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指揮者、佐渡裕(b.1961)氏が、ベルリン・フィルと初共演して話題となった定期演奏会のライヴ・アルバム(2011年5月20~22日録音、ベルリン・フィルハーモニーにて収録、エイベックス国内盤)を聴く。購入のきっかけは、今や日本の指揮界を代表する存在となった佐渡氏が、世界最高峰のオケを相手にどの様な指揮を繰り広げるかという点や、メイン・プログラムがショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」であったという点。また、3月の東日本大震災後の定期演奏会となった点も、結果的に注目度が高まったように思う。

既に「題名のない音楽会」やTBSのドキュメンタリーでも佐渡氏の指揮姿がリハーサル時点から放映されていたが、気負いせず、自己の音楽を表現しようとベルリン・フィルと堂々と渡り合っていたのが印象的だった。佐渡氏は近年、ベルリン・ドイツ交響楽団等、ドイツの主要オケを振っていただけに、ベルリン・フィル共演への下地作りは出来ていたに違いない。

今回の「革命」は、彼の師匠ともいうべきバーンスタインのような、パッションが放出された熱いパフォーマンスを想像していたものの、意外にも冷静な「革命」で、代わりにオケの機能美が全面に発揮された演奏のように感じた。映像でなく、CD音源で聴くと佐渡氏の豪快な指揮姿も見えなくなる為、一層そう感じたのかもしれない。

例えば、第4楽章。この楽章は起伏の大きい分、聴き手にとっては、指揮者とオケとの丁々発止なパフォーマンスを求めたくなる所なのだが、ベルリン・フィルはライヴでも突出したり崩れたりせず、常にバランスの安定したサウンドを聴かせてしまう。どんな局面に至ってもブラスセクションは常に朗々と鳴るし、ストリングスも芳醇な美音を欠かさない所に、スーパー・ソリスト集団ともいえるベルリン・フィルならではの美意識を感じさせる。

よくも悪くも泥臭さのない、優等生的なサウンドなのだ。この辺りは聴き手の好みに結びつく所だろうし、オケの個性といえるかもしれない。最後のクライマックスは、以前エントリーしたマキシム・ショスタコーヴィチ(ロンドン響盤・プラハ響盤)のような「叫び」とも取れる演奏とはまた一味違う。ドキュメンタリーでは、佐渡氏自身、「曲の後半から涙が止まらなかった」と語っていたが、エンディングでは、感動の余りか、祈りともとれるような指揮姿だったのが印象的だった。

今後も佐渡氏に共演の機会があれば、ベルリン・フィルからそんな泥臭さを引き出してもらいたいものだ。また、今回は震災後の共演という事もあり、第3楽章には鎮魂を、また第4楽章には復興というメッセージがオーバーラップして聴こえてきた。
なお、当ライヴのコンサートマスターは、昨年、正式就任した樫本大進(b.1979)氏。今やベルリン・フィルも、若い日本人がリードしていく時代になったものだ。
最近のベルリン・フィルの動向を知る上でも最適なアルバムとなった。