北村先生を偲ぶメモリアルコンサートに行ってきた(2月24日 すみだトリフォニーホール)。何を隠そう、大学生当時、男声合唱団の一員として自分も北村先生の指揮で歌っていた一人だった。気が付いたら11年が過ぎていた。昨年の3月に逝去されたという。時代は変わっていくものだ。このコンサートでは氏の手塩にかかった合唱団がいくつも登場。少年少女合唱団からご年配の方々の合唱団まで。ああ、世代を超えて楽しめるのが合唱だよな、と改めて思ったものだ。案の定満席だったものの、客席は関係者と思しきご年配の方々が・・・。人と人とが声で結びつき合う合唱という形態は人脈交流も盛んにさせるのだろう。
どの団にもそれぞれのカラーがあり、持ち味を感じさせてくれた。優劣はつけたくないが、今ひとつ力不足が否めない団もあった。また、昨今の大学の男声合唱団の特徴としては現役とOBの合同による出演が目立った。100人規模で歌うことができれば、男声合唱ならではの重厚感が発揮できる。今回も四団体(東工大・上智・慶応・関学)がOBとの合同ステージでだった。現役組に新人の入部が減っているのが理由の一つだという。これは自分が所属していた頃から起こっていた現象だった。当時でも60~50人台。それ以前は100~150人の時代もあったのだから何とも時代の移り変わりを感じる。体育会系ではないものの男性のみというクラブ形態に馴染めない男子学生が増えてきたということだろうか。OBの出演によって現役と縦のつながりが図れることはもちろん素晴らしい。ただ、現役の中で本来作り上げるものが、ともするとOBのカラーに染められてしまう危険性があるような感じもする。現役にしか出せないカラーというものは必ず存在するからだ。その点、立教は男声・女声と個々の形態をとりながら混声としてもステージに上がっていた。こういう共存形態は今後もクラブの維持存続を図る上で一つの手法といえるだろう。
海外に目をやると、イギリスでは合唱ブームが沸き起こっているという。CDのチャートでも最近は何とアマチュアの男声合唱のアルバムが上位をにぎわせているらしい。もちろん、これには裏付けがある。イギリスはケンブリッジやオックスフォードに代表されるように聖歌隊の盛んな国。またプロムスラストナイトでの「威風堂々」に象徴されるように、国民が一つになって歌えるようなスタンダードな名曲もある。最近では、学校教育の場で合唱に取り組めば国から補助金も受けられるという。文化的、国家的な環境と基盤がある。
当日は母校も出演しており、懐かしさで一杯になった。ロビーで売っていたCDアルバムを記念に購入。その中には自分が当時メンバーの一員として歌っていた曲も収録されており、懐かしさに加えて感慨ひとしおな一日となった。
高校3年生の時、氏の指揮するアダンの「O HOLY NIGHT」のCDを聴いて男声合唱の世界に入ろうと決意したあの頃。自分にとってはかけがえのない青春時代だったように思う。
北村先生の指揮で歌った思い出と共に、ご冥福をお祈りいたします。