イタリアの巨匠、サルヴァトーレ・アッカルド(b.1941)盤をきっかけに好きになったブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」。以前、元ウィーン・フィルのコンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェル(1940‐1992)の名盤を、本ブログでは「ディスク世界遺産」としてエントリーしたが、ここにきて新たなマイベスト盤が加わった。ロシア出身のオレグ・カガン(1946‐1990)のヴァイオリン、スヴャトスラフ・リヒテル(1915‐1997)のピアノによるライヴ盤(ジャケット画像:左)。1986年の12月に宮城県の「中新田バッハ・ホール」で12月20日に行われた日本公演でのライヴに、一聴して引き込まれてしまった。
収録曲は以下の通り。
○ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 op.78『雨の歌』
○グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第2番ト長調 op.13
○ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
オレグ・カガン(ヴァイオリン)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
(1986年12月20日録音、中新田バッハ・ホールにてライヴ収録、Sacrambow国内盤)
生命の泉からパッションがあふれ出たような演奏。音自体が呼吸をし、起伏をつけながら前へと進む。それは、まるで川のような自然の流れ。毛筆に例えるなら、楷書体のヘッツェル盤に対し、草書体のカガン盤といえようか。どちらが良い悪いという事ではなく、アプローチの違いだけであるが、どちらも核心(ツボ)を押さえている。ヘッツェル盤は、彼の人柄までもがにじみ出ており、ある意味、人生の集大成としてのブラームスを感じさせる。
演奏時間にもアプローチの違いが垣間見える。第1楽章の演奏時間は、カガン盤はヘッツェル盤に比べると約1分、アッカルド盤と比べると約2分以上も早い。ピアノのリヒテルとの呼吸が合うからこそ、なせる技でもあるだろう。リヒテルはこの時、御年71歳、カガンは40歳。年の差の30近くもあるコンビとは、演奏からは微塵も感じられない。
プロフィールを見ると、カガンはダヴィド・オイストラフ(1908‐1974)の門下だという。オイストラフから受け継いだものもあるのだろう、内から湧き出でたパッションが、カガンの演奏にも見事に昇華されている。既に1974年頃からカガンとリヒテルは室内楽活動をスタートしているが、リヒテルとオイストラフ門下の親交の厚さも窺われる。
ブラームスといえば、オイストラフの息子、イーゴリ・オイストラフ(b.1934)がロンドン響と共演したブラームスの協奏曲の名盤を以前エントリーしたのを思い出した。ライナーノーツによれば、カガンはその4年後、43歳という若さでガンで亡くなっている。何とも早すぎるのが悔やまれる。
録音面では、残響がほどよくブレンドされ、ヴァイオリンの響きがとても美しく録れた優秀録音である事も特筆しておきたい。リヒテル自身、この日のライヴ・アルバムのリリースを望んでいたという。当時の国内レーベル、Sacrambowとは、'94年にモーツァルトの協奏曲のライヴ盤も残されており、共に貴重なライヴ録音となっている。
なお、この「雨の歌」のライヴの一年前には、カガンの師匠ダヴィド・オイストラフを偲んだドイツでの追悼コンサート・ライヴ盤(ジャケット画像:右、1985年3月録音、フライブルク、ドイツにてライヴ収録、ビクター国内盤)も存在するが、その白熱度は、録音の良さも含めて、この日本公演盤が上回っている。
収録されているグリーグとラヴェルのヴァイオリンのソナタは、今回初めて聴いた曲だが、その内なる情熱を、ここでもカガンが流麗な弓さばきで紡ぎ出しており、これまで管弦楽曲やピアノ曲で聴き馴染んできたグリーグやラヴェルとは、一味違うテイストを感じ取ることができた。そこでの天真爛漫さ、音の伸びやかさが素晴らしい圧倒的な名演で、このアルバムが改めて気に入ってしまった。
カガン、リヒテルとも二人とも故人となっているだけに、「雨の歌」の2枚目のディスク世界遺産として位置付けたい。