自分にとってのスタンダード=基準となる演奏というものがある。それは、初めてその演奏を聴いたコンサートだったり、レコードで初めて聴いた時の演奏団体だったりする。
アルフレート・ボスコフスキー&ウィーン八重奏団員の演奏するモーツァルトのクラリネット五重奏曲は、自分にとってそんなスタンダード盤('63年10月録音、ソフィエンザール、ウィーンにて収録、キングレコード国内盤)の一つだ。
中学時代、友人のハセガワ君の家のリビングにONKYOのコンポがあって、コンポが収容されているキャビネットの棚に、当時は普及が進みつつあったクラシックのCDも何枚か保管されていた。お父様の趣味だという。自分が初めてCDプレーヤーを購入したのは確か中学2年位の事だったから、その間はよく聴かせてもらっていた。レナード・バーンスタイン&ウィーン・フィルの「英雄」、小沢征爾&ボストン響の「四季」等の他にLPも。ブルーノ・ワルター&ニューヨーク・フィルのモーツァルト「39番」も所有されていたのを憶えている。この「39番」はコロンビア響で聴いた慈悲深いモーツァルトとはまた違う印象を受けたのを憶えている。そんなお父様のコレクションの中に、このボスコフスキーの「クラリネット五重奏曲」のCDもあった。
どことなく郷愁に誘われるモーツァルトの音楽と、ボスコフスキーのふくよかなクラリネットの音色・・・。ああ、これがウィーンの音なんだな、と思ったものだ。ボスコフスキーの音色のふくよかさは、例えばアルフレート・プリンツの音色ともまた一味違うような気がする。それは個性の違いだし、どちらに優劣があるものではないと思う。
レオポルド・ウラッハはそんな2人の師匠。ウェストミンスターレーベルに残されている名盤の数々に自分はまだ接した事がないのだが、2人の原点となる師のウィーン伝統の音もいつか聴いてみたい。そういえば、二人とも名前は“アルフレート”だ(^^)
ボスコフスキーといえば一般的にはこのウィーン八重奏団のリーダーである、兄のウィリー・ボスコフスキーの方が有名だ。またもう一方のリーダーを務めているウィーン・モーツァルト・アンサンブルによるセレナード&ディヴェルティメント集(デッカ)等は永遠の名盤だと思う。
アルフレート・ボスコフスキー盤を気に入っているもう一つの理由は60年代前半の音とは思えない程の録音の良さ。国内盤と輸入盤でプレスによる音(音圧)の違いを感じる事が多々ある(個人的にデッカの音は輸入盤の方がお気に入り)が、ボスコフスキー盤に関してはこのキングレコードの国内盤で充分納得のいく音だ。
知名度の高さからモーツァルトに気を取られてしまうが、カップリングのブラームスのクラリネット五重奏曲も第一楽章の旋律から思わず心を奪われてしまう。どこかにブラームスの物憂げな悲しさを感じる。モーツァルトもブラームスのいずれの曲も二人の晩年の作品(モーツァルトは1789年で死の2年前、ブラームスは1891年で死の6年前)である事、また遅筆のブラームスがこの作品に関しては2週間程で書き上げたという事から共通点も浮かび上がってきそうだ。
ハセガワ君との出会いのおかげでレナード・バーンスタイン&ウィーン・フィルの「英雄」も同曲のマイ・スタンダード盤になっている。そういえば谷村新司のアルバムや宮崎駿のアルバムなんかも借りてたっけ。今思えば色々とお世話になったなあと思う。
社会人なりたての頃に一度再会以来、気が付いてみると年賀状だけの付き合いになっていた・・・元気にしてるかな(^^;