ロンドン響首席トランペット奏者のモーリス・マーフィーに引き続き、世界遺産ディスクの第2弾としてエントリーしたいディスクがあった。不慮にして登山事故で亡くなった、ウィーン・フィルの歴史に残る名コンサート・マスターのゲルハルト・ヘッツェル(1940‐1992)の白鳥と歌となったブラームスのヴァイオリン・ソナタのアルバム。
既にウィーン室内合奏団を率いるアンサンブルのリーダーとしてのモーツァルトの名盤はエントリーしていたが、このアルバムは彼の初のソロ・アルバムにして、生涯最後のアルバムとなったもので、まさに白鳥の歌となった録音。現在廃盤となっているディスクでもあり、貴重なレア盤にもなっている。
収録曲は以下の通り。
○ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 Op.78 「雨の歌」
○ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 Op.100
○ヴァイオリン・ソナタ 第3番 二短調 Op.108
ゲルハルト・ヘッツェル(ヴァイオリン)
ヘルムート・ドイチュ(ピアノ)
('92年1月23~28日録音、カジノ・ツェーゲルニッツ、ウィーンにて収録、キャニオン・クラシックス国内盤)
歌い抜かれたブラームス。まぎれもない、ブラームスのヴァイオリン・ソナタのマイベスト盤。全体を通じ、ヘッツェルは、こんなに熱いヴァイオリニストだったのか、と思うほどパッションがみなぎった演奏。ウィーン・フィルのオケのコンマスとして抱いてきたクールな印象とはまた違う、ヘッツェルの真の顔が見えてくるようだ。アルバムを聴き続けていくにつれ、ヘッツェルの演奏が熱を帯びているのが感じられる。ウィーン・フィルで培った伝統の美音を奏でながらも、ここでは一人のソリスト、一人の人間としての思いが込められている。
ソナタ2番・3番もそれぞれに味わいがあるが、やはり何度聴いても印象に残るのは「雨の歌」の1楽章。この楽章にブラームス自身の思いも詰まっているように思う。どことなく切ないメロディ。どこか人生の晩秋を思わせると同時に、過去を回想させるような世界がある。
以前、サルヴァトーレ・アッカルドの甘美な名盤もエントリーしていたが、まるでオケを聴いているかのような安定感があるのも、ヘッツェル盤の魅力。理由の一つとして、伴奏のピアノにはベーゼンドルファーが使用されていることがあげられるだろう。その腰を据えた音色が、ブラームスの音楽にはぴったりで、ヘッツェルの音色をどっしりと支えている。まさにウィーンの音がここにはある。
ピアノはウィーン出身のヘルムート・ドイチュ(b.1945)。ヘッツェルとは'89年にドイツでこの作品を演奏して以来のつきあいだというが、それだけに、実に好サポートを繰り広げている。アルバムに際して共演はヘッツェル側からの希望だったというが、結果として最初で最後の共演となった。
オーディオ評論家の故若林駿介氏がライナー・ノーツでレコーディング時の様子についての記載があるが、セッションは述べ6日間に及び、演奏・録音共に万全の体制でレコーディングが進められたという(画像下:レコーディング会場のカジノ・ツェーゲルニッツ)。双方に納得のいく音づくりを目指していたのだろう、それだけに、録音も極上の仕上がり。ヘッツェルのみずみずしい音が、べーゼンのピアノと共にディスクに刻まれた。
当時はブラームスのソナタを皮切りに、ベートーヴェンやモーツァルトのソナタのレコーディング計画もあったという。ブラームスについても、50歳を過ぎ、ようやくブラームスを録音する心境になったのだと思う。
そのレコーディングが終わった半年後の7月の登山事故での不慮の死。惜しまれてならないが、ヘッツェルのアルバムは後世、世界の人々に愛され続けていくことと思う。
最後に、ヘッツェルの信条を感じさせる一文が、共演者のヘルムート・ドイチュがライナー・ノーツに寄せた言葉の中にあるので、最後に引用しておきたい。
『ゲルハルト・ヘッツェル氏は、自分を常に作曲家、および作品のしもべである感じており、外面的な効果には、いつも不信の念で対していた。私が一度、ある最高音で、音をほんの小さく延ばしてルバートしてみてはどうかと言った時、彼はためらいながら言った。「良いとは思わないではないけど、でも“許されていいことだろうか?”」彼は作曲家に対して、決して“不実”にはなりたくなかったのである。』