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最近、自分にとってマイベスト盤となるショパンの演奏に巡り合う事が出来た。演奏者は、以前、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」でエントリーしたアゼルバイジャン出身の女流ピアニスト、ベラ・ダヴィドヴィチ(b.1928)。知名度は国内ではあまり知られていないかもしれないが、1949年の第4回ショパン国際コンクールで、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(1922-2001)と1位を分け合ったピアニスト、といえば、そのレベルが窺える。
ショパン作品はあまたの録音が存在するだけに、その数の多さからも、多少食傷気味な所があったが、このベラ・ダヴィドヴィチの演奏には、ショパン像の一つの理想の姿があると感じ、改めて作品の奥深さを知る思いがした。

収録曲は以下の通り。
(ジャケット右がオリジナルのフィリップス盤、左が廉価盤のブリリアントクラシックス盤)。

○バラード
第1番 ト短調 Op.23
第2番 ヘ長調 Op.38
第3番 変イ長調 Op.47
第4番 ヘ短調 Op.52

○即興曲
第1番 変イ長調 Op.29
第2番 嬰ヘ長調 Op.36
第3番 変ト長調 Op.51
第4番 嬰ハ短調 Op.66 「幻想即興曲」

(1981、1982年録音、ロンドン及びスイスにて収録、フィリップス輸入盤)


実に叙情的なショパン。ともするとテクニカル至上主義になりがちな演奏もある中で、ダヴィドヴィチの演奏にはテクニカル面にまして詩情が前面にあふれている。テンポや表情付けに必然性があり、聴いていてつい引き込まれてしまう。
ダイナミクスの付け方も十分なのだが、力で押すタイプではないのは女性ピアニストならではなのかもしれない。フォルテでも音がうるさくならず、全体的にまろやかに鳴るのは楽器によるものだろうか。聴いていて疲れない音だ。

バラード、即興曲とどの曲も素晴らしいが、特に印象に残ったのはバラードの第1番。ショパンの作曲当時の背景が伝わってくるような 思いの詰まった演奏。旋律がそれぞれ有機的に関連し、曲全体にストーリー性が感じられる。ロシア出身のピアニストというと、どうしても骨太な演奏を思い描いてしまうが、ベラ・ダヴィドヴィチには当てはまらないようだ。彼女から一音一音紡ぎ出される綺麗な音が、シュパンにはよく似合う。ショパン国際コンクールで1位となったのも、このディスクを聴いていると納得できる。

第4回ショパン国際コンクールで1位に輝いたのが1949年、フィリップスレーベルへの録音が1981年と、実に32年もの時間の開きがあるのは、彼女の波乱万丈な人生に起因しているようだ。
一つ目は、コンクール翌年の1950年に、ヴァイオリニストのユリアン・シトコヴェツキーと結婚し幸せな時期を送るも、1958年に夫を肺癌で死去していること。二つ目は、同じくヴァイオリニストで子息のドミトリー・シトコヴェツキー(b.1954)が、1977年にアメリカに亡命した後を追い、ダヴィドヴィチもアメリカへ亡命し、移住していること。夫に先立たれたダヴィドヴィッチにとっては、父と同じヴァイオリンの道を歩んだ息子ドミトリーはかけがえのない存在だったに違いない。

その後、ドミトリーは1979年にヴァイオリンの国際コンクール(ウィーンで開催された第1回フリッツ・クライスラー国際コンクール)で優勝。一方、ダヴィドヴィチも同年カーネギー・ホール・デビューの成功を果たし、両者とも名声を獲得しつつあった時期に、フィリップスへのレコードデビューを飾るという大きな一歩を踏み出している。また、1982年からはジュリアード音楽院で教鞭を取るようになったり、ドミトリーとの室内楽のレコーディングを始めたりと、公私ともに順調だったようだ。アメリカ移住までの幾多の困難な時期を乗り越えてきたからこそ、テクニックだけではない精神的な深みが、演奏にも現れ出ているのかもしれない。
ちなみに、ドミトリーの大きな功績の一つとして、バッハのゴールドベルク変奏曲の弦楽3重奏版への編曲があり、以前本ブログでもエントリーしていた。こんな所にも、ダヴィドヴィチと関連があるとはびっくり!

録音もフィリップスだけあって、1980年代のデジタル録音初期の最良な状態で聴けるのが何より嬉しい。ご健在であれば、今年81歳になるダヴィドヴィチ。自分にとって、これからの愛聴盤となっていくことだろう。