考察
日本国の始まりは徳島県(阿波国)からとスタートさせると縄文時代の動きとしては、徳島県(阿波国)に物流の品物が届くようになっていて徳島県(阿波国)から朝鮮半島、中国への物流航路が出来たということです❗
物流の総責任者は、大国主様です❗
だから、司令官(大国主様)は、ずっと徳島県(阿波国)から出ることはありませんでした❗
大国主様は他の船長を選任したものです❗
交易舟は、宗像三女神様の部下達の銅鏡による灯台役を頼りにしていましたが、天候不良では、光通信は役不足となり、舟は別な場所へ漂着することになります❗
ですから、【火振神様】は、松明(松に火を点ける)(たいまつ)を光通信の代わりに使ったのです❗
その松明を使っていた場所が山口県萩市【見島】です❗
見島神社があり、住吉神社があります❗
静岡県の三島(みしま)とは、日本海側の小さな島の見島(みしま)の事です❗
三嶋大社の元宮は、見島の見島神社です❗
漂着した一行は、見島の住民にお世話になり、本土に戻る航路を住民から教えてもらい、本土ならどうにかなるということで辿り着いたのが島根県の出雲の国の日御碕灯台の所です❗
日御碕神社があります❗
これが出雲の国を造るきっかけとなっています❗
✦また、この出雲が記紀の国譲り神話の舞台ではない、ということです❗
その時代には出雲と言う地名もなかったから、徳島県(阿波国)の出発点となっている場所を地名にしました❗
それが、徳島県(阿波国)の橘湾の伊津面(いづも)です❗
古事記には、【いづも】と書いているのに島根県を【いずも】と書き間違えたのです❗
【づ】と、【ず】では全く意味が違いますからね❗
だから、後に【出雲】(いずも)と(いづも)伊津面を間違えたのです❗
交易の舟の色は縄文時代から【紅白】を使っていました❗
だから、紅白舟の色に合わせて日御碕神社は、紅白の色を使っていますし、日本の国旗も同じです❗
徳島県(阿波国)の住人が日御碕神社に辿り着いたのですから、出雲大社と呼ぶのではないのです❗
ですから、伊勢の神宮のように外宮から参拝し、次が内宮へ参拝するように、先ず日御碕神社を参拝してから出雲大社に参拝するのがマナーだと思います❗
纏めると、最初に古代イスラエルからやって来たのは、素戔嗚尊様一行の2隻のみです❗
黒潮に乗って来ましたから、西日本までしか、黒潮は流れていませんので東日本に古代イスラエルからは直接渡ることはありません❗
そして、古代イスラエルから直接日本海側の島根県にも行けません❗
この当時は、鰐舟(ワニ舟)でしたので❗
つまり、帆船のことです❗
日御碕神社から、出雲神社を造り、近くの杵築大社を出雲大社に改名して行ったのです❗
だから、出雲大社は徳島県(阿波国)から交易舟で日本に戻る時に山口県萩市の見島に漂着してから、住人に助けられ、本土の日御碕神社に渡って来たわけです❗
出発点は、大国主様の交易舟なのですから、出雲大社で祭るのは、大国主様なのです❗
現在の出雲大社の祭り方は、何かをバレないように祭っているのか、それとも、祭り方を知らないのか、疑問な祭り方をしていますからね❗
中心の本殿に大国主様を祭っていますが、右側の社には、天日鷲神様(指の神様)となっているようです❗
本当ならそこには、天照大御神様が来るべきなのです❗
何故なら、徳島県(阿波国)での天照大御神様、又は、義理の父親の素戔嗚尊様が祭られるべきかと❗
大国主様との二柱共に関係は、とても深かったからです❗
徳島県(阿波国)の【大御和神社】は、大国主様が主祭神様です❗
その本殿の右側に祭られているのは、岩に彫られています❗
●野神様(素戔嗚尊様)【野】
●豊玉姫様【玉】
●愛宕神様(イザナギ様)【宕】
●大麻草(長い茎の葉っぱの絵)
●大山咋様【咋】
●大国主様【鯉】
つまり、【野】【玉】【宕】【大麻草の絵】【咋】【鯉の絵】が彫られています❗
🔯結論は、徳島県(阿波国)では、この神々を祭っているのですから、この上の神々様を出雲大社の本殿【大国主様】の右側に祭るべきだと思う次第です❗
By 古代の赤椿