今となっては伝説的ともいえるトランペット奏者がシカゴ交響楽団にいた。ピアノや弦楽器に比べると、金管奏者のプレイヤー人生は短いといわれるが、彼は1948年(27歳)から2001年(80歳)まで、何と53年間もの間、首席奏者の座を務めあげた。まさに超人的な記録だ。
アドルフ・ハーセス(b.1921)。
トランペット吹きならずとも、シカゴ響といえば、この人あり、といわれる存在感のある奏者だった。フリッツ・ライナーやゲオルグ・ショルティ、ダニエル・バレンボイム等、名だたる指揮者達を支えてきたが、その間に生み出された数々の名盤には、必ずといっていいほど彼の音があった。シカゴ響は、ホルンやトロンボーン・セクションも巧みだが、ハ―セスはトランペット・セクションを含むシカゴ響のスーパー・ブラス軍団のトップに君臨していたといっていいだろう。ハ―セスの素晴らしさはテクニックだけではなく、作り出す音の存在感にある。彼の音が加わる事で、シカゴ響のサウンドに輝かしさと厚みがぐんと増す感じがする。特にショルティはブラスの扱いが巧みで、彼の目指す音作りが、シカゴ響のブラス・セクションにも絶妙にマッチしていたように思う。マーラーやチャイコフスキー、ムソルグスキーやR.シュトラウスといったブラスを豪快に鳴らしきる曲で、名盤が多かったのもそんな所にあるのだろう。
また、DECCAのハイクオリティな録音も彼らの演奏をくまなく捉えていた。
そんなハ―セスが、トランペット奏者の代名詞ともいえるハイドンのトランペット協奏曲を、シカゴ響をバックに吹いたオフィシャル録音がこのディスク(他の3人の首席奏者はモーツァルトの協奏曲を録音)。協奏曲でのソロでは他にバッハのブランデンブルク協奏曲や、シカゴ響の自主制作盤のフンメルのトランペット協奏曲くらいしかないので、貴重な音源といえるだろう。
○ハイドン:トランペット協奏曲 変ホ長調
クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団
(1984年2月録音、オーケストラホール、シカゴにて収録、グラモフォン輸入盤)
時にハ―セス63歳。普通の奏者なら、もう引退してもおかしくない年齢だが、'01年まで在籍していた事を考えると、まだまだ油の乗り切った時期といえるだろう。
楽曲全体を通して、実に朗々と吹き上げているのが感じられる。冒頭から存在感はすでに十分。ただし、ここではマーラーやチャイコフスキーでみせるシンフォニックでパワフルな音ではない。あくまでスマートに、ここではソリストとしての一面を垣間見せてくれる。とはいえ、音に野太さが感じられる所に、やはりハ―セスらしさが漂う。
ハイドンのトランペット協奏曲といえば以前、フィルハーモニア管弦楽団の元首席奏者、ジョン・ウォーレス盤をエントリーした事があるが、両者を比較してみると、ソロとしてのヴィルトゥオーゾ性を感じるのは、実際、フィルハーモニア管を退団後もソリストとして本格的な活躍を続けているジョン・ウォーレスの方だろうか。その点、ハ―セスの本領発揮はやはりホームグラウンドのシカゴ響での演奏で、彼自身、シンフォニー・オケの中でのトランペット奏者としてこだわった面もあるのだろう。。
ブルックナーのシンフォニーでも、彼がいれば、トランペット・セクションは充分に鳴ってくれる。最近では引退前の'96年に朝比奈隆氏がシカゴ響でブルックナーを初共演した際のハ―セスの映像が思い浮かぶ。その姿は、外見からも存在感はあった。はたから見ると割腹のいいおじいさんという感じ(^^)
トランペット吹きにとっては、ハ―セスの音は一つの憧れであり、目指す音づくりの中に、ハ―セスを目標としていた人も多いはずだ。自分自身、ハーセスの存在を知ったのは高校時代。アバドがシカゴ響を指揮したベルリオーズの幻想交響曲の4楽章「断頭台への行進」でのトランペット・セクションの迫力は圧巻で、今でも同曲のマイベスト盤の筆頭にあがっている。現在はニューヨーク・フィルの首席として活躍するフィリップ・スミスも、かつてはシカゴ響に在籍した一人。ハ―セスの存在は大きかったに違いない。
実演に接することができなかったのが残念だが、現在ではディスクの中でしか彼の音を聴けなくなっただけに、CDやDVDでの音源・映像は貴重だ。近況は分からないが、ご健在であれば今年で御年87歳になる。
現在、「ハーセス・チェア」の位置には若手の首席奏者、クリストファー・マーティンが座っている。また次世代のシカゴ響サウンドを作り上げてほしいものだ。