ブルックナーのシンフォニーは就寝時のBGMにもよく似合う。聴いていると、ヨーロッパの奥深い森の情景が思い浮かぶ。そんな大自然を感じているうちに、心地よい眠気に誘われる。
ブルックナーの交響曲の中でも第7番は自分の中で上位にランクインする曲。昨年見たクーベリックの交響曲第4番「ロマンティック」に引き続き、この第7番にも映像があった事を思い出した。巨匠、オイゲン・ヨッフム(1902-1987)がアムステルダム・コンセルトヘボウ管を率いて1986年に来日した時のライヴ。もともと2001年にCD盤(画像:右)が発売されていたのだが、2007年になってDVD盤(画像:左)が発売された。ヨッフムにとっては10度目の来日で、最後の来日公演となった貴重な映像。高齢のため、ジャケット画像にも写っている通り、赤い椅子に座っての指揮ではあるが、指揮姿はとても84歳とは思えないほどで、晩年もすこぶる健在であった事が窺える。
オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(1986年9月17日、昭和女子大学人見記念講堂にて収録、Altus国内盤)
映像を見るとヨッフムのブルックナー観が見えてくるようだ。ブルックナーの交響曲に必要なものはまずテンポ感だと思う。ピラミッドの土台をしっかりと固めてから石を一つ一つ積み上げるように、ヨッフムはゆったりとしたテンポで土台を固めながら、その上に音響を構築していく。そこには、例えばベートーヴェンの音楽に見られるような作曲家の意志の表れとか、指揮者の意志といった人間臭さは感じない。むしろ、もっと大きなものに包まれているような、大自然によって導き出されるような高揚感を感じる。ブルックナーの作品が教会音楽的と呼ばれる所以だと思う。
とはいいながらも、1楽章や、2楽章でのクライマックスでは、ヨッフムならではの人間臭さも感じる。一つ一つの音響を構築し、音楽的なクライマックスをどう築き上げていくかが、ブルックナー作品の醍醐味なのかもしれない。
その辺りは、さすが国際ブルックナー協会の会長を務めたヨッフムだけあって、長年の経験と技から生み出された音楽的な安定感を感じる。また、このアムステルダム・コンセルトヘボウ管を始め、ドレスデン・シュターツカペレなど、ブルックナーを表現するに相応しいオケに恵まれた事も一要因だろう。
ブルックナーのシンフォニーはオケにとっては難易度の高い曲だと思う。個々奏者のテクニック以上に、オケとしてのハーモニー感が試されるからだ。ピラミッド状のサウンドバランスが、まず展開できているかがどうかが、ブルックナーを聴く際の自分の中での一つのポイントとなっている。
映像ならではの良さといえば、個々の奏者の様子を眺められる事。
個人的には現在でもロイヤル・コンセルトヘボウ・ブラスでも活躍するペーター・マスース(1982年より首席)の姿を見れた事が嬉しいし、コンサートマスター席は「シェエラザード」でも美音を聴かせてくれたヘルマン・クレバース(?)が、どっしりと構えており、頼もしい。
女性奏者が意外と多いのも驚きで、例えばホルンセクションでは4人中2人は女性だ。
またアジア人も多い。どの奏者かは特定できなかったが、その中にはヴァイオリン奏者として活躍していたする奥村愛氏の父親(元アムステルダム・コンセルトヘボウ管のヴァイオリン奏者)の姿もありそうだ。
最終楽章を振り切った後、残響の余韻に浸る暇もなく、間髪入れずに発せられる「ブラボー」。ヨッフム自身、少し閉口したのか、舌を出す珍しいジェスチャーも。当時の日本ではカール・ベーム亡き後の巨匠の一人として神格化された感もある。
ちなみに、このDVDには特典映像が付いているのも興味深い。インタビュアーとのやりとりは次のような感じだった。
(以下、インタビュアーを「Q」、ヨッフムを「A」と表記)
Q:「ブルックナー解釈の基本理念は?」
A:「ブルックナーの音楽が素晴らしく美しいから好んでやっています」
「音楽的にいうと誤りかもしれないが、ブルックナーは今もなお人々が取り組み解決
すべき音楽的な問題を常に提起してくれるので、私には大変興味があるわけです」
Q:「ブルックナーの作風については?」
A:「語法はワーグナーに似ているが、その語法で表現しようとした彼の思想は
全く独自のものです」
Q:「日本の聴衆については?」
A:「フランスやイタリアなどのラテン語系の人々はブルックナーを中々理解できなかった
中で、日本の聴衆については非常に音楽的な聴衆の存在を感じている」
振り返れば演奏会場となった昭和女子大人見記念講堂は、自分自身、1995年にステージに立ったホールでもあったことを懐かしく思い出した。