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今宵はブラームスの管弦楽曲作品の中では「大学祝典序曲」と並んで好きな「ハイドンの主題による変奏曲」を。
現在のマイベスト盤はクルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団によるライブ録音('02年5月19日録音、コンツェルトハウス、ベルリンにて収録、ハルモニア・ムンディ・フランス輸入盤)。同曲はザンデルリングの90歳の引退公演でモーツァルトのピアノ協奏曲第24番(ピアノ:内田光子)やシューマンの交響曲第4番と共に演奏され、ベルリン交響楽団創立50周年記念の意味もあって、過去のアーカイブと併せ5年程前に発売された貴重なCD5枚組ボックスセットの中の1曲。

こんなにおおらかなブラームスがあっただろうか。
アンダンテながらザンデルリングのテンポは極端に遅い。しかし不自然さを感じないのはそれだけ深い呼吸をしたフレージングだからだろう。このテンポ感は例えば80年代にフィルハーモニア管弦楽団と残したラフマニノフの交響曲第2番(TELDEC)でも感じた事だった。通常なら「遅い」と捉えられがちなマイナスイメージを、彼は有機的な響きとテンポ感で空間を満たす。これは指揮者のキャリア(年輪)と共に変化してきたテンポなのだろうか?彼の70年代以前の録音はまだ聴いてないので一概には言えないが、以前ブログでエントリーしたクーベリックのインタビューとはまた意味合いを持つ。一般的には年齢を重ねるとテンポも落ちることが多いと言われているが・・・。

何より、この「ハイドンの主題による変奏曲」を聴いて嬉しいのは、この曲を通じてザンデルリングの人生を振り返っているかのようなしみじみとした味わいがあること。例えばR.シュトラウスの「英雄の生涯」のような一芸術家としての自己主張は微塵も感じられない。ここにあるのは90歳という高齢でありながら健康で指揮を続けられた事への感謝、そして何より演奏者・聴衆と共に音楽を創り上げ、共に感動してきた事に対するこれまでの感謝の念だと思う。ザンデルリングがベルリン交響楽団の音楽監督に就任したのが1960年だったから、引退をしようとする決断はいかばかりのものだったろう。彼を敬愛して止まなかった内田光子が引退公演でモーツァルトの24番で共演したのも感慨深い出来事だったと思う。二人が写ったジャケット(下の画像)からもその様子が伺われる。

引退公演といえば最近では'05年12月21日の東京都交響楽団での定期演奏会を最後に日本を去ったフランスの指揮者、ジャン・フルネも思い出される。都響とは'78年の初客演以来、30年近くの付き合いだった。

ザンデルリングは1912年生まれ、ジャン・フルネは1913年生まれと同世代だ。日本では明治45年~大正元年にあたる年。偶然ながら自分の祖父も明治45年生まれの95歳。いつまでも健康で長寿でいてほしい。


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