こんばんは、「しあわせ祈るゲートノッカー」天野こだちです。

 

その4です。

ラスボスは最後にやって来るんですよ。

これで終わりです。

多分。

 

私は至って通常運行です。

常にこんなことを感じて生きてます。

突然おかしなことを言い出したんじゃなくて。

感じても、「何の意味があるんだろ?」って思ってました。

でも、自分が、「病気でもないのに死ぬかもしれない恐怖」と、隣り合わせになっているので。

現状、「30分後に死ぬかもしれない」と思いながら生きてるので、「今を大事に」が現実でしかなくなりました。

「現実味を帯びる」なんて、甘っちょろい。

 

「スピリチュアルに目覚めよ」なんて、言いません。

【現実に目覚めよ】と言ってるんです。

 

↓その3と、この記事だけ読めば、何言いたいか分かるかも?

↓その1とその2は、盛大な前振り。読むと理由が分かります。

 

ひとの寿命は、特殊な事情がなければ、本人が自覚することは少ないです。
ならば、「明日死んでもいいように生きる」方が、ずっと有効だと思いませんか。
有意義で、楽しくて、「死ぬ時に笑って死ねる」と、思いませんか。

未来=(500年先などの)広範囲の時間的概念。主語がない。
将来=「私の」や、「あなたの」など、特定の人物が主語になる。具体的な予想が出来る、現在よりも先に進んだ時間。

例えば、「私たちの未来」と言う時、この「私たち」は、ほぼ、人類と同義です。

現在、生きている人たちと、次世代以降の人たち、という意味では。
でも、私たちが先の時間を考える時、主語になるのは主に自分や周りの人。
だから、「将来」に変わります。
昔のことは、過去世も含めて、ただの過去です。
先のことは、来世も未来世も含めて、ただの未来です。


生まれたから死ぬのは当たり前。

そういうプログラムなので、死なないはずがないです。

最初のヒトまで遡って、遺伝子レベルでプログラムを改ざんしたら、あるいは死なないかもね? 程度です。


死だけは、生きとし生けるものに平等に与えられたギフト。

ヒトも、動物も、植物も、石や、地球、宇宙も、それぞれがそれぞれの「死」に向かっているだけです。

それぞれの流れる時間が違うだけ。
永劫の時を生きるなんて、不自然すぎて気持ちが悪い。
生き物は、死ねるから輝くんです。
だから生きている。

どんなに足掻いても死ぬんだから、生きてるうちに楽しいことをしましょう。
生きてるうちに、やりたいことをやっておきましょう。

今やらないなら、生まれ変わっても結局「やらない」になりますよ。

そうやって何度も生まれ変わっても、同じことを繰り返します。

そう選択しているのですから。

 

 
 
 
 
 
 
 

「30年後には死んでるよ」という人も、本当に死ねるか分からないですよね。

最後の瞬間を見る、最後のヒトになるかも知れません。

最後のヒトになるということは、様々な「死」を目の当たりにするということです。

モニターの向こうの顔も知らない人なら、まだマシですね。

所詮、対岸の火事ですから。

じゃあ、目の前で死に逝く人が、手の届く、大切な人だったら?

だらだらと惰性で生きて、するべきことから逃げて、言うべきことを言わないで。

今のその生き方で、大切な人の死に際して、「後悔しない」と言えます?

最後に残されたとして、誰にも看取ってもらえない最期でも、「後悔しない」ですか?

 

今は、【ずっとは続かない】のです。

現時点で、あと30年程度です。


次に生まれたあなたの魂が、地球に生まれられるとは、もう言えません。

そもそも、生まれられるとも限りませんが。

 

地球があっても、生き物の存在出来ない惑星になっているでしょうね。

 

誰かに幸せにしてもらうより、自分で幸せになった方が早い。

神様が何とかしてくれるより、自分で何とかした方が早い。

自分で行動してるのですから。

 

さて、どうします?