先月末の3日間は会議とイベントで深夜続き・・・。先週末に見たDVDの視聴記をようやくエントリーする事ができた。小学校5年の時、ブラバンでチューバをしていた友人が貸してくれた一本のカセットテープがきっかけで自分をクラシックの世界へと誘ってくれた(ブラバンの世界にも誘ってくれた)のがユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管の演奏。オーマンディの映像作品が存在する事は高校時代にプリンツの演奏を聴かせてくれたナガサワ先生が音楽鑑賞の時間で使っていた(当時はLD)ので知っていたのだが、何かの理由で当日自分は見れず、悔しい思いをしたのを憶えている。社会人へと時は流れた今、懐かしさが込み上げる。
収録日時はそれぞれ異なるものの、ムソルグスキーの「展覧会の絵」にドビュッシーの「海」そしてホルストの「惑星」というファン好みな選曲の作品('77~78年、アカデミー・オブ・ミュージックにて収録、ユニテル社制作、国内盤)。
早速視聴開始。拍手に迎えられてオーマンディ登場。自身、小柄だったのだろう、三段も階段のあるかなり高い指揮台で指揮棒を操る。
まず惹かれてしまうのはオケマンの演奏姿から漂う品の良さ。全体的に年配の奏者が多い。オーマンディと共にフィラデルフィア・サウンドの伝統を作り上げてきた人達・・・と思うと感慨深い。黒縁の厚い眼鏡を掛けている人達が多いのは、何となく時代を感じさせる(あっ、眼鏡からしてカール・ベームにそっくりなチェリストが!)。一方、若手奏者の中には、イケメンなチューバ奏者や、ライオンヘアの小泉元首相のようなティンパニ奏者も発見できて、映像ならではの楽しみも(^^)
そして何より驚くのは、オーマンディの若々しい指揮姿。収録当時のオーマンディはもうすぐ80歳に達しようとしていた頃。この若々しさが演奏にも反映されているのだろうか。若々しさといえばサー・ゲオルグ・ショルティの指揮姿ともかぶる。加齢が演奏やテンポに現われ出ないのはハンガリー出身のお国柄なのだろうか?そういえばフリッツ・ライナーや、ジョージ・セル、アンタル・ドラティ等、アメリカで活躍した指揮者も皆ハンガリー系だっけ・・・。共通するのはまぎれもなく、彼らはオーケストラ・ビルダーだった事だ。
ホルストの「惑星」は「火星」から金管セクションが豪快に鳴りまくる。ホルンだけでも6つ。有名な「木星」はシチューのようなこってり系の演奏。有名なストリングスの中間部も英国的な気品さは漂ってこないのだが、テンポの運び方、メリハリの良さで、耳に馴染みやすいサウンドを展開する。この馴染みやすさが小学生の耳にもぴったりとハマったのだろうか。
オーマンディを見ていて思うのは聴かせるツボを知りつくしている指揮者、とでも言うのだろうか。細部だけでなく、全体をどうまとめ上げ、聴衆を満足させるかという技に長けている気がした。悪い意味ではない。これは立派な職人技だと思う。これがオーマンディ・サウンドとも言われる所以でもあるのだろうか?
演奏後の聴衆の熱狂ぶりからもオーマンディがいかに愛されていたかが伺える。オケのメンバーも皆いい顔だ。聴衆にとってフィラデルフィア管への誇りは相当なものだったと思う。指揮者とオケと、聴衆の理想的な関係がこの時代にはあったと思う。
一度生でフィラデルフィアサウンドを聴いてみたい、そんな思いは九州転勤時代の福岡公演(会場:アクロス福岡シンフォニーホール)で実現した。ヴォルフガング・サバリッシュに率いられ、モーツァルトの「交響曲第40番」とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」という二大プログラムを演奏。既にフィラデルフィア管はサバリッシュのドイツ系な重厚感あるサウンドに変化していた。先日、N響アワーで椅子に座っての指揮をするサバリッシュの姿を見たが、改めて年を取られたんだなあと思った。背筋がぴしっとし、統率の取れた当時のサバリッシュの指揮姿が懐かしい。
そんな時代はサバリッシュからクリストフ・エッシェンバッハへと移ったが、08年シーズンから、シャルル・デュトワが音楽監督に就任予定という。
輝けるオーマンディの時代。CBSからRCA、晩年のテラークやDELOSレーベルでのレコーディングを通じて、全世界の人々にオーマンディ&フィラデルフィア管の感動を今も与えてくれる。そんな感動をこの貴重な映像作品からも垣間見る事ができた。