三成に すぎたるものが ふたつあり
しまのさこんに さわやまのしろ
なんて落首が当時流行ったとか・・・
多分、後世の作でしょうw
そんなわけで、彦根シリーズ仕事が今日で終わり(のはず)なんで、
彦根城に来てみました

当時の陸上・湖上いずれにとっても交通要衝地・近江国、
東に近江街道、西に湖北から湖南までを望む地の、
鎮守府に相応しい美しい場所です

彦根の地を築城好適地として拠点としたのは石田三成で、
その居城の本丸は彦根城のすぐ北東にある佐和山にありました(城趾は、井伊家はじめ徳川方に破壊されたためありません)
三成は文治の人とイメージされがちですが、
島左近、舞兵庫の両家老はじめ、忠良精悍な家臣団を組成し、単純な戦闘行為において徳川家最強軍の一つ、井伊家を潰走せしめた(らしいw)優秀な軍政家であり、
また関ヶ原合戦の軍配備や補給線確保においては東軍をはるかに上回る手腕を発揮した戦略家でもあり、
かつまた、大名クラスとはいえ豊臣家の一家臣の身で、当時比類無き存在だった家康を、数のうえでは上回る軍勢を糾合した政治家でもあったのです
そのすぐれた能力の一端は、彦根城が250年にわたる井伊家の繁栄を支えたことで(皮肉にも)証明されています
さて、その、いろいろ曰くありな彦根城、要衝地らしい、三方を警戒する櫓があり

非常に見晴らしがよく、往事にあっても、きっと観光色強かったんだろうなあ、とか思ったりします
天守からは、竹生島もみえたりします

で、天守の反対側は、近江と美濃を隔てる名峰・伊吹山を遥かに望みつつ、佐和山及び周辺を一目に納めることができます

この城の性質や因果に思い至る眺めです
歴史にIfはありえませんが、
関ヶ原合戦の結果が変わっていたら、
この眺めも違ったものになったんでしょう

この子も、
違うキャラになってたんやろなあ・・・
しまのさこんに さわやまのしろ
なんて落首が当時流行ったとか・・・
多分、後世の作でしょうw
そんなわけで、彦根シリーズ仕事が今日で終わり(のはず)なんで、
彦根城に来てみました

当時の陸上・湖上いずれにとっても交通要衝地・近江国、
東に近江街道、西に湖北から湖南までを望む地の、
鎮守府に相応しい美しい場所です

彦根の地を築城好適地として拠点としたのは石田三成で、
その居城の本丸は彦根城のすぐ北東にある佐和山にありました(城趾は、井伊家はじめ徳川方に破壊されたためありません)
三成は文治の人とイメージされがちですが、
島左近、舞兵庫の両家老はじめ、忠良精悍な家臣団を組成し、単純な戦闘行為において徳川家最強軍の一つ、井伊家を潰走せしめた(らしいw)優秀な軍政家であり、
また関ヶ原合戦の軍配備や補給線確保においては東軍をはるかに上回る手腕を発揮した戦略家でもあり、
かつまた、大名クラスとはいえ豊臣家の一家臣の身で、当時比類無き存在だった家康を、数のうえでは上回る軍勢を糾合した政治家でもあったのです
そのすぐれた能力の一端は、彦根城が250年にわたる井伊家の繁栄を支えたことで(皮肉にも)証明されています
さて、その、いろいろ曰くありな彦根城、要衝地らしい、三方を警戒する櫓があり

非常に見晴らしがよく、往事にあっても、きっと観光色強かったんだろうなあ、とか思ったりします
天守からは、竹生島もみえたりします

で、天守の反対側は、近江と美濃を隔てる名峰・伊吹山を遥かに望みつつ、佐和山及び周辺を一目に納めることができます

この城の性質や因果に思い至る眺めです
歴史にIfはありえませんが、
関ヶ原合戦の結果が変わっていたら、
この眺めも違ったものになったんでしょう

この子も、
違うキャラになってたんやろなあ・・・