あけましておめでとうございます
こちさんぽです。

今年も引き続き、


初心者目線で、わかりやすく!!


をモットーに、ブログを発信していきます。



と、いいつつ
赤穂義士凱旋コース、年越してしまい、
新年早々、詫び入れることに💦💦



さて、前回「新大橋」までやってきました。が、まだ隅田川は渡らず、先に進みましょう。


一行は、小名木(おなぎ)川にかかる、万年(まんねん)橋を渡ります。



古地図の右端から左端上まで、隅田川に沿って歩いていきます。

{FEF10B6D-7B75-4DF4-A65E-9727C39C838D}

人文社復刻版江戸切絵図©︎古地図ライブラリより


1690年頃かけられたときは、10メートルほど隅田川沿いにありました。
のちに「永代橋」ができたので、向こうを張って「万年橋」と命名。

江戸っ子の、見栄っ張り感が出てますね😆


隅田川と小名木川が合流するところ(地図右上)に、赤い神社の印がありますね。


前回登場した、芭蕉稲荷神社の前にある、
「正木稲荷神社」です。

{68B9A464-FB4C-47E8-A75E-8DAF7258D67D}


ここには、大きな木が立っていて、船乗りたちのランドマークになっていました。







さて、万年橋は、富士山も見えた景勝地だったので、広重、北斎も描いています。



広重 深川万年橋

{237F6AC1-43BD-424C-98FF-337D12E90400}


橋?
どう見ても、亀の絵でしょ 笑


手前の黄色くて丸いのが桶で、奥の薄茶が橋の欄干だそうで、

「鶴は千年、亀は万年」

に掛けた、洒落乙な一枚だそうですてへぺろ


この亀さん「放生会(ほうじようえ)」という、神社仏閣の行事のために、橋の上で売られています?



放生会とは、8月15日、鳥や魚などを生きたまま自然に返す、江戸時代の神社仏閣で流行った行事です。

庶民たちは、生き物を自然に放し、「ちょっといいことをした気分」になったんでしょうね。



そこで、亀が100円くらいで売られ、庶民は、それを買って川に放し、亀売りは、また、その亀を捕まえて、別の人に売るという…


ほぼほぼ、動物虐待…. 笑


でも、子どもが亀と楽しく遊んだあと、川に放して道徳的なことも学べるという、楽しいお祭り行事だったみたいですよ。




ちなみに、万年橋で放生会を執り行う神社はウワサの



富岡八幡宮



なんたって、四十七士が、討ち入り前の打ち合わせをしたのも、深川八幡宮の前の茶屋ですからね。

神聖な場を汚されたと思うファンも、数多くいることでしょう。




一方、北斎の万年橋は

富嶽三十六景 深川万年橋下

{60A627A6-18E5-4812-A35A-A538ED4BAC7D}

これまた、見事過ぎる太鼓橋 


こんな傾斜じゃ、さぞかし 疲労困憊の四十七士には、大変だったことでしょう 笑


北斎とジャポニズム観てきましたが、この絵とそっくりな傾斜と構図の絵画がありました❤️




さて、この万年橋のたもとに「ケルンの眺め」というコーナーがあります。


ドイツケルン市のライン川に架かる吊り橋をモデルにした清洲橋(きよすばし)が、一番綺麗に見えるスポットだそうで、たしかに全景が見えて綺麗です。


ぜひ、写真におさめてくださいね



{05285219-A4B4-4B2E-8A53-316ABBAE1AE9}



現在の清洲橋と永代橋は、関東大震災の復興事業として架けられました。

この二つの橋は、勝鬨橋とともに、橋として初めての重要文化財に登録されました


{D4D2EB11-0F95-4C34-B094-A09DBBE83750}






永代橋をひっくり返すと、清洲橋にぴったり❤️


ということで、永代橋(えいたいばし)は男性、清洲橋は女性をイメージしたそうですが、戦後、天の川ごとく、二人を引き裂いた


隅田川大橋汗汗



首都高と二段式になっているので、
対になっている二つの橋が、
全く見通せなくなってしまいました。

この橋も、日本橋のように、いずれは地下化するのかな。




隅田川テラスを歩いていくと、永代橋の手前に、旧永代橋跡の説明板があります。




{95D3ECCD-DE84-42F8-BD8E-B90417978119}



四十七士は、ここから、隅田川を渡り、対岸に見える「豊海橋」を渡ります。






{131F1E5F-F8BD-43EC-AD90-8820D866F22B}

豊海橋も、小さいながら、1927年、復旧事業で架けられたので、永代橋と対になっていて、可愛い綺麗な橋です。

豊海橋の右側のたもとにも、永代橋跡の碑がありますが


{C89EFAB9-874F-4605-9F7A-1FB646A5809A}


こんな感じ。

残念



永代橋は1698年、綱吉によって架けられました。

その4年後、できたばかりの橋を、四十七士が首を掲げて渡っていったんですね。



1807年の落下事故で1400人以上の死傷者を出したことでも有名ですが、このときも、あの…



富岡八幡宮


の祭礼行く人たちの重みに耐えきれず、落ちてしまったようです。




さて、私たちは、新らしい永代橋を渡りましょう。。。

と、その前に
永代橋のたもと、少し戻ったところに、

「赤穂義士休息の地」

の説明板があります。

{5DDF3860-535F-4488-8E03-F1EBF92EC08C}


乳熊(ちくま)味噌初代竹口作兵衛さんは、前回登場した、四十七士の一人、大高源吾とともに、其角の弟子でした。

この日は、早朝から働いていたところに一行が通ったので、店に招き入れ、甘酒粥を振る舞ったと記されています。



んっ???



たしか、大高源吾の先生は、其角ではなかったはず💦

それに、旧永代橋のたもとは、もっと手前だったし💦💦💦


まあ、甘酒美味しかったから、良きに計らいましょう笑





今回も、寄り道話ばかりですみません。
続きは次回、近々更新😅😅


インスタグラムは毎日更新。

古地図散歩クラブ  edosanpo で検索してくださいね!