
心に残る旋律というものがある。自分にとってはバッハの名曲、フランス組曲第4番の第1曲、「アルマンド」がそうだ。この曲は吹奏楽でトランペットを吹いていた高校生の時に知った。トランペットとバッハのフランス組曲...一見何の関連もないように思えるが、その接点はあこがれの金管アンサンブルの演奏レパートリーにあった。フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブル…1986年に解散して既に20年が過ぎた今でも伝説となっているイギリスの名門金管アンサンブル。彼らの残した偉大な功績についてはどこかで述べたいと思っているが、解散直前にヨーロッパの宮廷音楽をテーマに録音されたバッハの『ブラスのための組曲』(デッカレーベル)の中の一曲が、この「アルマンド」だった。(ジャケット画像下)
減衰音であるピアノの曲を持続音の金管楽器にアレンジするのは至難の技。おまけにソロ楽曲をアンサンブル用に編成し直すわけである。原曲の雰囲気は失わずに…。彼らはこの作業の工程を「編曲」ではなく、「トランスクリプション」(移行)と表現している。『ブラスのための組曲』もこのアルマンドだけでなく、イタリア協奏曲からのトランスクリプションものもあり、自分にとっては原曲を聴く前に、金管アンサンブルのトランスクリプションによって曲の存在を知った事になる。ちなみに、ゴールドベルグ変奏曲は、やはりオリジナルの前に金管五重奏によるトランスクリプションで全曲を聴いている。ある意味、異色な出逢い?なのかも(^^;
金管楽器というと、音が大きく、金属的な響きがする…とマイナス的イメージが時にもたれる事もある。ましてピアノ曲を演奏するなら尚更だ。でも百見は一聴に如かず、一度でいいから彼らの録音を聴いて頂きたい。パワーで押さない自然体の演奏にきっと驚かれる事だろう。トランペットから最低音のチューバまで、一貫して筋の通った高貴な音色のブラスアンサンブル響きは、大聖堂のパイプオルガンによく例えられる。
さて、その原曲のフランス組曲を聴こうと思ったきっかけは、タワーレコードが貴重な過去の名盤を発掘するシリーズ、「ヴィンテージ・コレクション」が発売された事だった。演奏はオーストリア出身の女流ピアニストのイングリット・へブラー。フィリップス音源で79年に録音。当時はへブラーは53歳。モーツァルトで高い評価を得ている彼女だが、自分にとってはこのCDがヘブラーの演奏を聴く最初だった。(ジャケット画像上)
その第4番のアルマンドを聴く。あのフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルと同じゆったりとしたテンポ感。これだ、と思った。オリジナルでも同じ感動が蘇ってきた。どこか切なさを感じる旋律。あのせわしいバッハ、というイメージはどこにもない。自分を見つめることができる癒しの音楽、とでもいうのだろうか、この曲を聴くと心が平静な気持ちで満たされるのだ。へブラーの演奏に拠るところも大きい。実は敬愛するピアニストの一人、アンドラーシュ・シフのフランス組曲の第4番を聴いてみたのだが、素晴らしい演奏でありながらも同アルマンドのテンポは早すぎて、自分にはついていけないのだ。自分にとっての最良のアルマンドはへブラーの演奏、という事になろうか。
へブラーは昨年モーツァルト生誕200周年の一環として来日する予定だったのだが、直前に急遽中止になった。名演を期待したファンは多かった事だろう。1926年生まれだから御年80歳。無理はできなかったのだろう。
ちなみに余談を…。このアルマンドに一時期、相当にはまってしまい、メロディーもシンプルである事から楽器店で原曲の楽譜まで購入したのだが、気が付いたら譜面立てに置きっぱなしになっていた。いつの日か、一曲マスターできる日を夢見て…(^^)