「革命」として、ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906‐1975)の交響曲作品の中でも最も著名な交響曲第5番。これまで2回の実演(マリス・ヤンソンス&バイエルン放送響、飯守泰次郎&東京シティ・フィル)に接してきたが、今回は作曲家直系ともいえるドミトリーの長男、マキシム・ショスタコーヴィチ(b.1938)がタクトを降った2つの「革命」を。エントリーするのは、1990年のロンドン交響楽団とのセッション録音と、1996年のプラハ交響楽団とのライブ録音の2枚のディスク。ロンドン響盤は、以前「祝典序曲」でエントリーしたディスクと同一のもの。このロンドン響盤が、ショスタコーヴィチ親子の存在を世に知らしめた事の意義は大きい。その6年後、プラハ響との共演によって今回のライヴ盤が登場。プラハ響とは足掛け10年に渡り、交響曲全曲演奏の機会に恵まれた事が一連のライヴ・レコーディングにもつながったようだ。レーベルのスプラフォン側としては、貴重なドキュメントとして、またマキシム自身としては、今度はライヴ録音で父親の作品の真価を改めて世に問いたかったのかも知れない。
マキシム・ショスタコーヴィチ指揮(両オケ共)
○ロンドン交響楽団(ジャケット画像:左)
(1990年1月4~6日録音、アビー・ロード・スタジオにて収録、Collins海外盤)
○プラハ交響楽団(ジャケット画像:右)
(1996年11月13日録音、ルドルフィヌム、プラハにてライヴ収録、スプラフォン海外盤)
この2つの音源は、オケの違いや収録環境も抜きには語れない。ロンドン響盤は、ロンドン響にとって数々のサントラ録音を行ってきた事でも名高いアビー・ロード・スタジオでの収録。
片やプラハ響盤は、スメタナ・ホールを本拠地とするプラハ響が、チェコ・フィルの本拠地であるルドルフィヌムを使用しての収録。第一楽章からルドルフィヌムの残響豊かなホールトーンの美しさに引き込まれてしまう。聴衆の入ったライヴというハンディはあるものの、録音上ではプラハ響盤の方が好みだ。
これまで、「革命」というと、終楽章の金管楽器の活躍ぶりに耳が奪われがちだったが、今回、「革命」を聴き込んでいく内に、それまであまり馴染みのなかった第3楽章の奥深さに聴き入る自分に気付いた。ストリングスによって表現されるその深さ、暗さは、どことなくバーバーの「弦楽のためのアダージョ」を想起させるものがある。中間部のむせびなくようなチェロの旋律は、作曲家自身の嘆きだろうか。
しかしながら、終楽章はやはり聴き所がたっぷり。さすが、ロンドン響の機動力が勝るが、プラハ響も負けてはいない。印象的なのは、終結部でのトランペットによる難易度の高いハイCのロングトーンのシーン。ハイCの一音前はややセーブしながらも、ハイC自体はフォルテッシモで吹き切ってしまう豪快なロンドン響のトランペット・セクション。この音は、おそらく首席奏者のモーリス・マーフィーだろう。片や、ライヴならではの張りつめた緊張感の中でのプラハ響盤。トランペット奏者にはかなりの体力が求められる中、振り絞るように発されたハイCが、演奏をより劇的なものにしている。このプラハ響の奏者には思わず拍手を送りたくなる。また、最後のティンパニの強打で、マキシムの唸り声が聞こえるのもライヴ盤ならでは。
トータルではロンドン響が勝るが、この「革命」においては、緊張感や燃焼度という点で、プラハ響も互角に渡り合っている。こういった面白さは、まさにライヴならではの醍醐味といえるだろう。マキシムの「革命」をきっかけに、ショスタコーヴィチ作品の奥深さが少しずつみえてきたような気がした。