考察
今の八倉比売神社は、江戸時代に、建立したものです❗
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八倉比売神社を蜂須賀茂吉が建立しましたが、1773年までは、杉生神社(すぎお)でした❗
また、嘗て八倉比売神社や杉生神社が無い時には、BC660年には素戔嗚尊様は、神武天皇として天王(初天皇)となり、天照大御神様は、7年後遅れで八倉比売神社から400m先の今の公園の竪穴式住居の上の方に神殿を建立しています❗
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今の八倉比売神社が無い時には、また、誓約(うけひ)成立した時には、素戔嗚尊様の前方後円墳を建立(BC660年)しています❗
前方後円墳とは、男子のみが入る古墳です❗
女子は、円墳に入るのです❗
だから、奈良県の桜井市の箸墓古墳は、卑弥呼様やモモソヒメ様は入らないのです❗
八倉比売神社の敷地は、元々、前方後円墳(素戔嗚尊様の王の為に造った)ですから、本当は八倉比売神社は無かったわけです❗
更地であるわけはありません❗
今の八倉比売神社社殿の後ろ側には、階段を上ると、そこは、男子禁制のシャーマン達の住処でした❗
素戔嗚尊様の前方後円墳の後円墳の部分がシャーマンの住処でした❗
そこに、奥の院として天照大御神様(初代卑弥呼様)(日巫女様)のお墓が後円墳の位置にあるわけです❗
今の八倉比売神社社殿の前面敷地が前方(円墳以外の部分)でした❗
江戸時代の中期までは、奥の院の階段を上がれる資格を持った者は、皇室と宮司だけでした❗
それ以外は、男子禁制❗
奥の院に上がる階段東側には、フツヌシ様(刀の神様)が、祭られています❗
北側には、大国主様を祭ります❗
西側には、大山祇様(月読様)を祭ります❗
南側には、天照大御神様を祭っていましたが、八倉比売神社社殿建立をして、今は天照大御神様の祠の跡があるだけです❗
ここの前方後円墳の円墳には、鹿屋野姫様(カヤノ)(豊玉姫様)を祭りました❗
古くの杉生神社があった古文書には、祭り方は、素戔嗚尊様と鹿屋野姫様(カヤノ)(豊玉姫様)を一緒に祭っていました❗
夫婦だからです❗
その時の素戔嗚尊様の名前は、【野槌の神様】(ノツチ)と言います❗
【鹿屋野姫様】(カヤノ)は、豊玉姫様のことです❗
✦纏めると、当寺で一番の問題となったのは、朝廷にとっては困ったのは、日本国は天照大御神様の国としているから、南側の祠(左右の狛狗石)では、国民にとっては不思議に思ってしまうから、社殿の八倉比売社殿の建立をしたのです❗
朝廷は、10代目蜂須賀茂吉に何とかならないか❓
と相談して行われたことです❗
そして、天照大御神様の祠を守る狛狗2体を八倉比売神社社殿の左右に配置しているのです❗
先程の写真で見て確認してください❗
ここの前方後円墳の前方の敷地の下層には、3m〜5m程の赤土を盛って土台作りしているのです❗
だから、長持ちも長持ちしています❗
八倉比売神社(1773年建立)の境内は、赤茶色の土が顕になっているから直ぐに目に付くでしょう❗
古代にとっての赤土とは、今のコンクリートと同じです❗
八倉比売神社社殿に行くための階段は急階段なのですが、階段の下の平地までが前方後円墳の前方なのですよ❗
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つまり、階段は前方墳のところを人間が上りやすくする為に階段にしたのです❗
気延山の古墳群の1号墳には、素戔嗚尊様の前方後円墳があり、2号墳(前方後円墳の後円墳の直ぐ西側)には、円墳があります❗
その円墳には、大きさが違う緑石が7個程ありますから直ぐに見つかるでしょう❗
この2号墳は円墳であり、素戔嗚尊様(野槌の神様)のお后ですから、鹿屋野姫様(カヤノ姫様)(豊玉姫様)だと分かります❗
豊玉姫様は、春日神社に祭られている神様です❗
何故なら母親が天児屋根様だからです❗
天児屋根様の夫が武甕槌神様です❗
当時の大王は、武甕槌神様でした❗
素戔嗚尊様から見たら、武甕槌神様の娘の豊玉姫様と結婚していたので、義理の父親なのです❗
だから、天照大御神様から誓約(うけひ)によって初代天皇に成ることを許されたのは、当時の大王である武甕槌神様の許可を得ていたことになりますから、この時点では、素戔嗚尊様は、王子神社に祭られているのです❗
当時では、(大王の子供)➡(王子)
BC660年の初代天皇陛下の次の天皇➡皇太子
By 古代の赤椿