秋の夜長にはバイオリンの音色もぴったり。今宵はロシアが生んだ偉大なヴァイオリニスト親子、父のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)と、息子のイーゴリ・オイストラフ(1931-)の演奏を。親子がそれぞれソロでレコーディングした名盤の中から、チャイコフスキー、シベリウス、ブラームスの3大協奏曲のディスクを聴いてみた。さすが親子だけあって、顔も似ている(^^)(画像:左が父ダヴィド盤、右が息子イーゴリ盤)
○ダヴィド・オイストラフ(Vn)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
(1959年12月録音、ブロードウッド・ホテル、フィラデルフィアにて収録、CBS SONY国内盤)
ダヴィド・オイストラフ51歳の頃の録音。
彼の名前を知ったきっかけになった一枚で、今もって演奏は自分にとってのマイベスト盤。
ソニーがかつて、「クラシックCDクラブ」なるものを展開していた時期があった。年会費を収めると(1000円位と安かった)、直近にリリースされるアルバム曲の情報が記載された会報紙と共に、演奏のさわりが収録されたダイジェスト盤のCDシングルが年数回送られてくるというもの。
会員になっていた高校生の頃、ある時聴いたダイジェスト盤で耳を奪われたのがこのダヴィド・オイストラフのものだった。当時からチャイコンは知っていたが、一楽章冒頭のバイオリン・ソロの奏でる、どこか郷愁を感じるノスタルジーな演奏に、何ともいえない感動を覚えた。その感動は今持ってオイストラフ盤以外の演奏で味わった事がない。
オイストラフの演奏から受ける素晴らしさとは何だろう。
テクニック面は完璧でありながら、その技巧さが前に出すぎる事はなく、あくまで曲解釈の為のツールとして成立している所だろうか。偉大な音楽家に共通して感じるのは、テクニックを超越した所に存在する各人それぞれの音楽観。これが芸術家=アーティストの個性なのだろう。そんな個性の違いを味わうために、音楽を聴く楽しみもあるといっていい。
一方のシベリウスは精神的な強さも感じる演奏。曲そのものからも、北欧の地の厳しさや人々の精神的なたくましさを感じられる。
ここではオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団の素晴らしいサポートも特筆しておきたい。チャイコフスキーは元々得意なレパートリーだし、シベリウスは作曲者自身との交流もあっただけに、並々ならぬ気迫が伝わってくる。
その気迫をうまく捉えた録音の事も。今から50年近く前のレコーディングの為、さすがにヒスノイズの混入はあるものの、1959年のものとは思えない臨場感あふれた録音。ちょうどステレオ録音がCBSでもスタートした頃にあたるが、ステレオ初期の録音には今聴いても真空管アンプのような温かみがある。当時は実際に機材の多くもまだ真空管が使われていた事もその要因かもしれない。
○イーゴリ・オイストラフ(Vn)
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮 ロンドン交響楽団
(1988年録音、ヘンリーウッドホールにて収録、Collins輸入盤)
イーゴリ・オイストラフ57歳の頃の録音。
父ダヴィドにはジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団との1969年録音の名盤もあり、親子の演奏を比較する楽しみもあるディスクだ。
約20分と長い1楽章や、オーボエ・ソロのあるしみじみとした2楽章の雰囲気は、どこか交響曲第1番と通じるものがある。一方、ジプシー風に展開する3楽章は冒頭のヴァイオリン・ソロから熱い。この曲を聴いたシベリウスが既に出来上がっていた自分のヴァイオリン協奏曲を改訂するきっかけになったというエピソードも興味深い。
イーゴリ・オイストラフも父と同様、熱い情熱がほとばしるのを感じる演奏だ。父仕込みのテクニックはもちろんの事、音楽として表現も卓越している。
レーベルの違いやステレオ録音初期とデジタル録音との差もあると思うが、音色も父以上に美音に感じる。録音当時、既にチャイコフスキー・シベリウスを録音した父の年齢(51歳)を上回っており、ロシアの伝統や演奏の流儀といったものが、彼の中にも脈々と受け継がれていると感じた。
デ・ブルゴス&ロンドン響のサポートも好演。ブラームスらしい、厚みのあるサウンドを聴かせてくれている。録音もヴァイオリンがオン・マイクに鳴りすぎず、オケとのバランスの取れており優秀。カップリングには「大学祝典序曲」が収められており、ロンドン響の素晴らしいサウンドが堪能できる。