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今宵はクラウス・テンシュテットがベルリン・フィル、ロンドン・フィルと共演した2種類の名盤を。現在まで不動のマイベスト盤。
改めてこの2種のディスクを聴き比べてみて、色々な発見があった。どちらも名演ながら、セッション録音とライヴ音源、約10年という録音年月の隔たり、ドイツと英国のオケ、テンシュテット自身の置かれた境遇、という個々の環境が、それぞれの演奏に違った個性をもたらしている。演奏に甲乙はつけたくはないが、'88年の来日公演の映像が鮮烈な記憶となって残っている自分にとって、ロンドン・フィルとのライヴ音源は一際光った名盤だと思う。

○ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ('82年12月、'83年4月、フィルハーモニーホール、ベルリンにて収録、
  EMI国内盤)


オフィシャルなセッションでの録音としては唯一のワーグナー管弦楽曲のアルバム。基本的にこれ以上望むものはないと言える程の、理想的な名演。ロンドン・フィルとのライヴ盤に出会うまで、自分にとってのスタンダード盤だった。また、ベーム&ウィーン・フィル盤をCDで聞く前に、中学生当時、足繁く通った図書館で借りたカセットテープで初めてこの前奏曲を全曲聴き通したのがこのベルリン・フィル盤(当時はまだCDプレーヤーを持っていなかった) で今もって懐かしい(^^)

演奏は充分気迫のあるものだが、ベルリン・フィルは当時まだカラヤンの政権下。今改めて聴いてみると、どこかカラヤンサウンドに聴こえてしまうのも否めない。後年のロンドン・フィルとの血の通った白熱のライブ盤と比較すると、その思いを強くしてしまう。

'78年から'84年にかけて、テンシュテットはベルリン・フィルとドボルザークの「新世界」やブルックナーの「ロマンティック」等、名曲中心としたセッション録音を残している。しかしテンシュテットにとって、ベルリン・フィルとのワーグナー管弦楽集は本人自ら実現したかったプロジェクトだったに違いない。事実、'80年の10月に「ニーベルングの指環」より代表的な6曲を録音した後、'82年の12月と翌年'83年の4月の2回に渡り「マイスタージンガー」前奏曲を含む5曲を別途録音している。それが現在でもCD2枚組でのアルバムで手に入るのは嬉しい。個人的にはテンシュテットがベルリン・フィルと残したアルバムの中で最も代表的な名盤といえると思う。

録音はサウンドのトータルバランスはいいものの、分離感にやや欠けるのが惜しい。これもEMIのカラーか?当初輸入盤を所有していたが、国内盤24bitによる最新リマスタリングの再発で音質が向上したのは嬉しかった。

○ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 ('92年8月20日録音、ロイヤル・アルバート・ホール、ロンドンにて
  ライヴ収録、LPO輸入盤)


ロンドン・フィル自主制作盤からのライヴ音源。
実に密度の濃いマイスタージンガー。ベルリン・フィル盤と比較すると、手兵のロンドン・フィルを完全に手中に収めており、テンシュテットがオケを自在にドライブしながら、自身のワーグナーへの熱き思いを曲に込めているのが感じられる。
それは例えばホルンセクションの巧みな扱い方にも表れているように感じる。ベーム盤さながらの「行進の動機」での、ホルンセクションの力強さや、木管セクションの「マイスタージンガーの動機」での中間部の豪快なソロといったら!つくづく、ホルンはワーグナーサウンドの隠れた主役だと思う。

全体ではベルリン・フィル盤より約30秒長くなっているものの、冒頭部分は早く、中間部以降は落とし気味でテンポが運ばれている。その分、旋律をたっぷりと歌わせており、曲の起伏が実に見事だ。ライヴならではの高揚感も好影響し、一つのうねりを作り出しているように感じる。録音時期からするとプロムスのシーズンであり、先日エントリーしたモーツァルトの「ジュピター」同様、ロンドンっ子も熱狂したに違いない。

演奏当時テンシュテットは66歳。喉頭癌の苦しみと闘い、翌'93年をもって演奏活動を事実上引退する事になるが、曲への思い、音楽への思いをライヴでおそらく表現しつくせたであろうテンシュテットは、ある意味幸せでもあったと思う。

録音はライヴながら解像度も高く、オーディオ的にも充分に満足のいくサウンド。

最後にテンシュテットの生き方をよく示す一文をベルリン・フィル盤のライナーノーツから引用しておきたい。

『テンシュテットは世界的な名声を得てからも「私はいったい何者なのだろう。一介の田舎指揮者にすぎない者が、一流の大指揮者としか仕事をしたことのない演奏家たちを指揮するなんて」と自問し、常にリハーサルから全力を投入し、コンサートが終わった後は、拍手に応えるためにステージに戻れないほどだったという~』