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続いてプラハ編を。こちらも、チェコの代表曲といえば、スメタナの「モルダウ」と、ドボルザークの「新世界」はまず外せない曲。プラハのモルダウ河を眺めながら、スメタナの「モルダウ」を聴く・・・まさに「世界ふれあい街歩き」の雰囲気そのものだ(^^) 一方、ドイツの作曲家ながら、白熱した演奏で印象に残ったが、アルブレヒトとチェコ・フィルによるブラームスの交響曲第1番のライヴ音源。移動中のバスの中で、ヨーロッパの平原を窓越しに眺めながら思わず聴き入ってしまった。主にチェコ・フィルを中心に、チェコの国内外でのマエストロ達によるものをプレイリストに入れてみた。(ジャケット画像:左上より右回り)

【スメタナ:わが祖国より「モルダウ」】

○ヴァーツラフ・スメターチェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 (1980年9月録音、ルドルフィヌム、プラハにて収録、DENON国内盤)
○ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
 (1984年5月、ヘラクレスザール、ミュンヘン、オルフェオ海外盤)>


指揮者は同じチェコ出身ながら、片やチェコの楽団、片やドイツの楽団による演奏。どのような表現の違いが生まれるのか興味深い所。2つの「モルダウ」を聴き比べてみて、自分とってはクーベリック(1914-1996)盤の方が好みと感じた。スメターチェク (1906-1986)盤は正当派なモルダウだが、やや力で押す感が目立つ。ストリングスの澄み切ったサウンドで、豪快な川の流れや情景は描写されていながらも、スメタナの情感といった面ではやや乏しいと感じた。
一方のクーベリック盤は、祖国愛を感じる熱い「モルダウ」。全体を通じて、哀愁が漂う。クーベリック自身、祖国を離れた事が、結果として強い民族性を意識した音楽へとつながっていったのだろう。冒頭の木管のソロにおける、フルートの繊細なイントネーションや、クラリネットとの掛け合いも絶妙で、バイエルン放送響の木管セクションの名技も冴える。終結部のトランペットの咆哮はまさに祖国への望郷そのものだ。

【ドボルザーク:交響曲第9番「新世界」より第4楽章】

○ゲルト・アルブレヒト指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 (1996年1月、ルドルフィヌムにて収録、キャニオン国内盤)
○ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 (1995年1月、ルドルフィヌムにて収録、キャニオン国内盤


「新世界」の中で熱いフィナーレを迎える4楽章。この2つのディスクは、同じチェコ・フィルによる演奏で、同じレーベルという点で興味深い聴き比べとなった。異なるのは、アルブレヒト(b.1935)はライヴ録音(チェコ・フィル創立100周年を記念した際のもの)、ノイマンはセッション録音という違いだけ。聴衆の有無による残響豊かなルドルフィヌムのホール・プレゼンスも違いも体感できる。ノイマン盤のライナー・ノーツに、このルドルフィヌムについての記載があり、「低域での間接音成分の分離の良さ、高域での繊細な粒立ちが印象的である。空間に消えゆくエコーの末端がデリカシーに富み美しく、客席の全てのシートで音響エネルギーが平坦なバランスに保たれた理想的なホールである」とのオーディオ評論家の斎藤宏嗣氏のコメントにも納得できる。
ライヴゆえか、アルブレヒト盤の方が熱を帯びた演奏という点で一歩上回るが、ノイマン(1920-1995)盤は、チェコ・フィルとの長年の信頼関係を感じさせる味わい深い演奏。当年の9月に亡くなっているため、まさに最後の「新世界」で、これまでの集大成というに相応しいレコーディングとなっている。
同じチェコ・フィルを異なる名指揮者で録ったキャニオン・クラシックス(現在のエクストン・レーベル)のこだわりもさすがだ。

【ブラームス:交響曲第1番】

○ゲルト・アルブレヒト指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 (1992年12月録音、ルドルフィヌムにて収録、キャニオン国内盤)


以前エントリーした「謝肉祭」のカップリング曲。ドイツ人の指揮者、アルブレヒトがチェコ・フィルを振ったブラームスで、今回のプレイリストにも入れていた。アルブレヒト自身にとって記念のライヴという意味合いもあるのだろう、実にホットなブラームス!アルブレヒトは全体的に早いテンポでぐいぐいと一直線に突き進めるが、そんなテンポに、ぴったりと寄り添うチェコ・フィルのレベルの高さに驚かされる。芳醇なストリングスや4楽章のホルンの冴え渡るソロ(おそらくその一人は首席奏者のズデニェク・ティルシャルだろう)も聴き逃せない。チェコ・フィルによるブラームスの交響曲録音は数少ないだけに、特にこのライヴ録音の存在は貴重といえるだろう。