昨年12月に作曲家の多田武彦氏が逝去されていたニュースを音楽専門誌を通じて知った。享年87歳。合唱界、特に男声合唱界においては“タダタケ”として愛されていた日本を代表する作曲家だった。男声合唱のレパートリーを広げ、男声合唱の限りない表現力を追求した功績は計り知れない。追悼としてすぐに思い浮かんだのは、男声合唱組曲「雨」より、終曲の「雨」。全6曲から成るが、数多くのステージで単独で演奏されることの多いのが第6曲の「雨」だった。1967年に作曲されたこの曲は、作曲当時から彼自身の鎮魂歌として意味合いもあったという。はや四半世紀近く前になるが、振り返れば自分自身、多田作品で一番最初に歌ったのがこの「雨」だった。シンプルな旋律と歌詞がすっと心に入ってきたのを覚えている。時代を超えて愛される曲がそこにはあった。録音順に4つの音源をエントリーしたい。
■北村協一指揮 関西学院グリークラブ
(1969年8月20日録音、豊中市民会館にて収録、ビクター国内盤、ジャケット画像左上)
多田作品を語る上でなくてはならないのが、関西学院グリークラブの存在。1967年の作曲年に明治大学グリークラブによって初演されているが、2年後の1969年のレコーディングでアルバム「日本の合唱名曲選⑧」に収録。録音で聴く限りでは当時30~40人規模の団体だったと思われるが、作曲時まもないこともあってか、若々しさと瑞々しさの感じられる演奏でテンポは今回エントリーした中では最も早い。ソロはまさしく関学グリー伝統の澄み渡るテノールで、その後代々と受け継がれてきた響きだ。
■北村協一指揮 関西学院グリークラブ
(1981年1月25日録音、フェスティバルホールにてライヴ収録、KGGLEE国内盤、ジャケット画像右上)
関学グリー創部100周年を記念した4枚組アルバム「関西学院グリークラブ100周年記念CD vol.3」に収録。1980年代の録音で、当時団員100人以上の大規模な男声合唱団となっていた時期のリサイタル音源。冒頭から包み込まれるような響きに思わずため息が出てしまう。人数を感じさせないその精緻なハーモニーは、ある意味プロ集団の力量を超えていたように思う。タダタケサウンドの一つの完成形を感じさせる、グリー黄金期の貴重な音源。
■吉村信良指揮 京都産業大学グリークラブ(テノール・ソロ:尾形光雄)
(1989年3月26日にて録音、守山市民文化会館にて収録、ビクター国内盤、ジャケット画像右下)
全日本合唱コンクールにおいて1981年から1989年まで9年連続金賞受賞で全国的な名声を獲得した京都産業大学グリークラブによるもの。ハーモニーはしっかりとしているが、やや淡々としたテンポ運びに味気なさが残った。またソロはプロのテナーを起用したことで声量・テクニック共に際立っているが、響きのバランスが今一つ溶け込めないのは否めない。
■北村協一指揮 関西学院高等部グリークラブ、関西学院グリークラブ、新月会
(2006年2月26日、ザ・シンフォニーホールにてライヴ収録 KGGLEE国内盤、ジャケット画像左下)
アルバム「関西学院グリークラブコレクション⑥」に収録。指揮者の北村協一氏が逝去する約半月前のリサイタル音源で、高等部・大学の現役団員、OBを含めた総勢約150人規模の合同合唱。当時の境遇の中、歌詞がこれほどまでに真摯に伝わってきた演奏はあっただろうか。4つの音源の中ではテンポも最も遅く、ソロの後の後半部では更に遅くなり、最後は消え入るように終わる。この演奏こそ、北村協一氏が伝えたかった「雨」だったのだろう。メンバーも、万感の思いを込めながら歌っていたに違いない。この演奏からは時代を超えた関学グリーのメンタルハーモニーが伝わってくる。
自分自身、学生時代に多田作品のハーモニーに浸れたことは今もって幸運だった。多くの感動を与えてくれた多田武彦氏に改めて感謝の気持ちを捧げると共に、これからも多くの人々にタダタケサウンドは感動を与え続けることだろう。
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