お久しぶりでございます、なんとか生きてます。失った語彙を取り戻すのに必死の毎日です。

 

今回、コロナ禍で家族や職場に反対され、泣く泣くジュリーのLIVEを断念されたファンの悲しい声をSNSで拝見しました。そんな皆様のお気持ちが少しでも和らぐことができれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

2021年6月1日

 

行ってまいりました。

 

沢田研二2021 ソロ活動50周年ライブ『BALLADE』愛知県芸術劇場

 

昨年の公演中止時、悔し紛れに自分のTwitterに、53年連続LIVEは継続中だから!と書いてから早1年。

 

 

沢田研二はこんなことで歌うのを諦める男じゃない、と信じていました。おそらく僕だけじゃなくてファンの全員が。

 

14歳でジュリーのコンサートに行き始めてから、1年半も間が空いたのは初めての経験で、LIVE会場に着いたときは「あー、戻ってきたなあ」という感じでした。

 

 

この2~3年、SNS上でジュリーのファンの急増を目の当たりにしてきました。

ネット時代の賜物でしょう、Youtubeで初めてジュリーを見て「こんな美しい日本人がいたとは」「歌上手すぎる!」「サムライをたまたま見てから沼にはまった」などなど、こんな時代が来るとは、60年代70年代に誰が予想できたでしょう?Twitterには10代、20代の若い方も散見されます。

 

とは言え、会場はいつもどおりそれ相応のお姉さま方が密を避けながら旧交を暖めておられました。

 

男性客は過去一番少なかったかもしれません、愛知県芸術劇場のキャパは2,400ちょっと。今回は緊急事態宣言下の措置で1,200人の収容となっています。

 

ファンの方々はLIVE前、きちんとルールを守っていらっしゃいました。僕は屋外に出て、いつもTwitterでいろいろご教示いただいている公子先輩とお写真を撮っていただきました。

 

 

 

 

 

 

入場時の検温と消毒、日常となってしまった嫌な通過儀礼を経て会場に入ると、ステージはいつもどおり、前面のモニタースピーカーはなく、ギターの機材が。

 

 

一点、大きく違うのは3日前に開催された東京国際フォーラムのLIVE後、SNS上で話題になっていた威風堂々と立つ巨大な赤い旗

 

 

 

 

「なんだあれは?」と推理が始まっていましたが、答えはこちらだと思います。

 

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

【2018年10月21日大阪SAYAMAホールLIVEでのMC】

僕は厄介な人間です。あの日、僕は立ち止まりました。というのは神経が違和感を覚え、心が揺れ、循環器系がちゃんと循環しません。そして体幹が大きくぶれました。僕は悩みました。

 

僕は旗を掲げました。白旗ではありません。情熱の赤い旗です。旗を掲げてこの齢でも、また一から頑張ろうという気持ちになりました。甘えてしまいましたが、僕はもう一度、あのさいたまスーパーアリーナ、その客席を満杯にするという新しい目標ができたことを嬉しく思っています。

 

「沢田研二と阿久悠、その時代 井上堯之さんに捧ぐ」 / 著者 秋山大輔 より引用

 

 

 

 

 

 

 

17時28分

 

 

1ベルの後、再度「立たないように」「声をださないように」の注意事項、いよいよ照明が暗くなり、下手からカズさん、ジュリーの登場です。

 

おや!

 

 

ジュリー、随分絞りました!衣装似合います。

50代のころの体型に近い!カーネルサンダースじゃなくなったジュリー、かっこええなあ!!

 

 

 

 

 

※以下はセットリストとなります、大阪フェスティバルホールに参加予定の方は再度赤い旗が出るまで高速スクロールしてください。

 

 

 

旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1「30th Anniversary Club Soda」

1996年『愛までまてない』収録

お?あれ?そうきたか。「バラードライブ」じゃなかったけ?まあ、オープニングくらいは派手に行こうぜってことで。

 

 

2「時の過ぎゆくままに」

カズさんのギターから放たれる聴きなれたイントロで場内大拍手、来たなあ92万枚を記録したジュリー最大のソロヒット曲。

照明が芸術劇場の広いステージいっぱいに広がり、紫色に染まります。

 

高音、やや擦れ気味。でも大丈夫、それはもう15年くらい前から。

ライブ中盤になると光沢が増していくように、この世の音とは思えないビロードの声に変わっていく。

 

時の過ぎゆくままにこの身をまかせ、男と女がただよいながら

ふーたーりーだけーでー●×△◎☆・・・・

 

あれ?いやそこは、そこだけは、1979年に物心ついていた日本人のおそらく80%は知っている歌詞ですがな、阿久悠さんが渡辺プロダクションと戦ってまで残した部分ですがなあ。

まあ、こういう編詞が聴けるのも楽しみのひとつよ。

 

 

MC

皆さん以上に僕がこの(県の決まりによる)客席半分の状況に動揺しています

 

(なるほど、何十年ぶりの1,200人しか入っていないスッカスカの客席にかなり動揺されていたと。そらしゃあないわ)

 

東京は奇跡的に客席100%でやれました。他のミュージシャンから「LIVEでは声を出せない分、拍手がものすごかった」と聞いていましたが・・・・・・・東京ではそんなことなかったです。
(場内爆笑)

 

(このあたりで虫がジュリーの顔あたりに)

 

虫が!虫が!誰やねん?あ・・・ポンタさんか!

(場内拍手)

昭和46年11月1日にソロデビューして、今年で50年、こういう状況でもがんばるしかない!と思っています。

 

 

 

3「君をのせて」

50年前の岩谷時子さん作詞のデビュー曲「ショーケンと一緒でもダメやったのにソロで売れるはずない!」と不安の中でもソロシンガーとして歩みだしたはじめの一曲、素晴らしい!

 

 

4「追憶」

個人的な話で恐縮ですが、1974年、レコード屋さんで見たジャケットがあまりに美しく母親に買ってもらったレコードです。僕のジュリーの入口だけに思い入れが強い曲。

安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲で、音量の幅や転調などクラシックのような技法を用いた神秘的な曲です。

 

 

 

(カズさんがアコースティックギターに変えて・・・)

5「海に向けて」2008年『ROCK'N ROLL MARCH』収録

6「あの日は雨」2001年『新しい想い出 2001』収録

なるほど『バラードライブ』ジュリーが近年アルバムを出さない理由のひとつに「もうそんなに長く歌えないからあまり歌えなかった曲を歌いたい」との説があります。となると、このあたりのアルバムの曲を予想出来なかったのは未熟でした、悔やまれます。しかも大好きな覚和歌子さんの作詞。

 

 

(エレキに変えて)

7「コバルトの季節の中で」

小谷夏=あの演出家の久世光彦さん作詞、ジュリー作曲、1976年の曲です、元々イントロからエレキギターですから違和感なく聴き込めます。

 

ここまででA面曲がなんと4曲!(「あの日も雨」もシングルです)

すごい、近年稀にみる確率で演ってる、これなら初めて参加された方も楽しめますね。『バラードライブ』企画大成功か?

 

 

 

8「根腐れpolitician」

ん?あれ?やるのね?『3.11コーナー』今回もやるのね?

思いっ切り「ペラノミクス!!!!」ってシャウトした?

『バラードライブ』ですよね?ちょっと怪しくなってきたぞ

途中歌詞変えて「根腐れ●●●●」って叫んだ?なんて変えた?よく聞こえんかったけど。
まあ、どうせ政権から嫌われてるからいっかあ・・・

 

 

9「三年想いよ」

いやあ、いいなあ。でも歌詞の「おばあちゃん~ご~めん」とか初めての方、ビックリしてない?ついてきてます?

あのですね、ジュリーはですね、この東日本大震災被災者の方々に向けてのコーナーは自分が好きにやってるから気に入らなければ聞いてなくてもいいって言ってたくらいですからね、わかんなくてもいいんです。それも沢田研二なんです。

でもここまでやるならいっそ「東京五輪ありがとう」でも良かったんじゃね?と思ってしまう。

 

 

 

 

 

10「雨だれの挽歌」1978年『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと~』収録

おおおおお~1978年、全曲作詞:阿久悠&作曲:大野克夫のコンビ3部作の最終年アルバムから、個人的にはこのアルバムから「赤と黒」を予想してました、また外れ。 

 

 

 

11「TOKIO」

え?え?え?イントロ違う。すごいアレンジ、バラード調のTOKIO!?

あれ?『バラードライブ』は?でもTOKIOオリンピックだし、加瀬さんの曲だし、なんかお客さん喜んでるし、いいか。

「♪かーなしい男が吠える街!」の後の「ガオ!」がなくなりました、ちょっと寂しいです。

途中フォー!ファイブ!トゥー!(452?)と何度か叫んでいたように聞こえましたが、なんでしょう?また新たな謎が・・・

 

 

 

12「渚のラブレター」

お~、この時代のLIVEで聴けるとは!

そうか、ボーカル沢田研二×ギター柴山和彦が邂逅した『G.S. I LOVE YOU』からのバラードを予想してましたが、その次、まだALWAYSとバンド名がつく前「渚のラブレターバンド」と名乗っていた時の。

ザ・ベストテンに返り咲いて「3か月間ベストテンに呼ばれなかったから不安でしょうがなかった」と語った復活曲、渚のラブレター!

これもギター曲だから、しっとり歌うのではなく当時のままのリズムとギャンギャンのギターで、このほうがカッコいい!

1番の歌詞でお得意の?「倒置法」も炸裂!これがないとLIVEに来た気になれない。

 

 

 

 

13「明日は晴れる」2003年『明日は晴れる』収録

白井良明アレンジ時代のアルバムから、ブログでは何度も書いていますがこのあたり2000年代に埋まっている名曲ほんと多いんですよ、もっと聴きたいですね。

2003年は貯金36の圧倒的な強さで阪神タイガースが優勝した年、その年のLIVEのアンコールではジュリーが阪神の法被を着て登場、ここ愛知県芸術劇場でもアルバム収録曲「Rock黄Wind(六甲おろし)」の大合唱を余儀なくされ、途中でジュリーが「星野~!!!」と叫ぶカオスな状況でした。熱狂的ドラゴンズファンの僕としては複雑かつ楽しくも苦い思い出です。

 

 

 

14「ISONOMIA」

2017年作品、ギター曲ですから、はい。いいんですよ。白井良明さん好きです。

 

 

 

15「届かいない花々」2004年「CROQUEMADAM&HOTCAKES」収録曲

「銀の骨」や「嘆きの天使」と同等に隠れた名曲としてファンに愛されている曲です。

ジュリーがテレビに出なくなってアルバムとLIVEに注力していたころ、名古屋の東海ラジオで「沢田研二は消えたとか言われているが毎年素晴らしいアルバムを出してLIVEを続けている」と唐突に生放送でオンエアされた曲です。

そのときのパーソナリティさんは覚えてませんが、僕がもしジュリーの曲を紹介できる機会があれば必ず東海ラジオでやろう。と決意したきっかけとなった曲です。ジュリー歌詞の歌詞の内容がとても深く、個人的にもよく聴いています。

歌い上げる、まさにジュリーの声量が最大限に発揮される曲であり、このあたりで沢田研二という二度と出現しないであろう天才歌手の存在を1200人の観衆に見せつけていました。

鳥肌が立ちました。

 

 

 

16「いくつかの場面」1975年『いくつかの場面』収録曲

多くのファンの方が予想されたであろう、ジュリーの歌手人生を振り返った歌であり、節目では必ず歌ってきた曲です。

気づくとステージ上はスタンドマイクに変わっていました。

いつもならスタンドマイクに変えるとそれは「勝手にしやがれ」か「ダーリング」に入るルーティーンですが、今回はバラード曲でのスタンド。

 

なぜか?

 

それは歌の後半で神がかった回答が観客に投げかけられます。

「できるならもう一度、僕の回りに集まってきて優しく肩たたき合い抱きしめてほしい」

故河島英五作詞のこの歌詞でジュリーはおもむろに両手を広げます。

あたかもたくさんの仲間と肩を組むように。

 

東京LIVEを見た桟敷さんも書いてましたが、ジュリーとカズさんしかいないはずの今回のステージ。

 

でも、僕にも、そして会場の多くのファンには確かに見えていたのです。

 

ジュリーとステージ上で肩を組む加瀬さん、ZUZU、ショーケン、シロー、ポンタさん、志村けんさん、阿久さん、井上堯之さん・・・

 

ジュリーを支えてきた仲間達、後ろから、横から、みんなで歌っているジュリーを囲んで優しく微笑んでいる姿。僕らは確かに、それが見えたのです。涙がでました。

 

 

 

ジュリーは広げた両手を少しずつ閉じていき、胸の前で大切な宝物を守るかのように抱きしめました。

 

 

それで、いつものように「ありがとう、サンキュー、ありがとうね」と言い残し、カズさんとステージを去りました。

 

 

 

 

 

 

アンコール~MC

 

どうやったらLIVEができるかと考えた。クラシックはOKだが、ロックはダメだと言われた。なんでやねんと思ったが、僕は考えて全部ゆったりと曲ばかりしにたらどうか?と、それならいいというのでそれからは各自治体のルールと照らし合わせてこうなった。いろんな偶然が重なって東京は100%の観客でやれることになったが、他は50%での開催。

これはタイガースではなかったことで、その後のPYG、姫路でのコンサートでは観客より僕らの方が多かったことがあった。
(場内笑い)

 

幸運が幸運を呼んだ、これはやっぱり鬼籍に入ったひとたちがそうしてくれたのかなと思っている。

父は101歳まで生きた。母親は57歳?

また満員のお客さんの前でできるように頑張ろうと思う。そのためにお酒もガマン。

ポンタさんはお酒が大好きだったが、僕はこの1年控え目にした結果、お酒が僕のあの原因だったとはっきりした。

(場内笑い)

 

ポンタさん、小松政夫さん、シロー、みんな鬼籍に入ってしまった。

コロナになってから小松さんから電話があった、事務所に荷物を取りに行くからと、それが最後の会話になった。

シローは最後はおいしいものも食べられないまま息をひきとった。

 

 

また、満員のお客さんの前でやれるように頑張ろうと思います。

 

 

 

 

17「ヤマトより愛をこめて」

 

中将タカノリさんのWEB AERAへの寄稿のタイトルになってましたが、「今はさらばと言わせないでくれ」の歌詞が入る1978年、大ヒット映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』のエンディング曲をアンコールで演ってくれました。

僕的には今回の最大のヤマ場は「いくつかの場面」なんですが、やはりこの曲、この季節は染みていきますね。

 

 

 

18「ハートの青さなら 空にさえ負けない」2002年新しい想い出 - 2001収録曲

 

最後も覚和歌子さん作詞の2002年のアルバムから。

最初の「ダーダダ」から走り回ります。

 

もはや何をもって『バラードライブ』か?
 

ジュリーはいつ予想を裏切り続けてきましたが、もうそんなことどうでもいいんです。はい!騙されました、僕もみなさんも、それでいいんです。だって沢田研二だから。

最後まで走りながら歌って、全く息がきれない72歳、今月73歳!

しかも絞ったから身体も軽そうです。

この元気すぎる爺さん、1200人の観客では何にも満足しない爺さん、こりゃ、コロナ明けたらまた飛ぶな、80歳くらいまでは。

 

 

 

 

 

去り際、最後に観客に向かって

 

「生きててねー!」「生きててねー!」と繰り返して、ジュリーは去っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗

 

 

ジュリー54年目のLIVEが終わりました。

 

高い声に関してはやや擦れ気味ではありました。

90年代のあの透明度とは違ってきました。それでもキーを下げずに歌い続けるロッカーとしての矜持に僕たちは心を打たれているのです。

歌詞の力強さを表現するには今の方が良いかもしれません。

 

 

また、特筆すべきは柴山和彦のギター。
リード、リズム、ベースまでひとり三刀流くらいで闘っている。
この男もまたギター職人、いやギター哲人の領域か?

 

 

何としてもLIVEを開催したいという強い想い。幸運が重なったとも言っていましたがジュリー自身が東京国際フォーラムや関係各所と根強く交渉した結果だと思います。

 

 

2021年でもくたばってなかった、諦めてなかった、続けることしか信じられない男は今年もLIVEを継続しました。

 

 

コロナ渦の異例のコンサート

 

 

またなにかしでかした。と言われてもいいじゃないか。と言っていましたが、どうやら沢田研二は全然納得していません。

 

 

「満員のお客さんの前で歌いたい」

 

 

 

 

 

 

今回、何度も繰り返していたこのことば。

 

ザ・タイガースでデビューしてから、いや、そのもっと前から、大阪、京都のアマチュアバンドの時代から一切ブレずに言い続けています。

 

 

 

 

Youtubeの中から現実世界へ飛び出した方々も多く初参戦されたようです。

 

 

「本当に実在したんだ!」

「沢田研二が動いていた、歌っていた」

「間に合ってよかった!」 ←なにがじゃ!(笑)

 

 

 

僕もLIVEに初参戦してからまだ39年の「新参者」です。

 

 

1年も休まず50回以上のLIVEに行きましたが、歌を聞きながら涙が出たのは初めてでした。

 

 

多くの友人を亡くしたジュリーの想いと、ファンの方も自分自身のこの苦しかった1年と重ね合わせた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

ジュリーのあの歌唱力を顕す日本語はいくら辞書を調べても見当たりません。

これほどの圧倒的なパワーを持った歌手がまだ日本にいることをもっと多くのひとが知るべきだと思いますし、何より

 

 

今の日本にはエンターテイメントが必要不可欠だと強く思います。

 

 

 

 

 

 

なにが不要不急か?

 

 

そもそもこの国が暗闇に閉ざされたとき、エンターテイメントが岩戸の扉を開かせて光を取り戻したと、最古の文献「古事記」にしっかりと記してある。

 

 

今回のようにみんなでルールを守って

 

 


今こそ、暗く沈んだこの国に光を灯すLIVEをどんどん復活させるべだと思う

 

 

 

現存する希代の歌手が見本を示したじゃないか

ロックがダメならバラードで、と。

 

 

この国にはコロナに立ち向かう気概をもった反逆爺がいるじゃないか。

ギター一本で、ボーカルがむき出しになるリスクを逆に武器に変えてしまう歌唱テロリストが。

 

 

 

 

 

 

 

日本には必要なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな時代だからこそ必要なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今こそ必要なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沢田研二が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます、誤字脱字、セトリ順番間違いはご容赦ください。尚、MCも記憶と一部メモを基に書き起こしておりますのでところどころ言い回しが異なると思いますが、概ね趣旨はそんな感じじだったとご理解いただけますと幸いです。

中村浩一