③明石の縄文遺跡

 ア藤江出の上遺跡

  場所  明石市藤江字出の上

       県道718号線(旧浜国道)と藤江川が交差する地点

       青龍神社境内

  目標  木柱の碑

  

  藤江川周辺には藤江別所遺跡や藤江川添遺跡など縄文時代や旧石器時代の遺跡が点在している。この流域は古くから人が住み栄えていた。国立歴史民俗博物館の教授、春成秀爾氏がまだ学生(明高生)だった1959(昭和34)年に確認した遺跡。縄文時代の土器、石鏃、楔形石器などが発見されている。低地に生活の拠点を置いた藤江川添遺跡と合わせ縄文時代の明石は藤江川流域が主要な舞台となり狩猟や採集生活が営まれていた。










②明石原人

場所  明石市大久保町八木

     山陽電鉄中八木駅西方400m

目標  これと言ったものはないが、発掘調査された場所はフェン  

     スで囲まれている。フェンスに看板がある。 

 アカシゾウが群棲していた80万年から100万年前、明石から播磨灘へかけての地域、大阪を中心とする地域、滋賀県南部から三重県北部へかけての地域、名古屋を中心とする地域など、いくつかの地域に分かれて湖になっていた。この最新世前期には、アジア大陸にはすでに先行人類が住んでいて、石器を持ち、火を使う生活をしていた。この最新世前期の地層の崩れ落ちた西八木海岸一帯の屏風ヶ浦海岸から人類の遺品と思われる石器と人類の化石が発見された。発見者は早稲田大学講師直良信夫である。

 昭和23年東京大学教授長谷部博士がこの「西八木人」を旧石器時代人だと気づき「明石原人、ニッポナントロプス・アカシエンシス」となづけた。現物は東京大空襲により焼失している。

 なおこの明石原人については縄文時代以降の新人であるとの異論もあり、現物が焼失されているため真偽のほどは解明されていない。







明石原人発見地


明石原人発見地看板


 

①アカシゾウ

場所 明石市大久保町八木

    山陽電鉄 中八木駅南西200m 八木遺跡公園西

    播磨サイクリングロード沿い

目標 「アカシゾウ発掘地」の石柱、碑


 アカシゾウは、120万年前~180万年前に日本列島に住んでいた象の一種で、明石付近では約100万年前の地層から見つかっている。アカシゾウと言う名前は1936年に西八木海岸で見つかった歯の化石に付けられたもの。後に金沢で発見されたアケボノゾウと同じ種類であることから今ではアケボノゾウと言う名前が、正式な名前になっている。







アカシゾウ発掘地



アカシゾウ発掘地碑


播磨サイクリングロード


播磨サイクリングロード