考察


徳島県(阿波国)の気延山にあった天照大御神様の神殿には、地元縄文人が、自分の身のお祓いや仕事で使う馬や牛も一緒にお祓いをやってもらっていたのです❗

西暦1500年頃までの事です❗




また、忌部国と言うのは、古事記にもある様に【国譲り】と言う言葉では有名ですが、島根県の出雲の話に改竄されています❗

この忌部国を天照大御神様は、欲しかったのです❗

何故なら、忌部国は、良質な【大麻】栽培が出来る場所だからです❗

だから、今も尚、天皇陛下即位には、天太玉命様忌部氏の子孫である三木家にお願いして皇室まで三木家自らが運んで来るわけです❗

三木家以外には大麻は持たせない大事なものですから、自ら皇居まで運んで来るのです❗


🔯三木家❗
忌部の祖神の天太玉命様(天日鷲神様の父親)の居た所です❗

 そんな忌部国が欲しいと大国主様に天照大御神様は、何度も何度も交渉人を選任しては派遣していたのですが、大国主様の返事はNOでした❗(記紀にある通り❗)


🔯忌部神社❗


🔯東宮御所神社ですが、今では、春宮神社と改竄されています❗
ここには、天照大御神様が忌部国をニニギノミコト様に統治して欲しいと言う願いから、天照大御神様は、ニニギノミコト様をここに住まわせていました❗
既に東宮御所に住んでいると言うことは、次の天皇陛下に住まわせていると言う意味の東宮御所なのです❗
ですから、東宮御所神社というのは、ニニギノミコト様を祭られています❗
今の皇室でも同じです❗

そもそも日本国では、大麻栽培は、今は法律で禁止されています❗
最終的に禁止されたのは、日本が戦争に負けた為に国連(連合国)から禁止させられたのです❗
本当は、大麻には2種類あるのです❗
日本の農家には、大麻栽培は、欠かせない生活するための糧となっていたし、国民にとっては大きな需要となっていたわけです❗
それを国連に取り上げられるわけです❗
農作物として栽培するものと医者が使うものとを分けての処置を取るために、また、農家を守るために大麻取締規制法を作った法律なのに全面禁止とされてしまったのです❗
インド大麻とは、全く違う成分であることも、繊維採取のために栽培しているならば良いとする大麻取締規制法が出来てたわけですが、敗戦後は、最終目的の問題ではなく、日本国が戦争に使っていた事による全面禁止となってしまいました❗
アメリカでは、州によっては、大麻はOKになっています❗ 
15州あり、アリゾナ、アラスカ、カリフォルニア、コロラド、イリノイ、メイン、マサチューセッツ、ミシガン、モンタナ、ネバダ、ニュージャージー、ニューヨーク、オレゴン、バーモンド、ワシントンDCです❗
 
ホテルでも大麻をホテルマンが、部屋に注文を取りに来ます❗
覚醒剤と違い常習性になるものではないし、気分がすぐれない時には、少し明るい気分になるものです❗
今の化学物質で造ったものよりもとても良いものなのです❗
化学薬品なら世界の利権なる、と確信している利権屋にとっては大麻は都合悪いと日本国では禁止させれたと思われます❗
それに、何処からか入手して来た大麻を研究すると、あらゆる病気治す力があるものとして今は確認されています❗
癌治療にも役立つ大麻成分だと分かりました❗
日本国で大麻栽培されてしまえば、医薬品に於いて日本国民の消費需要は、無くなることは、薬品会社にとっての利権は大損となりますから、折角戦争に勝った側としては、もっともっとお金を稼ぎたいわけです❗
保健医療とは、病気に対して処方されるものですから、【予防処方】をする医者には、保健医療界から追放されてしまうのです❗
3割負担という保健医療と言うものです❗
✦古代大麻は、シャーマンの必需品です❗
天照大御神様【日巫女様】が中国から来た遣いに見せた踊りが狂って様に踊ったのは、この大麻の作用と考えられます❗
だから、にほんでは【日巫女様】であっても中国人の目には【卑弥呼様】に見えたのです❗
その後々に時代が下り3世紀頃の魏志倭人伝に古代にあった出来事を追加して書いたと言うことです❗

しかし、神事に使用することを目的とするならば良いと言う事になり、天皇陛下や相撲、神社注連縄、大祓に使われているのです❗
✦実は、大麻は2種類と書いてますよね?
皇室には、アラタエの他に、薬剤としても献上しています❗
それは、天皇陛下が神々と繋がるために使用するわけです❗


それで、国譲りされる忌部国を天照大御神様が欲しかったのは、ニニギノミコト様の生活に必要なお金が永遠に見込めるから、と言う事です❗

倭大国魂神社に大国主様は居ましたが、忌部国の国譲り交渉人が来たならば、来たら来ただけ殺していました❗
国譲り出来ない理由は、忌部国は、素戔嗚尊様(父親)の土地だから❗
農家なら気持ちは分かるかと思います❗
先代が土地を子孫が繋いで来たのですから❗
素戔嗚尊様は、古代イスラエルから連れてきた仲間や土着民(縄文人)とともに一生懸命に働いていたのです❗
それを間近で見ていた大国主様は、自分の意思のみでは譲れないというわけです❗
ここで分かるように大国主様は、なんと義理人情に厚く、真面目な忠義な神様だと理解できますよね❓
この大国主様の性格を記紀や伝承では、「優しい」と解釈されていたのです❗
却って天照大御神様の方が義理人情が無い神様に感じてしまいます❗
どちらにも正義はあるのですが・・・・
天照大御神様側の交渉人の中に鴨島町上浦の【指】の文字が刻んである石碑がありますが、その神様は、とても小さい神様です❗
地元民からは、一寸法師に喩えられる程ですが❗(笑)
記紀では少彦名様としていますが、実は、天日鷲神様の事です❗
天日鷲神様は、忌部の祖神ではありません❗
天日鷲神様とは、天太玉命様(祖神)の御子の事です❗
天太玉命様(三木家の祖神)には、もう一人御子が居てその神様を天之鈿女命様と言います❗
だから、天日鷲神様と天之鈿女命様は、兄妹なのです❗
天之鈿女命様は、猿田彦様の妻です❗
猿田彦様とは、別名タヂカラヲ様です❗
記紀とは違います❗
最終的には、武甕槌神様(弓の神様)の御子であるフツヌシ様(刀の神様)が出て来ることになり、流石に国譲りすることになりました❗
もし、フツヌシ様が刀の神様の威厳と言う手段を大国主様に最初に使っていたら、大国主様は、フツヌシ様に死ぬ覚悟で戦いを挑んだと思います❗
だからこそ、大国主様は、短刀を背中に隠し持っていたのですから❗
フツヌシ様の大国主様への最初の切出し交渉は、これまでの大国主様の頑固な断りに対して賛同したのです❗
フツヌシ様は、立場が逆なら、大国主様と同じ道を選択していたでしょう、と大国主様に告げたのです❗
そこが、二神のラポートと言える殺し文句だったと思います❗
また、フツヌシ様は、素戔嗚尊様と西日本制覇の戦いの真っ最中でしたから、フツヌシ様は直接素戔嗚尊様に聞いたのです❗
✦この話は、記紀では、大国主様は事代主神様に聞いた事に改竄されています❗

そして、素戔嗚尊様の結論は、徳島県(阿波国)に残っている者達の為になる事を思えば、天照大御神様も徳島県(阿波国)に残っているのだから、天照大御神様に譲れば良い、とフツヌシ様に伝えたのです❗
そして、その手土産を持って滋賀県辺りでフツヌシ様は、徳島県(阿波国)に引き返して国譲り交渉人として忌部国に行くことになったわけです❗
大国主様の決死の覚悟を持ってフツヌシ様と会ったのですからね❓
最初は、滋賀県辺りでフツヌシ様と素戔嗚尊様の間で話し合いが行われているとは大国主様は知らない訳ですから❗
 それともう一つ逸話があり、滋賀県辺りでフツヌシ様と素戔嗚尊様は、戦いの真っ最中なのですが、フツヌシ様が徳島県(阿波国)へ一旦戻るということで、素戔嗚尊様は、フツヌシ様に伝言をお願いしています❗
それは、素戔嗚尊様は、自分の姉である天照大御神様の安否を心配していた事をフツヌシ様は天照大御神様に伝えるのです❗
天照大御神様と素戔嗚尊様との間で交わされた誓約(うけひ)は、実に理論的ですが、この話は情に訴えられたことで、天照大御神様は、弟の素戔嗚尊様と心から姉弟愛を取り戻す事になったのです❗
そして、大国主様の移り住む場所は、国府町の大御和神社(おおみわ)の場所に来たのです❗
神社には、【鍵の紋】が掲げられていますし、【蛇の紋】も神紋としています❗

さて、大御和神社の大国主様は、交易を始めています❗
大麻、綿、辰砂など舟での交易です❗
中国や朝鮮に運ぶ時の舟の色は【紅白】なのですよ❗
丁度、宗像三女神様を北九州に配置していたのでやりやすかったわけです❗
天照大御神様と素戔嗚尊様の誓約(うけひ)で、宗像三女神様が天照大御神様から貰う条件に入れていたのは、後々の交易に役立つことを予想していたのでしょう❗
天照大御神様が孫の為に忌部国の大麻栽培の土地が欲しいのは、孫にニニギノミコト様の安定した利益確保と言う理由だったわけですから、孫の為にと言うこと、また、祖母としては、普通の気持ちなのかも知れませんね❗

さて、交易が中国とも順調に行く中で中国からの使いとして気延山の天照大御神様の神殿に中国人がやって来ます❗
祈祷法を学びに来ました❗
中国人が天照大御神様の様子を見ていると天照大御神様の祈祷は、鬼の様な祈祷だったと中国に戻った中国人が幹部に報告しました❗
鬼教(ききょう)だと報告したのです❗
何かに取り憑かれた様な気狂いしたような動きは、異常であると報告したわけです❗
魏志倭人伝では、これを卑弥呼と言ったのです❗
このような異常なシャーマンは、日巫女ではなく、卑弥呼と差別的なイメージのネーミングをしたのです❗
差別用語になっているのは、鬼教(ききょう)に見えた中国人の報告があったからです❗
しかし、時系列がおかしくなりますよね❗
魏志倭人伝は、3世紀ですからね。

それは、3世紀に書かれている魏志倭人伝の時代に嘗ての過去のものまでも報告されていた話を魏志倭人伝に書いたからです❗
魏志倭人伝に書いてある事は、過去の事やその時代の事を混ぜて作り上げた物だったのです❗
流石、中国❗
日本国の記紀も負けてませんが❓

そもそも神々様を祭る神社は、何処に建てるべき社殿なのか理解してますか❓
 本来の神社の本体は、社殿と言う事ではなく【社】(森)(もり)です❗
その山(森)を守るために、切り崩されないように奥宮を山の頂上や森の奥に鎮座させています❗
【社】(森)とは、自然界を守る為に鎮座させているのです❗
だから、木々(森)の存在する場所に造って来たのです❗
森(社)がある場所には、水源確保をするのですから、人間が住めるわけです❗
また、森(社)がない場所に鎮座しているのには理由があるはずです❗
それは、地域密着、団結する場所
人と人とのコミュニティなどを目的にしている時もあるでしょう❗
本来は駆け込み寺、駆け込み社と言うようにその神社に逃げ込めば助かる場所に鎮座するというのが原則にありました❗
だから、神社の御神体と言うのは、本体の山や森であると言えるのです❗
だから【社】を「モリ」と解釈してたわけです❗
神社と言う存在は、【森を守る】のです❗
そこの水源を守るのです❗
よって住民の命を繋ぐのです❗
日本国の思想は、神社を守ることが森を守ることに繋がり、人間の命と豊かさをも守る思想なのですからね❗
大文明のメソポタミア文明、インダス文明、イースター島などが滅んだのは、本体の森と社とを結び付けて来なかったからです❗
森を破壊すれば滅びるわけです❗
 東京都は森を破壊して都市開発を計画して遂行しています❗
正しく滅びる東京都の想像が出来ますよね❓
メガソーラーを日本中に取り入れる事は破壊の力を発揮させているのです❗
次の東京都知事選で日本の将来の運命は、決定的になるでしょう❗

By  古代の赤椿