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通称“ベト7”を初めてCDで購入したのが敬愛するラファエル・クーベリック指揮によるバイエルン放送交響楽団盤(1970年3月31日/4月1日録音、ヘルクレス・ザール、ミュンヘンにて収録、ドイツ・グラモフォン原盤)だった。もう15年以上前になるだろうか、当時レコード芸術誌で「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」という企画があった。その名の通り、レコード芸術誌の企画・監修によって隠れた名盤を復刻し、通販でCD販売するという貴重なもので、このクーベリック&バイエルン放送響盤が紹介されるや否や、当時高校生だった自分は胸を躍らせて購入した記憶がある。

何でも、1970年に録音されていながら、その後ドイツ・グラモフォンが世界の9大オケ(バイエルン放送響を含む)を起用してベートーヴェンの交響曲全集を1971~75年に完成させる中で、7番も1974年9月にウィーン・フィルと再録音をしており、この1970年録音のバイエルン盤は、日本では1972年に発売されたものの、ドイツ国内でのリリースは見送られ、陽の目をみないまま、隠れた名盤となっていたのだという。

バイエルン放送響を振って初めて挑んだベートーヴェンは満を持した録音といっていいだろう。1楽章冒頭から精気がみなぎっており、音楽への集中度が高い。気の緩み所がなく、聴き手にも強い集中力を求められるように感じる。それは7番の交響曲としての完成度の高さにも関係があるかもしれない。しかし、クーベリック&バイエルン放送響盤からは、ベートーヴェンの表現したい世界を忠実に再現しようとする姿勢が感じられる。クーベリックの指揮から感じられるのは、芯が通った演奏。確信のある表現に満ちている、というのだろうか。
自分にとってこの演奏は“ベト7”の一つの基準となりえるスタンダードであり、マイベスト盤にもなっている。録音も1970年代に入ったステレオ全盛期の頃で良好だ。

ちなみに、1974年のウィーン・フィル盤は、収録会場のムジーク・フェラインザールの響きの豊かさと共に、ウィーン・フィルならでは芳醇さと美麗なサウンドに満ちているのだが、この作品にかける集中度の高さという点で、バイエルン放送響盤が一歩上回っていると思う。

国内盤全集のライナーノーツには興味深いクーベリックのインタビューが記載されている。「私のテンポは年月がたってもほとんど変わっておりません―それがいいことか、わるいことかは知りませんが。私はひとりの指揮者はひとつのテンポをもっていると信じます(以下略)」
実際、このバイエルン盤とウィーン・フィル盤を比較してみると、2楽章のみ約20秒程の開きがある以外、他の楽章は5~10秒以内に収まっている。これは“絶対音感”ならぬ“絶対テンポ感”なるものを持ったクーベリックならではの確信ある言葉だと思う。

1970年といえば、ちょうど1967年からスタートしたマーラー交響曲全集が1971年に完成に向かう直前の頃で、バイエルン放送交響楽団との関係も絶好調だったはずだ。ベートーヴェンの交響曲全集の中ではバイエルン放送交響楽団とは第9を録音しているが、この7番、9番以外にもバイエルン放送響の録音で聴いてみたかったものだ。

折りしも昨今の「のだめ」ブームでこの“ベト7”がヒットしている。最近のコンサート情報を見ていると、演奏される機会も多くなっているようだ。本家デプリースト&東京都交響楽団は堂々と「都響×のだめカンタービレ シンフォニック・コンサート」なる演奏会を行っているし、N響も「N響カンタービレコンサート」なるタイトルの企画(メインはもちろん“ベト7”)を行っており、「のだめ」ブームにあやかっている。クラシックファンからみればこうやって「のだめ」がクラシックの普及に貢献してくれるのは有難い話だ。
「運命」や「田園」より「ベト7」の知名度が高くなる日がやってくるかもしれない。

《参照マイブログ》
これぞブルックナー・トーン!~ラファエル・クーベリックの交響曲第6番~