茂木大輔氏(b.1959)の近著「拍手のルール~秘伝クラシック鑑賞術」(中央公論新社)が面白い。茂木大輔氏といえば、以前もモーツァルトのオーボエ協奏曲のディスクでエントリーしたこともある、N響首席オーボエ奏者。夏休みの帰省先からの戻り、新幹線の中で一気に読んでしまった。以前、書店に並んであるのを見かけてから、気になっていた本だった。(画像左:書籍カバー)
演奏家が書いた文章は以前から関心があって、以前にも、やはり宮本文昭氏(b.1949)の新書を取り上げた事がある。彼も著名なオーボエ奏者だった。
演奏家ならではの視点で書かれているのがまず面白い。音楽が生まれる瞬間に立ち会っているプレーヤーでなければ語れない言葉や観察力がそこにはある。聴き手のプロである音楽評論家とは別の意味での説得力がある。
例えば茂木氏がN響で共演したマエストロ達・・・エフゲニー・スヴェトラーノフやシャルル・デュトワ、アンドレ・プレヴィン、チョン・ミュンフンといった大物指揮者達が登場してくるが、彼らがなぜ巨匠と呼ばれるだけの凄い人たちなのかが、リハーサルでの姿や本番での指揮姿を通じて明快に述べられている。我々が日々オケや演奏について日々思う事や疑問についても、分かりやすく、ユニークに解説してくれるのも面白い。
著書は全6章で構成されているが、見所は、やはりこの書籍のタイトルにもなっている第3章の「拍手のルール」。拍手という行為は、一般的には相手を褒めたたえるという、賞賛を示すサインだが、ここでは拍手を「音量」「音程」「密度」の3つに分解(これを「拍手の3元素」と著者は呼んでいる)。これまで著者自身の数多くのコンサート経験とも重ね合わせて、独自の視点で分析を行っているのだが、これが大変興味深い。
拍手の「音量」「音程」「密度」の3つに分解して考察することで、コンサートに対する聴衆の真の評価が読み取れたり、逆に聴衆の質をも読み取れるという。わかりやすい例として、演奏が終わってからオケのメンバーに対する拍手よりも、客演で海外から来日したマエストロへの拍手の方が音量が一際大きくなるケースは、聴衆にとって当夜のコンサートの賞賛の対象が誰であるかというのが明確だ。
この章では他に、拍手のフライングしそうな曲目リスト(!)なるものがついている。一例にも上がっているチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の3楽章の後は、確かに思わず拍手をしたくなる場面で、納得(^^)
また、「拍手の国民性」と題された項では、例えば、同じヨーロッパでもお国ごとに拍手の反応に違いがある事が述べられていたりして、ドイツのオケでの在籍時やN響での海外公演時など、経験豊富な茂木氏ならではのユニークな印象が綴られている。
茂木氏にはオーボエ奏者としてでなく、指揮者としての一面もある。いわゆる一流オケばかりを振る本格志向ではなく、レクチャー的要素とエンターテイメントを両立させたコンサートの実現のために、N響のメンバー中心の特別オケを主宰して活動も行っているのが、この方の特徴でもある。
茂木氏自身が、指揮の合間にユニークな解説を加えるのも、クラシックの普及に意欲的な彼の信条でもあるのだろう。自分自身も2枚、指揮者としての茂木氏のライヴCDを所有しているが、楽器別にテーマを絞ってオーケストラプレイヤーの人間的な魅力をも浮き彫りにしていく「オーケストラ人間的楽器学」のシリーズ(画像右:シリーズ中の一CD)は、CDからでも十分にその面白さが伝わってくる。まさに茂木氏ならではのヒット企画といえると思う。最近は「のだめカンタービレ」の音楽監修に携わった事でも知られ、指揮、企画、解説、文筆と、オーボエ演奏以外の世界でも手腕を発揮する茂木氏の活動は、日本のクラシック界に多大な貢献をしていると思う。
以前は、N響というと、「日本オケ界の最高学府=東大」的な位置づけで、アカデミックな方々ばかりの集団、というやや近づきがたいイメージを持っていたのだが、茂木氏の存在を知ってからは、N響にも実にユニークで個性的な方がいらっしゃるものだ、と印象がぐっと変ったものだ。先日の念願のN響コンサートでは残念ながら、茂木氏の演奏姿を見ることは出来なかったが、今でもN響アワーで茂木氏が出演しているのを見かけると、どんな雰囲気で吹いている(=何を考えながら吹いているのか)のか、何となく注目してしまうものだ。久々にまた読み返してみたくなる本だった。