日本を代表するピアニストの一人、青柳 晋氏(b.1969)のリサイタルに行く。当夜は「リストのいる部屋」と題された自主リサイタルで、2部にメインのリスト作品が並び、1部にブラームス作品が並ぶというプログラム構成。ブラームスの「弦楽六重奏曲第2番」から有名な2楽章のピアノ独奏版や、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルテ」から「イゾルテの愛の死」のリスト編曲版が配され、選曲にも工夫が感じられる。自分のようなオケ好きにも楽しめるプログラムだ。
リストといえば、先日、ドイツ・グラモフォンからデビューしたアリス=紗良・オットの演奏を聴いたばかり。同じ会場(浜離宮朝日ホール)、同じピアノ(スタインウェイ)ということもあって、リストの聴き比べという視点でも楽しめそう。
当夜のプログラムは以下の通り。
ブラームス:弦楽六重奏の主題による変奏曲
ブラームス:間奏曲 op.117
ブラームス:スケルツォ op.4
リスト:巡礼の年第1年~スイスより「オーベルマンの谷」「エグローグ」
リスト編曲:イゾルデの愛の死(ワーグナー)
リスト:ハンガリア狂詩曲第12番
(アンコール)
ドビュッシー:レントより遅く
リスト:ハンガリー狂詩曲第10番
1曲目、「弦楽六重奏の主題による変奏曲」。「弦楽六重奏曲第1番」(1860年/27歳時の作品)の2楽章冒頭の一度聴いたら忘れられない印象的な主題が、ピアノで切々と歌われる。ブラームス本人によって変奏曲に発展させたピアノ独奏版が存在していた事を、青柳氏の演奏で初めて知った。この主題は映画(フランス映画の「恋人たち」やアメリカ映画の「さよならよもう一度」)でも使用されているが、どこか哀愁を帯びた旋律が、どんなシーンで使用されているのか関心があるところだ。個人的には、やはりオリジナルの弦楽六重奏の方が、ブラームスの色調がより色濃く感じられる。
「間奏曲 op.117」と、「スケルツォ op.4」は、実演で聴くのはいずれも初めて。「間奏曲 op.117」(1892年/59歳時の作品)は自分の大好きな「間奏曲 op.118」と同様、ブラームス晩年の作品でもあり、どこか内省的といえるブラームスの心の移ろいを感じたのに対し、「スケルツォ op.4」(1850年/18歳時の作品!)は、交響曲作品に通じる重厚感が前面に出た作風。まさにオケを聴いてるかのようだった(オケ用に編曲されても充分聴けそう!)。
そんな重厚さを見事に引き出している青柳氏の演奏は、彼自身がベルリン芸術大学で学んでいることとも無縁ではないだろう。両曲共、ドイツの巨匠ペーター・レーゼルによる名盤もあるので、じっくり聴き比べをしてみたいものだ。
休憩を挟み、後半のリストへ。ブラームスにも共通しているが、青柳氏の演奏には無駄がない。鍵盤の掴み方、共鳴のさせ方の巧みさは、タッチのしなやかさから繰り出されるのだろう。特にリストではそれが十二分に発揮されていた。「イゾルデの愛の死」では、オケ作品に負けない白熱した演奏を繰り広げる。それは、内なるパッションなしには成し得ないものだろう。どんな難曲でも、いとも容易く弾いているように見えたが、舞台に出るまでの間は、相当な練習量だったに違いない。
「ハンガリア狂詩曲」はアンコールを含め2曲を披露してくれたが、冷静さを保ちつつも、テンションが落ちる事はない。リサイタルという約2時間弱のマラソンの中で、体力を温存させしながら、クライマックスに向けて一気に駆け抜けたという感じだった。
まさにヴィルトゥオーゾというにふさわしい演奏。東京芸術大学准教授として後進の指導にもあたる氏の演奏会には、音大生と思しき学生の姿も多くみられた。日本のピアノ界をリードするピアニストとして、今後も演奏を聴かせてほしいと感じる一夜だった。