豊田駅前です。


大学4年間、正確には3年生までで単位とってしまったので3年と少々通ってました、懐かしい街です。


打合せ時間間違えて2時間早く着いてしまいました


さて、川崎の中1殺害事件、いろんなことが明るみになってきました。

一番書きたかったこと竹田さんが言っちゃったので詳しく書きませんが



日本の司法は「一般の庶民感覚」を判決・軽量に取り入れようと取りくみ。


昨今色んな市民が悩み・苦しみ・耐えてきた裁判員制度に決着がつきました。



「お前ら素人がどんなけ考えてもあかんわ、やっぱ俺らプロが決めた『前例』に従ってもらうからね、はい、お疲れさん







こうなりました。

これで心置きなく裁判員の抽選に当たっても断れます。全く無意味です。

高学歴エリートの意識ってこんなもんですかね。見え隠れしません?権威の侵害を恐れておるなあと。

自分が「神」でお前らは「愚民」




これからヨーイドン!で少年法の論議が交わされるでしょう。



若者と30年接してきた立場からしますとね。



あいつら知ってますよ


「一人ヤッタくらいじゃ絶対に死刑にはならんも~んってことくらい




卑怯者ってそうです


卑怯な奴ほど「法律では」「法律では」って言います。




お父さん、最悪です、やっちまいましたね。


いくら弁護士に「こうしなさい」と指示されても彼らこそ法に乗っ取って有利に運ぶ方法こそ考えてくれますが、庶民感情まではなかなか指導してくれません。



簡単です。いつの時代も息子が・娘が迷惑かけたら親は













「ごめんなさい」




です。


言い訳・権利を主張するのは後です。






少年法よりもね、僕が問題だなあと思うのは、殺した人数です。


1人=絶対死刑にならない。



3人=たぶん死刑



5人=間違いなく死刑





僕の「庶民感覚」も正しいかどうか解りませんがずっとこう思ってます。



殺した被害者の人数ではなく




被害者を殺した人数です。




今回少なくとも3人で一人を殺しています。


ならば実行犯は絶対死刑




なぜか?




そもそも人殺しは絶対だめ



でもね、一人で一人を殺した奴よりも



大勢で一人を殺した奴のほうが「より卑怯」だからです。


寒い中、裸にされて、川に飛び込まされ、年上で体力が自分より強い男3人に囲まれながら、後ろ手で縛られ、殴られ、蹴られ、首にカッターを突きつけられ、意識が遠のいていく・・・「お母さん・・・」「お母さん・・」「島の友達」「先生」「バスケットボール部の仲間」「お母さん・・・・」




この恐怖、想像できますか?




最も「卑怯」なやり方だと思いませんか?



少年法と一緒に、被害者複数と合わせて加害者複数の場合も議論にならないのかな?



僕の感覚、やっぱりずれてるかな?




最後に、このブログを読んでる少年たちへ




チクっていいよ




チクれよ、どんどんチクれ。



恥ずかしくない



「大丈夫」って作り笑顔で言うな




なぜなら




チクるお前よりも奴らはもっと卑怯者だから。