今回の大震災以降、毎日聴き続けている曲がある。モーツァルトの「レクイエムニ短調K.626」。亡くなった方だけでも1万人を超える被害の甚大さに深い悲しみが込み上げてくると共に、地震以降に発生した放射能問題や計画停電等、日常生活に及ぼす影響の大きさに、自分自身、何かに祈らざるを得ない気持ちだった事も、レクイエムを聴くきっかけになったのかもしれない。
クラシックの世界には鎮魂歌を意味する「レクイエム」は数多くあれど、通称“モツレク”として愛されるモーツァルトの「レクイエム」程、著名なものはないだろう。自分自身、これまでこの曲と向き合う機会に乏しかっただけに、今回、じっくりと耳を傾けてみた。一般的によく知られているモツレクの中の楽曲は「ラクリモサ(涙の日)」だが、聴き所は「Kyrie」から「ディエス・イレ(怒りの日)」に至る部分だろう。合唱団と管弦楽の力量が問われる箇所という意味だけでなく、魂の叫びを感じる劇的さがあり、何度聴いても心打たれてしまう。
今回はドイツ・オーストリア系のオケによる名盤を、録音順に3つのディスクを聴いてみた。(ジャケット画像:左上より時計回り)
○イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
エリー・アーメリング(ソプラノ)
マリリン・ホーン(メゾ・ソプラノ)
ウーゴ・ベネッリ(テノール)
トゥゴミール・フランク(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱連盟
(1965年10月録音、ゾフィエンザール、ウィーンにて録音、デッカ海外盤)
43歳で早逝したハンガリー出身の名指揮者イシュトヴァン・ケルテス(1929-1973)とウィーン・フィルによる貴重なディスコグラフィーの一つ。全体を通してパワフルな合唱で、そのオペラティックな歌唱に、ヴェルディやワーグナーの歌劇を聴いているような感を覚えてしまうのは、ある意味、ソリスト集団でもあるウィーン国立歌劇場合唱連盟のカラーでもあるのだろう。男声陣もやや張り切りすぎているのだろうか、「キリエ」冒頭の男声パートは、やや筋肉質過ぎて、この曲の持つ清廉さから離れているのが惜しい。1960年代の録音だけに、やや古さを感じさせるものの、臨場感はある。
○カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
エディット・マティス(ソプラノ)
ユリア・ハマリ(メゾ・ソプラノ)
ヴィエスワフ・オフマン(テノール)
カール・リッダーブッシュ(バス)
ハンス・ハーゼルベック(オルガン)
ウィーン国立歌劇場合唱連盟
(1971年4月録音、ムジークフェラインザール、ウィーンにて収録、グラモフォン国内盤)
過去よりモツレクを代表する名盤として誉れ高きディスク。中庸なテンポでどっしりと構えたモツレクで、合唱団の充実した声量に加え、エディト・マティスを始めとしたソリストの豪華な声楽陣も申し分ない。ケルテス盤ほどオペラティックな歌唱ではないが、「怒りの日」では、彼らの強いヴィブラートがやや上ずり気味に感じてしまう。しかし、歌謡性もある「ラクリモサ」には、この合唱団のカラーが活きるのだろう、実に感動的だ。この一曲だけでもベーム盤の価値があるといえる。
なお、本ディスクは、オリジナル=イメージ・ビット=プロセッシングによるリマスタリングによる音質向上に加え、アナログ盤を思わせる紙ジャケット仕様も有難い。ケルテス盤とは6年違いの録音だが、レーベル、収録会場の違いを味わえるのも興味深い聴き比べとなるだろう。
○サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団
アンジェラ・マリア・ブラーシ(ソプラノ)
マルヤーナ・リポヴシェク(アルト)
ウーヴェ・ハイルマン(テノール)
ヤン=ヘンドリク・ロータリング(バス)
バイエルン放送合唱団
(1991年録音、ヘルクレス・ザールにて収録、RCA海外盤)
今回の聴き比べを通じ、マイベスト盤の一つとなった一枚。モーツァルト没後200年のアニバーサリーとなった1991年の録音。合唱が管弦楽とうまく調和し、今回エントリーした3つのアルバムの中では最も一体感が感じられるものとなっている。バイエルン放送合唱団は、ウィーン国立歌劇場合唱連盟に劣らずハイレベルな合唱で、「ディエス・イレ(怒りの日)」での均整のとれた充実感のある響き等、聴き所が多い。自分自身、デイヴィスの実演と接したのは1997年のプロムスで聴いたヴェルディの「レクイエム」だったが、デイヴィスの声楽作品への確かな手腕を改めて感じさせてくれる。