考察
太安万侶、藤原不比等による古事記に出て来る【高天原】とは、徳島県の【大川原高原】の事です❗
その証として【倭総鎮守王ヶ原神宮】があるのです❗
素戔嗚尊様達は、古代イスラエルからやって来るのですが、一神教で来た古代ユダヤ人は、もうユダヤ国は他国の攻めにより滅ぼされる事を予言されたので他国へ進出しようと会議で決まり日本に渡って来ました❗
そして、素戔嗚尊様一行ともう1隻の合計2隻で30〜40人で徳島県(阿波国)の阿南町の橘湾にやって来たのです❗
素戔嗚尊様は、徳島県(阿波国)の神山町の鬼籠野神社(おろの)に渡来した素戔嗚尊様一行が集結しました❗
その時、古代イスラエルから王の証のアークを船に乗せてやって来たのです❗
アークの他にも五穀や子馬等も船に乗せてやって来ました❗
そして、B.C675年に13代ヒゼキア王は退き、14代マナセ王が誕生しましたが、まだ、10代の若さでした❗
ですから、天照大御神様は、マナセ王の成長を見守らなくてはならなく、天照大御神様が徳島県(阿波国)にやって来たのは、B.C668年の事です❗
黒潮に乗って船は進みますから、かなりの時間が経ちました❗
素戔嗚尊様一行は、原住民(縄文人)からは、鬼の様に見えたのでしょうね❗
だから、鬼籠野と言う名前が付いています❗
移民としてやって来たので先住民と仲良くしなくてはなりません❗
かと言って言葉が通じるわけはありませんから、膝を地面に付けて両手を広げて「仲良くしてね🎵」とスマイルで先住民にアピールしました❗
そのポーズは、恰も島根県の出雲大社で見る大国主様の銅像の姿です❗
既に銅剣を腰にさげていました❗
後から7年遅れで来た姉の天照大御神様は、古代イスラエルの国璽(国印)を持って来ていましたが、マナセ王のアーク(2枚のモーゼの石板入り)も素戔嗚尊様から返してもらわなくてはなりませんから、素戔嗚尊様に詰め寄るわけです❗
しかし、素戔嗚尊様は、アークを天照大御神様に返さなかったのです❗
そこからが、弟姉喧嘩の始まりです❗
素戔嗚尊様が古代イスラエルから持って来たのは、中身は、2枚のモーゼの十戒の石板が入っているアークでした❗
アークは、宝の入れ物に過ぎませんが、古代イスラエルでは、アークを持つものが統治王と成れると信じられていたのです❗
天照大御神様は、素戔嗚尊様よりも7年遅れでやって来たのですから既に素戔嗚尊様は、徳島県神山町の王(首長)としての立場を先住民からも認められてやっていたのですから、アークを返せ、と天照大御神から素戔嗚尊様に言われてもそう簡単に返さなかったわけです❗
何度も何度も姉の天照大御神様からしつこく言われるものですから、素戔嗚尊様は、頭に来て、雨乞いの滝の上にある天照大御神様の大神殿に火をつけたのです❗
それが、古事記の和歌山県の熊野山林放火事件となっています❗
近くに住んでいた天照大御神様と素戔嗚尊様の姉である長女の大山祇様が動きました❗
✦今の焼山寺の山を大山といったのですが、その山をも素戔嗚尊様は焼いてしまいました❗
✦これも和歌山県の熊野の話となっています❗
当時は寺ではなく神社でしたが、空海の時代に空海が真言密教を打ち込んだ場所ですから、後の人は空海が寺を焼いたとして真実を消しました❗
✦後に和歌山県高野山に籠ることになります❗
そして、丹生津神社の建立にも関わったのです❗
本来の丹生は、徳島県の若杉山遺跡ですが、四国を隠す必要があったために和歌山県に徳島県と同じ地名を付けて行きました❗
丹生津神社もそうです❗
(本来の丹生は徳島県)
話を戻して、徳島県の焼山寺境内には、十二社神社として鎮座してるのです❗
この中には、三代大神様なの武甕槌神様、息子のフツヌシ様(建布都神様)、貴布祢神様が祭られているいます❗
貴布祢神様は、建布都神様とイザナギ様の間に生まれた神様です❗
そして、フツヌシ様は、大山祇様と結婚します❗
貴布祢神様には、別名もあり、貴舟神(キフネ)様、舟戸神様(フナト)、久那神様(クナト)、岐神様(クナト)等あります❗
大山祇様にも別名があります❗
機会を見つけて話しますね❗
フツヌシ様は、武甕槌神様と天児屋根(アマノコヤネ)様との間に生まれた神さまですが、姉に豊玉比売様がいます❗
フツヌシ様は、宗像三女神様のエツノシマヒメ様と結婚します❗
✦天児屋根様は女性なのです❗
大山祇様は、天照大御神様と素戔嗚尊様の喧嘩の合間に上坂大山に移り住みます❗
その証拠が、黒岩大権現様(大山祇様)です❗
✦ここには、昭和天皇が来られていて、昭和天皇が植えた杉の木が御神木のようにあります❗
そして、天照大御神様は、素戔嗚尊様が大暴れするものですから、危険を悟り気延山に移り住むことになりました❗
それが、岩戸隠れです❗
それが、天石門別八倉比売神社です❗
そこには、雨乞いの滝の上の天照大御神様の大神殿に使われていた祠石も新たな神社に移動しています❗
また、天照大御神様の化身である【くじら石】も健在です❗
そして、イザナミ様の姉であり天照大御神様の叔母であるイザナギ様(火の神様、火伏せ神様、知恵の神様、愛宕神様)が、天照大御神様と素戔嗚尊様の間に入り仲介役となる事を天照大御神様と長女の大山祇様に告げると二神は、了承しました❗
そして、後に船盡比売神社は天の安河の岸にある【誓約】(うけひ)した証の誓約石が三柱(速秋津姫様、貴布祢神様、猿田彦様)の石棒の間に誓約石がありますが、これが、アークを天照大御神様に返す約束と素戔嗚尊様が王様になることの約束の石となります❗
・猿田彦様は、天照大御神様の代理人❗(猿田彦様は天照大御神様の信頼の置ける家臣だから)
・貴布祢神様は、素戔嗚尊様の代理人❗(貴布祢神様は、武甕槌神様の長男だから)
・速秋津姫様は、二人の立会人であり証人です❗
(速秋津姫様は、イザナミ様の家臣)
池や海や湖や川等の中に祭られているのは、女性神様なのですが、主に弁財天様の宗像三女神様の事を言います❗
池は海の象徴や川の象徴です❗
何故、海や川に宗像三女神様が関与するのかと言えば、銅鏡を使った光通信の灯台の役目を果たしていたのが宗像三女神様なのです❗
だから、天照大御神様と素戔嗚尊様の誓約の中の条件には、天照大御神様に仕えていた宗像三女神様を素戔嗚尊様が貰う約束をしたのです❗
✦元々はイザナギ様の部下たちです❗
北九州に宗像三女神様が島毎に祭られているのは、貿易の要にしていたからです❗
古代イスラエル女性は、全員がシャーマンであるのですが、宗像三女神様は、イザナギ様から伝えられた光通信をも使いこなしていたのです❗
✦宗像三女神様は、指揮官として部下たちに命令を下します❗
そして、天の安河の船盡比売神社の場所での誓約には、素戔嗚尊様が西日本の制覇を目的にしたので、制覇した暁には、【天王】にして欲しいと言うことになりました❗
ですから、天照大御神様(イザナミ様の配下)の神々も武甕槌神様(イザナギ様の配下)も協力して新しい国作り(第二のイスラエル)に貢献する約束をして行ったのです❗
誓約が叶い、天照大御神様にマナセ王のアークが戻ることになったのです❗
対岸には、歯の辻神社(今の船盡神社)がありますが、素戔嗚尊様側の神社です❗
この誓約(うけひ)が、成立した時点で素戔嗚尊様は、王様となったのです❗
その誓約を決定した場所が、徳島県(阿波国)の入田町(ニュウタ)で今の徳島市になり、船盡比売神社となるのです❗
漢字で「丹生」から来ています❗
船盡神社は、B.C660年に素戔嗚尊様ではなく、神武天皇と言う名前で記録されることになります❗
🔯古事記には、イザナギ様とイザナミ様は、夫婦として描かれているのですが、江戸時代の古文書には、【姉妹】ときちんと書かれていたのです❗
江戸時代にも改竄したのです❗
大鳥居を入ったら右側には誰が祭られているのかを確認するとヒントがあります❗
よって、大山祇様、天照大御神様、素戔嗚尊様の母親がイザナミ様ならば、イザナミ様の夫の白山神社があるのです❗
徳島県(阿波国)では、白山神社(しらやま)とは言いません❗
【城山神社】(しろやま)と言います❗
徳島県(阿波国)でも本当は、白山神社と書いていましたが、何故か城山神社と書き換えたのです❗
この城山神社の場所は、前方後円墳の上に建っているのです❗
前方後円墳は、男神様のみが入るところです❗
城山古墳ですが前方後円墳で男神様で、女神様は、円墳に入ります❗
だから、奈良県桜井市の前方後円墳に卑弥呼様やモモソヒメ様が入っているというのは、おかしな話なのですよ❗
✦イザナミ様は、水の神様ですから別名は、弥都波能売神様、水波能売神様(ミズハノメ様)などあります❗
イザナミ様は、自ら生んだ天照大御神様と素戔嗚尊様の喧嘩は予想がついていましたから、イザナミ様は、吉野川の中洲の中鳥島にて、禊をしました❗
女性の神様ですからシャーマンです❗シャーマンは、禊をするのです❗
川や海や瀧などでもします❗
✦古事記のイザナミ様の死後にイザナギ様が逃げて禊をする行は、イザナミ様の禊の行動なのです❗
その禊をしていた中洲に自分の社を建てて多くのシャーマン仲間と一緒に暮らしていたのです❗
その神社は、暴れる吉野川で有名ですから、洪水によって社は流され、後に吉野川を上がった岸に再度建てました❗
それが、今の社殿な位置です❗
イザナギ様は、神山町に残りましたから、イザナギ様は、離れて行った妹イザナミ様を思いつつ神山町で踏ん張りました❗
そして、天照大御神様は、今の公園にあるやまびこの森にて神殿を造ったのです❗
長女の大山祇様は、黒岩大権現様として祭られています❗
素戔嗚尊様は、西日本制覇の為には、古代イスラエルでは自分よりも偉かった神様の所へ行き、武甕槌神様、フツヌシ様、貴布祢神様、一言主様、シャーマンの最高峰の天児屋根様イザナギ様、宗像三女神様などに協力の根回しをして行ったのです❗
そして、眉山に集結させたのです❗
その証が、溶造皇神社(素戔嗚尊様)なのです❗
多くの先輩方に集まってもらい、皆で協力して【勝つぞ!】との祈願をする出発点なのです❗
何故、溶造皇神社と言う名前が付いているのか❓
それは、ここまで心一つになるまでに至った経緯では、色んな思いがありましたから、そんな一人一人のマイナス思考(恨みや辛み)などは、ここでおサラバすると言う事で、全ての蟠りを溶かして、新たに造ると言う団結を生み、正しく王様たる王様【大王】後の【天王】【天皇】を目指して❗と言う意味合いがある場所です❗
眉山は、古代に於いては海の海岸でしたからね❗
眉山の麓からの舟出が西日本制覇の出発点となるのです❗
明治天皇が徳島県(阿波国)似来ています❗
神武天皇の顔と似てますが、明治天皇の銅像も建ててます❗
また、神武天皇像も建ててます❗
それは、素戔嗚尊様=神武天皇と言う事を知っているから神道の道に戻ることを誓ったのです❗
明治天皇が徳島県(阿波国)に来た目的は、仏教日本から、神道日本に立ち返る誓いを立てたのです❗
明治天皇は、徳島県民(八坂神社の氏子ら)から神武天皇像と言う名前ではなけ素戔嗚尊像と書いて欲しいとお願いしたのですが、明治天皇でもそれは出来ませんでした❗
それは、既に古事記にて全国に神武天皇の名前が広がっていたからです❗
By 古代の赤椿