考察


TBSのドラマでVIVANT(ヴィヴァン)を放映していましたね❗


その中に登場するキャストに阿部寛さんがいます❗

公安という立場の外交官とも言える立場のある人で警察官ですが、テロを未然に防ぐ役目を担っていますから、ドラマでは目立ちますが世間では目立ちません❗

テロ事件が起きてしまえば目立ちますが、その時は警察刑事が動きます❗

八咫烏が、自衛隊の組織の中に食い込まれているのは、日本国の自衛の為に動くからでもありますし、立場を自衛隊としていれば、別にCIA(スパイ)からも怪しまれませんね❗

また、自衛隊の中の特別組織(八咫烏部隊)を指揮する人がいるのでしょう❗

それは、下のエンブレムからも分かるように神武天皇の東征に熊野の地を知り尽くしていた人がいましたね❓

神武天皇を奈良まで導いてくれた人がいました❗

それが、【八咫烏】です❗

ですから1話の時に砂漠に主人公が朦朧としていた時に神頼みをしたシーンのセリフに出てきた神様は、天照大御神様(神話では天皇陛下の皇祖)でした❗

日本では、八咫烏と神武天皇とは切っても切れません❗

自衛隊組織の中の旗印が八咫烏を掲げているのは、正しく八咫烏の血を引く者を掲げていることと同義です❗


八咫烏は、普段の仕事は左官であったり、工事現場の人であったりもします❗

実際に潜入する人を「別班」(ベッぱん)と言ってますが、別班は八咫烏ではありません❗

八咫烏の部隊です❗

八咫烏は、司令塔であるのです❗


天皇陛下は、126代❗

八咫烏も歴代の血を引く者がいてもおかしくはありませんよね❓


🌟ある自衛隊の第4部隊のエンブレム(旗印)❗




それが、金であったり黒であったりします❗




そして、初代の八咫烏は、高皇産霊神の血を引く「オオチ様」別名久米道臣様(クメミチヲミ様)です❗ 

この方(八咫烏)は、何故、熊野の森を知り尽くし、神武天皇を戦略的な奈良の陥落に適切な道案内をすることが出来たのか❓

それは、ニニギノミコト様の兄であるアスカホノアカリ様が、遷都に遷都を続け様に行う強行をしたからに他なりません❗

一度遷都したばかりだから、直ぐには遷都をしてはいけません、と警告した補佐する2代目大物主の事代主のクシヒコ様と高皇産霊神の子孫のフトタマ様がいました❗

しかし、お二人は、再度の遷都する取り止め案は、アスカホノアカリ様を説得しきれませんでしたから、お二人は、辞任したのです❗

高皇産霊神の子孫フトタマ様は、アスカホノアカリ様に仕えるために常に奈良へ行く時にフトタマ様の息子のクシタマ様を連れ歩いていたので熊野の険しい道には慣れていたのです❗ 

クシタマ様も奈良へ行くときには、息子のオオチ様(八咫烏)を連れ歩いていたのです❗

ですから、神武天皇の東征にクシタマ様の息子のオオチ様(八咫烏)は、道案内役を引き受けたわけです❗


八咫烏の三本足とは、三種神器(アークの中の三宝)にて統治する意味を含むものであり、三人(三本足)は、「相手を枯らす」人❗

「相手をカラス人」

「相手を殺す人」


この八咫烏のモチーフは、聖武天皇からの伝統となりました❗

聖武天皇は、国分寺と国分尼寺を造ることを全国に命じたのですが、その時に祭られたのは、薬師如来様です❗

何故、薬師如来様だったのか❓

それは、薬師如来様とは、素戔嗚尊様のことなのです❗

えっ❓

何故、天照大御神様を祭らないの❓

素戔嗚尊様と薬師如来様と神武天皇とは何の関係があるのか❓


想像にお任せします❗


ヒントは、奈良の大神神社と箸墓古墳にあります❗


八咫烏は、天皇陛下を護る組織リーダーであり司令塔です❗

天皇陛下の周りではテロ事件が起きないのは、八咫烏が常に情報を掴んでいるからなのです❗


旧約聖書の中の預言❗

イザヤの預言❗


旧約聖書とはイスラエル民族の歴史を描いています❗

そして、イスラエル民族の第二の都のことまでが描いています❗


つまり、日本から始まり、中東に移住してからを描き、日本へ再度戻って来た事を描き、神様との約束を果たして行くことになります❗

その約束を果たすためには、八咫烏の力が必要でした❗

それは、弥生人と縄文人とが一致団結した国作りが必要だったわけです❗

その為に藤原一族(中臣氏)は、天皇陛下(持統天皇)を小さな国から大きな国へと変貌を遂げるために古事記、日本書紀を作り、その翻訳には、本居宣長が行い、日本の為にわざとなのか、翻訳には改竄が彼方此方に見られるわけです❗

🌟藤原不比等は、元の古事記を改竄しています❗

元の古事記の正式な名前は【磯上之古事記】(いそがみのふることふみ)と言います❗

【音読み】ではなく【訓読み】にて徳島県(阿波国)の天皇の歴史を書かれています❗

しかし、藤原不比等は、敢えて、磯上之古事記を改竄したのです❗その改竄のお陰もあり、小さな徳島県「倭国」から中央の奈良県「大倭国」へ名前が変えられ、「大和国」と変えて行きました❗

後世には、本居宣長も改竄に加わっていたのか、ただの間違いなのか、所々の出雲や筑紫の場所を違えて描いています❗

その間違いを日本人に伝えられて、かえって団結心を生んだのかも知れませんね❗

その団結心が日本人の強さだったと思います❗

何故なら、持統天皇から1400年以上の歴史を持つからです❗

もし、本当の歴史を書いて伝えていたら、日本の統一は出来なかったかもしれないし、王朝が続いていたのかは分からないのです❗


この作戦は、藤原不比等の功績なのか、武内宿禰の功績なのかは、分かりません❗


日本統一とする戦略的な改竄は、

日本人の和が広がって行くことになったのです❗

その輪(和)を広げた時に「大和」という名前としての朝廷が成り立つのです❗

そこまで行くためには、神武天皇の西日本の統一があり、景行天皇の息子の日本武尊様は、西日本から東日本という日高見国への東征を行うこととなったわけです❗

西日本の統一者に従わない者共を蝦夷とか東夷と言ったのです❗

従わなくても食べていけるだけの仕事貿易などがあったからです❗

しかし、従わない者は、武力によって制したわけです❗

相手は、縄文人ですから戦いには慣れていませんからね❗

単なる貿易商人ですね❗


By 古代の赤椿