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本格的な春が到来。この一週間は大阪・名古屋への出張と残業で追われる日々になった。そんな時、先日購入したばかりのこのアルバムが、疲れを癒してくれた。
バッハの無伴奏チェロ組曲。先日エントリーした「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」と同様、チェロ奏者にとってはバイブルともいうべき作品。それだけに、過去から数多くの奏者がレコーディングを行っているが、今回、自分にとって一つのスタンダードとなり得る演奏に巡り合えたような気がする。
その奏者の名はジャン=ギアン・ケラス。'67年生まれのモントリオール出身で、リヨンのコンセルヴァトワールを首席で卒業後、ドイツ(フライブルク音楽大学)と米国(ジュリアード音楽院)等で学んでいる。ロストロポーヴィチ国際及びミュンヘン国際コンクールで受賞歴がある。ピーエール・ブーレーズ創設したアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロ・チェロ奏者として'90~'01年まで活躍していた事もあり、現代音楽のスペシャリストでもあるが、そんな彼が今回、古典の名曲に挑んだ。

○チェロ:ジャン=ギアン・ケラス
 ('07年3月録音、Benjamin Kreigにて収録、ハルモニア・ムンディ・フランス輸入盤)
 使用楽器:1696製 Gioffredo Cappa
 

ケラスの個性が出た演奏、というよりも、ケラスがバッハと対話(ダイアローグ)している、そんなひと時を思わせる演奏だ。実に自然体のバッハ。演奏中のケラスの頭の中にあるのはバッハ作品への真摯な想い、そして、音楽を通じた敬虔な祈りだろうか。
弓がおもむくままに弦をこすり、音が奏でられた時、その空間は音楽で満たされる。楽器から旋律が奏でられた時の感動。書道家によって真っ白な紙の上に、文字が生み出される時の感動にも似ているかもしれない。無から有、そして有から無へ。無伴奏曲には音と音の行間の味わう楽しみもある。

これまで、既に古典的な名盤となっているパブロ・カザルスのSP録音、NHK交響楽団首席チェロ奏者の藤森亮一氏、古楽器を用いたピーター・ウィスペルウェイのディスクを聴いてきたが、それぞれの個性を感じる演奏ながら、自分にとってはこの曲にどこか敷居の高さを感じていた。今回、ケラス盤を聴いて、改めて無伴奏チェロ組曲の魅力に開眼できた。

今回、改めて思ったのはどちらかといえばメジャーコードの組曲(第1・3・4・6番)の方が自分の耳には馴染みやすかった事。「無伴奏ヴァイオリン~」と同様、朝の通勤時間にもよく聴いていたからかもしない。
有名な第1番の「プレリュード」はもちろん、チェロの中低音の魅力が出た第3番の「プレリュード」も実にいい。第3番の「クーラント」「ブーレー」も惹かれる演奏。
第4番はチェロの超絶技巧が要される後半の「ブーレー」と「ジーグ」が躍動感があって気に入った。
第6番もいい。第3楽章の「クーラント」はチェロの音域を駆使し、自由闊達な爽快感がある。「ガヴォット」は形式的な共通性もあるのだろうが、「無伴奏ヴァイオリン~」パルティータ第3番の人気曲「ガヴォット」に冒頭部分も似ており、親近感を覚える。「ジーグ」は、この組曲を締めくくるに相応しい終曲たる壮大さがある。

今回このアルバムを聴くにあたり、嬉しかった事が他に二つある。
一つ目は、最新録音で音が良い事。特典のDVDに、貴重なレコーディングシーンが収録されている。録音担当は女性の技師一人のみ。奏者の斜め上方向にスタンドマイクを立てるだけのシンプルセッティング。女性技師は別の部屋でアップルPCの画面を見つめ、奏者とマイクでやり取りをしながらセッションを進めるというもの。このシンプルさが高音質化にも貢献しているのだろう。教会というロケーションもいい(画像:下)。
QUADスピーカーもスピーカー全体が楽器のように共鳴し、実にいい音で鳴ってくれる。チェロは人の音域に近いというが、まさにその通り。深夜に聴いてもぴったりだ。

二つ目は特典DVDにケラスの演奏シーンも収録されている事。収録されているのは第3番の全曲で、今回無伴奏チェロ組曲を聴いた中で、好きになった曲だけに嬉しかった。
ちなみにケラスはジャケット(画像:上)ではダンディ風なイケメンの香りを漂わせているが(^^)、実際に演奏するケラスの姿は、40歳という年齢を感じさせない爽やかな好青年という感じ。レコーディングには1日一つの組曲ずつ、計6日かけてじっくり取り組んだという。焦らず、気負わず、バッハの時代の空気を感じながらじっくりと弾きこむ姿が印象的だった。


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