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以前から気になっていた映画をようやく見ることができた。「敬愛なるベートーヴェン」。ベートーヴェンの生涯を23歳の女性写譜師との出逢いを通じ、第9の初演に隠されたドラマやその後の人生を描いた感動的なストーリーだ。作曲家を夢見る女性写譜師は史実にはない人物だが、当時、同世代の女性作曲家が存在していた記録は残されており、フィクションでありながらも、ベートーヴェンの生き方を伝える貴重な役を担っている。監督のアニエスカ・ホランドが女性でもあり、その点も作用しているのだろう。

伝記映画はその偉人が生きていた時代にタイムスリップした感覚になれるのが嬉しい。現代からみたドキュメントという視点ではなく、同時代人になりきれる事で、映画の中盤の山場である第9の初演時までのドラマをリアルタイムで一気に追うことができた。

耳の病気と闘い、苦悩しながら作曲のペンを進めた「人間ベートーヴェン」。彼にはこの言葉がふさわしいような気がする。一方、モーツァルトは「神童」だった。教育家である父、幼少からスタートした作曲とピアノ、長期に渡る演奏旅行、ディベルティメントに代表される優雅な音楽。これらの環境の中で、ほとんど書き直す事もなく、作曲のペンを進めることができたのは正に天才だからこそなのだろう。しかし、ベートーヴェンは社会に迎合する事なく、自らの意志に従った音楽を創り出した。私小説ともいえるその内容は時に初演の失敗を招く事もあった。映画の中でも弦楽四重奏の初演のシーンで、そのあまりにも鮮烈な技法についていけない貴族が一人、また一人と会場から去っていく様子が描かれている。しかし、ベートーヴェンはそんな時でも落胆する事はなかった。

この映画で得た収穫は、ベートーヴェン作品の奥深さを知ったこと。特に後期の弦楽四重奏曲は人間ベートーヴェンが悟りの境地に達したかのような世界を描いた曲として描かれている。そこには「エリーゼのために」のようなロマンチストなベートーヴェンはどこにもいない。彼が辿り着いたもの、その人生の縮図が旋律となって曲になったかのようだ。あたかも昨年、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を購入していて早く聴こうと思っていながらも、まだ封を開けていなくて良かったと思った。彼の生き様を映画を見て知ることができた今、あらためて聴いてみようと思う。ベートーヴェン役のエド・ハリスの名演技にも感謝したい。

ちなみに、この映画が封切りされた昨冬は生誕250周年にあやかったモーツァルトブームや、秋にドラマ化された「のだめカンタービレ」のヒットもあり、公開当初はかなりの盛況ぶりだったようだ。さすがに2月も近くなった今となっては自分の見た渋谷の小さなシアターでもがらがらで、10人程度しか入っていなかった(平日の夜という事もあったが)。クラシックが再び脚光を浴びはじめた今、温故知新の精神でクラシックに接したい。クラシックの世界には常に新鮮な気持ちで向き合いたいものだ。

ここでも一つ余談を。この映画に一つだけ若干の違和感があったとすれば、第9初演の様子があまりにもモダンオケを使用したとしか思えない、バリバリの演奏だった事。後で購入したパンフレットによれば、数ある第9の録音の中で監督が採用したのが、気に入ったベルナルト・ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団によるものだという。初演当時の演奏にしてはハイクオリティすぎたわけだ(^^;