こんにちは、こちさんぽです。
「歴史には興味あるけれど、解説版の字が小さくて読みづらい・・・」
そんなあなたにお届けしたい。
初心者目線でわかりやすく!
をモットーに、初心者による初心者のためのブログを始めました。
築地二回目は、海だった痕跡探し(ブラタ〇リ風に)
前回もお話しましたが、明暦の大火(1657)で焼けてしまった本願寺再建のために、一生懸命八丁堀沖を埋め立ててできたのが「築地」です。
この埋め立て工事、堤防をつくってもつくっても、荒波に壊されてしまう難工事。
ある夜、なにやら海面で光り漂っているので船を出してみると、それは
立派な稲荷大神の御神体
すぐに社殿を作りお祀りして盛大なお祭をしたところ、波風がピタリとおさまり、埋め立て工事が無事に終了しました(1659)
これが、波除稲荷神社です。
築地場外市場なので、外国人観光客もいっぱい。
本殿には、雲を従える<龍>、風を従える<虎>、それらをひれ伏し見下ろす<獅子>の巨大な頭が奉納されました・・・・雲を従える龍といえば、女城主井伊直虎の架空の人物「龍雲丸」
みずの弁財天社は?と思ったら、こちら。
大きな雌の朱獅子とは、大胆ですね~しかも、お歯黒。
頭上(宝珠)の中に弁財天がおさめられています。
向かいには黒獅子がいます。
珍しい玉子塚。(右は末社)
ほかにも、「活魚塚」「昆布塚」「寿司塚」「あんこう塚」「海老塚」と、築地ならではの塚がいっぱい!
吉野家築地1号店(昭和34年)の碑もあります。
昔と今の人たちの思いが感じられる、素敵な神社です。
さて、波除稲荷を出て右折、交差点に「軍艦操練所跡」の説明版があります。
ペリー来航後、オランダから輸入した軍艦の運転を練習した学校です。勝海舟やジョン万次郎も先生でした。
長崎にあった学校。
築地にできたので、こちらは閉鎖されました。
築地もこのくらいの規模だったんでしょうか。
軍艦操練所は、二度の火災にあいました。
二度目の火災で浜御殿(浜離宮)に移転して、その後は幻の「築地ホテル」が建ちます。
初めての本格的なホテルだったので、浮世絵にもたくさん描かれました。
ここも、わずか5年で焼失。
本当に火事が多いところだったんですね。
人文社復刻版江戸切絵図©こちずライブラリ
「御軍艦操練所」の広さは、今の築地本願寺くらいかな。
左上に「イナリ」とあるのが、波除稲荷神社ですね。
いかがでしたか?
江戸の古地図に「軍艦」とかあると、当時のものものしい雰囲気が伝わってきますよね。
次回は、もう一つの「波除神社」~鉄砲洲稲荷神社をゆるく こちさんぽします。