「スピットファイア」に続く、ウォルトンの映画音楽の作品で、今度は心の琴線に触れるメロディーメーカーとしてのウォルトンの作品も聴いてみたい。
曲は「ヘンリー5世」という映画(1944年)の中で聴かれる、『やさしき唇にふれて、別れなん』(英題「Touch Her Soft Lips And Part」)という曲。後に、ウォルトン自身、この曲を含め、「弦楽のための2つの小品」という作品にまとめている。約2分程の小品だが、ストリングスがひっそりと、慈しむように奏でる旋律は一度聴いたら忘れられない。
この曲を知ったきっかけは、「クラシック名盤この一枚~スジガネ入りのリスナーが選ぶ」(知恵の森文庫)という書籍を読んだ事だった。著者による絶賛のコメントや、英国指揮界の大御所、ネヴィル・マリナーの、「イギリス音楽における最も感動的な無言歌のひとつ」と評したコメントも紹介されている。
劇中では愛する人に捧げる曲として演奏されているが、ウォルトン自身はどういうインスピレーションを得てこの旋律を生み出したのだろうか。過去の映画音楽にしておくのはもったい程で、その洗練されたメロディー・ラインは、現代のドラマやCMに使われてもおかしくない。小品のコンサートピースとしても映えるだろう。
幸いにも様々なアーティストによって演奏された音源が存在しており、様々な編曲版も存在する。ここではまず、原曲のオーケストラ版でじっくりと味わってみたい。(ジャケット画像:真上より時計回り)
○ダニエル・バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団
(1973年録音、ブレント・タウン・ホール、ロンドンにて収録、ドイツ・グラモフォン輸入盤)
この曲を初めて存在を知るきっかけとなった演奏。「弦楽のための2つの小品」の中の一曲で、ウォルトン自身による編曲によるもの。ストリングスの響きがうまく捉えられており、70年代の音源ながら鮮度の高い優秀録音。会場の豊かな音場環境も影響しているのかもしれない。現状でのマイベスト盤。
○アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
(1986年2月録音、ワトフォード・タウン・ホールにて収録、ASV国内盤)
1985年6月にロイヤル・フィルの音楽監督に就任したアンドレ・プレヴィンがASVレーベルに残した数少ない希少録音の一つ。プレヴィン自身、映画音楽人でもあったので、ウォルトンには特別な敬意を持っているのだろう。ロイヤル・フィルとはテラーク・レーベルにもウォルトン作品を録音している。ここでは、サントラを初演した指揮者ミュア・マシーソンが1964年に編曲した、5曲からなる組曲版(演奏時間:約15分)の中の一曲として演奏されている。映画「ヘンリー5世」の中で、この曲が持つ位置付けや雰囲気を知ることができる。
○アンドリュー・リットン指揮 ボーンマス交響楽団
(1991年5月録音、ウィンチェスター大聖堂にて収録、DECCA輸入盤)
ガーシュウィンやラフマニノフ、シェエラザードのディスクでも取り上げた指揮者アンドリュー・リットンによるもの。編曲はプレヴィン盤と同様、ミュア・マシーソン版を使用。当時、リットンはボーンマス交響楽団の首席指揮者を務めており(1988~1994)、この時期、ウォルトンの主要な作品をボーンマス交響楽団と集中してレコーディングしていた。DECCAレーベルの意気込みも感じさせる。
○カール・デイヴィス指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
(1986年録音、アビー・ロード・スタジオ、ロンドンにて収録、EMI輸入盤)
以前、映画音楽のベスト盤や、ウェスト・サイド・ストーリーでもエントリーした指揮者カール・デイヴィスによるもの。プレヴィン盤と同じ組曲形式の中の一曲だが、編曲は英国の名指揮者、サー・マルコム・サージェントによるもの。この曲の持つ感傷的な側面を出すべく、後半部に“ため”を作ってエンディングに導くあたり、映画音楽人のカール・デイヴィスらしい。
○ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団
(1990年5月録音、セント・ジュード教会にて収録、CHANDOS輸入盤)
「ヘンリー5世」上映当時の音楽が持つ世界を、見事に蘇らせた“現代版サントラ”。編曲はクリストファー・パーマーによるもので、全編の収録時間は約70分に及ぶ。ここでの特徴はナレーションが付いている点で、「やさしき唇にふれて、別れなん」においては、原題の“Touch Her Soft Lips And Part”がナレーターによってしっとりと囁かれる。マリナー&アカデミーの、いつもながらに息の合った高品位な演奏が聴けるのが嬉しい。上記のミュア・マシーソンやサー・マルコム・サージェントによる組曲版以上に、ウォルトンの映画音楽の世界に浸れる一枚。