世界各国のオーケストラには、過去から現在まで数多くの伝説的な名奏者が在籍している。トランペット奏者では既に、シカゴ響のアドルフ・ハーセス(1948~2001年まで在籍)や、ウィーン・フィルのハンス・ガンシュ(1985~1996年まで在籍)、フィルハーモニア管のジョン・ウォーレス(1976~1995年まで在籍)をエントリーしているが、もう一人、自分にとっては大事なプレイヤーがいる。ロンドン響のモーリス・マーフィー(b.1935)。1977年の首席奏者就任から2007年までの約30年間に渡って在籍したロンドン響の名奏者だ。
彼の名は知らなくとも、「スター・ウォーズ」や「スーパーマン」、「インディ・ジョーンズ」、「ハリー・ポッター」を一度でも観た事があるなら、彼の音色を聴いている事になる。いずれもロンドン響の演奏である事に加え、モーリス・マーフィーのトランペットがスクリーンを彩った曲だからだ。
マーフィーの活躍は映画だけにとどまらない。ロンドン響のメンバーによって構成されるロンドン・シンフォニー・ブラスをはじめ、ソリストとしても幅広く活躍していた。しかしながら、プレイヤーとしてのホームグラウンドはロンドン響。この辺り、オケを通過点としてソリストとしての道を歩んだガンシュやウォーレス、先日の紀尾井ホールで聴いたアントンセンと違い、ハ―セス同様、オケマンとしてのプライドを感じる。
マーフィーの引退にあたっては、各方面から彼の長年に渡るロンドン響への功績を讃える声が届けられた(LSOのHPに詳しい)。個人的には彼の音色を聴けなくなったのは残念だが、トランペット奏者の代名詞ともいえるハイドンとフンメルのトランペット協奏曲が収録された貴重な名盤を“ディスク世界遺産”としてエントリーしたい。アルバム収録曲は以下の通り。
・ハイドン:トランペット協奏曲
・フンメル:トランペット協奏曲
・アルチュニアン:トランペット協奏曲
・クラーク:ロンド
・クラーク/パーセル:トランペット・チューン&エア
モーリス・マーフィー(トランペット)
ロバート・ハイドン・クラーク指揮 コンサート・オブ・ロンドン
('89年11月録音、ヘンリー・ウッド・ホール、ロンドンにて収録、Collins輸入盤)
マーフィー54歳の油の乗り切っていた時期の録音。
コルネットのような柔らかなソフトさと、トランペットのシャープさの双方を奏でる天性の音色!そして、どんな難易度の高いフレーズでも見事に吹きこなしてしまう柔軟性あるテクニック!マーフィーの演奏を聴くと、ロンドン響がマーラーから映画音楽まで、どんなジャンルの曲でもこなせてしまうオケである理由が分かるような気がする。
マーフィーの柔軟な響きの秘密は、彼がコルネット奏者としてキャリアをスタートさせた事とも関係があるように思う。わずか12歳で全英ジュニアチャンピオンに輝いたり、金管バンドの名門、ブラックダイクバンドにもソロ・コルネットで在籍していた時代があった。
そんな彼の柔軟性は、例えばアルチュニアンのトランペット協奏曲にも見事に反映されている。オケマンによる協奏曲の演奏は、どちらかというと保守的になりがちだが、彼の場合は、ソリストと区別がつかないレベルに達している。p(ピアノ) の時はコルネットを、ff(フォルテッシモ)の時はトランペットを一つのフレーズの中で吹き分けているかのよう。
3曲の協奏曲の後に収録されたクラークとパーセルも貴重。トランペット本来のふくよかでクリアな響きは、古楽器サウンドとはまた対照的で、バロック音楽の楽しさを今に伝えてくれる。バッハのブランデンブルク協奏曲も彼の音色で聴いてみたかったなあとも思ってしまう。
自分にとって、ロンドン響はロンドンと日本でこれまで2度の実演に接した事があるが、2002年にピエール・ブーレーズの指揮でマーラーの交響曲第5番を聴く機会(大分・グランシアタ)があったのは今もって幸運だった。最近リリースされたデプリースト指揮のマーラーの交響曲第5番のディスク(トランペット・ソロはマーフィーが担当)や、チェリビダッケとの来日公演DVDで観るマーフィーの勇姿も今となっては貴重なドキュメントだ。
マーフィーの引退後、彼がロンドン響と共に創り上げたトランペット・セクションのサウンドは現首席のロッド・フランクスに受け継がれている。これからもディスクの上でマーフィーの音色を楽しんでいきたい。