザヤ様は、マナセ王の意見と食い違いが多発していたので、マナセ王は、イザヤ様をノコギリで処刑したのです❗

それを天照大御神様は、マナセ王の叔母の処刑を止めずにいた事にいた事を素戔嗚尊様は、恨んでいたのです❗

そんなマナセ王や天照大御神様を見ていた素戔嗚尊様は、このような王のユダ国では近い将来崩壊することを懸念して会議で日本に来ることを決めたのです❗

徳島県で阿波国に来ていた素戔嗚尊様が徳島県(阿波国)で周りからの信任を受けて首長となり土着民(縄文人)とも解け合い統率していたわけです❗

村々の農家も海運交易も順調に平和に行われていたのです❗

そこへ、7年後に姉の天照大御神様が勝手に来たものですから、素戔嗚尊様は、天照大御神様に対して何しに来たのか❓

となったのです❗

挙句の果てに、アークまで返せ、と天照大御神様が素戔嗚尊様に迫るというのはおかしいだろ❓

となったわけです❗

確かにアークは天照大御神様の夫のマナセ王のモノですから、天照大御神様に所持権利があるのだと思います❗

しかし、よっぽど、素戔嗚尊様は頭に来ていたのでしょう❗

そんな二神の喧嘩は、阿波国内では土着民(縄文人)をも巻き込み、神々も巻き込んだので大騒ぎとなり、経済、海運、農家等も社会的に回らなくなったのです❗

だから、村中が希望を失うくらい世の中は、まっ暗闇となりました❗

それが、【天岩戸隠れ】の真相です❗

そこは、古事記の暗闇の部分です❗

太陽と言うのは、希望の光でありそれを古事記では村中が失ったということを天岩戸隠れと藤原不比等や太安万侶が表現し、単なる神話にしてしまいました❗

天照大御神様が古代イスラエルユダ国でやって来たことを国民はみんな知っていて天照大御神様の事を嫌っていたと素戔嗚尊様は言います❗


古事記はその辺りの真相を削るから、話が紛らわしく読んでも辻褄が合わず、人は、この話は天上界の話だと勝手に思い込むことになした❗

2000年前の話が神話になるなんておかしな話ですよね❓


イザナミ様は、二神の喧嘩を予言していたので、吉野川の中州の伊射奈美神社に仲間のシャーマンと住んでいたのです❗

そこで、イザナギ様は、夫の武甕槌神様に打ち明けて、妹のイザナミ様の様子を見に行って欲しい、と頼み込みました❗


吉野川の中鳥島(美馬町)(中鳥城跡)の元宮である伊射奈美神社にイザナミ様はいましたから、そこに武甕槌神様は、訪ねて行きました❗

武甕槌神様は、イザナミ様のことを暫く様子を見ようと近くの半田町東毛田の【石堂神社】に滞在することにしました❗


🔯石堂神社❗



そして暫くして三野町の【加茂野宮】に移り住み、イザナミ様の様子を見守っていました❗


🔯三野町にあります❗
【山王町】です❗

加茂野宮❗
三王の武甕槌神様、貴布祢神様、経津主神様の神様❗三神様❗
三野と書いて【三王】の事です❗



するとそこに武甕槌神様の息子貴である貴布祢神様、経津主神様二神様が心配で来たのです❗

そして、素戔嗚尊様、大国主様、大山咋様、一言主様までも来てしまいました❗

その他の神々様も来たのです❗

武甕槌神様は、ユダ国では、信任されていたことを覗えますね❗


天照大御神様は、そんなに大群が武甕槌神様の所に集まった事を知り、猿田彦様と天太玉命様の様子を探りに行かせたのです❗

天照大御神様は、天照大御神様側に戦争を仕掛けること練っている会議でもしていると思っていたからこそ、天照大御神様は猿田彦様と天太玉命様を予めスパイとして送り込んだのでいたのすから❗


でも、そんな心配はなく、武甕槌神様は、素戔嗚尊様には、天照大御神様から誓約(うけひ)で貰い受けた三女神様がいることだから、この際、皆で結婚式をやろうと提案したのです❗

三女神様は、イザナギ様(夫の武甕槌神様)に連れられて、加茂野宮に着きました❗

そして、経津主神様には、田寸津比賣命様(多岐都比売命様)、大山咋様には、市杵島姫様を武甕槌神様との結婚指名しました❗

そして、仲人は、天照大御神様側の天太玉命様となったのです❗

ここは、素晴らしい武甕槌神様の采配でしたね❗

天照大御神様側との戦争など考えいないことを示すものですからね❗

武甕槌神様の息子が貴布祢神様で、貴布祢神様の息子が大山咋様となるのですから、古代から政略結婚式はあったのですね❗


つまり、天照大御神様側と武甕槌神様側の戦争は無い、と確信したわけです❗

もし、戦争していたら、武甕槌神様、経津主神様、貴布祢神様の戦闘軍団に天照大御神様側が勝てる訳ありませんからね❗


武甕槌神様は、古代イスラエルユダ国王のマナセ王のお后である天照大御神様に徳島県(阿波国)を譲る姿勢を示したと思います❗

それが、古事記で言うところの武甕槌神様が国を譲る【国譲り神話】として書かれているものです❗


By 古代の赤椿